文芸時評3月(東京新聞3月30日)佐々木敦氏
又吉直樹「劇場」屈折する自意識の極み
温又柔「真ん中のこどもたち」複雑な境遇を生きる
《対象作品》又吉直樹「劇場」(「新潮」4月号)/温又柔「真ん中のこどもたち」(「すばる」4月号)/青木淳悟「私、高校には行かない」(「文学界」4月号。
又吉直樹「劇場」屈折する自意識の極み
温又柔「真ん中のこどもたち」複雑な境遇を生きる
《対象作品》又吉直樹「劇場」(「新潮」4月号)/温又柔「真ん中のこどもたち」(「すばる」4月号)/青木淳悟「私、高校には行かない」(「文学界」4月号。
第一世代としてブームを先導したのは、60年前後に生まれた作家たち。綾辻さんは「リアルタイムで書かれていた日本のミステリーに、物足りなさを感じていたという共通体験がある」と振り返る。当時は社会派推理小説の全盛時代で、本格ミステリーは少数派だった。「絵空事としての探偵小説は程度が高くないという空気の中で、トリックや驚きに奉仕するミステリーもあっていいと思う人が書き手に回った」
新本格の作品群は、一部のファンから批判を浴びながらも、多くの読者を獲得していく。92年には綾辻さんが「館」シリーズの『時計館の殺人』で日本推理作家協会賞を受賞。94年には京極夏彦さんが持ち込み原稿から『姑獲鳥うぶめの夏』でデビューを飾ると、講談社が95年に募集を開始した「メフィスト賞」は、第1回受賞者の森博嗣さんをはじめ、多くの作家を生んでいく。第二世代の作家の活躍で流れは確固たるものになった。
その後も「新本格」はホラーやSF、ライトノベルなどとのジャンルミックスを繰り返し、ミステリーの世界を広げてきた。「魅力的な謎がロジックによって解き明かされ、サプライズがある。その形は普遍的に面白いし、他の文芸ジャンルにも取り込まれている。書き手も多様で、30年前より楽しい状況だと思います」
「館」シリーズ最終作に意欲
デビュー30年の節目に刊行した『人間じゃない』(講談社)は、都市伝説をテーマにした「赤いマント」や、ホラー色の濃い表題作など単行本未収録の5編を集めた作品集だ。1993年から2016年まで時期は様々だが、「芯は通っている」と語る。
印象深いのは、06年に宇山さんの急逝を受けて書かれた中編「洗礼」だ。「すごく喪失感が大きくて、ミステリーが書けなくなってしまうのではという気持ちがあった。何とかここで踏ん張らなければいけないと思った」。犯人当てゲームをテーマとした作品には、自らを見いだした恩人への追悼の思いがにじむ。
本格ミステリーと幻想小説やホラーを車の両輪のように書き続けてきたが、近年は『Another』(角川文庫)などホラーや怪談が増えつつある。一方で、全10作と構想した「館」シリーズについても、最後の1作の刊行に意欲を燃やしている。
「年を取ると“本格”は難しいので、50代のうちには、という気はしています」
The Yomiuri Shimbun3月27日「ミステリー」開拓した30年…綾辻行人さん
(一部抜粋)『騎士団長殺し』の宛先はおそらく日本人ではない。いや、正確に言おう。『騎士団長殺し』の宛先はおそらく日本語を母語とする人ではない。村上春樹はこれまでもそれを試みてきたではないか。
《産経=文芸時評4月号 早稲田大学教授・石原千秋 『騎士団長殺し』の宛先》より。
このところアレルギーシーズンか、春先の体調と精神の変調か、具合が悪くTVばかり見て過ごす。政治の話題は、籠池氏と安倍首相夫人の100万問題ばかり。これらは日本人民族的中心思想にはまった人たちだけの問題ではないか。安倍首相の美しい日本を取り戻すというキャッチが一般人に違和感を与えないので支持率も高いいようだ。
しかし、個人的には美しい日本と、国民個人どういう関係があるのか。「自分は美しい日本人であるから今日も元気だ」と思うひとは相当の変わり者であろう。もし、自分と美しい日本が結びつくとしたら、団体として自治体からのつながらりでしかない。それは共同体にいるというだけで、そんなの関係ねえ、とは言えない。安倍首相夫人は、美しい日本という共同体イメージを持っているがゆえに、近いづいてくる人間に、そんなの関係ない、と言えなかったのではないか。付き人谷氏のファックスには、官僚がみたら忖度せざるを得ない文言がある。
美しい日本というのは、日本の共同体幻想をもたせるので、誰にでもあてはまると思わせるための曖昧なキャッチだが、まず自分たちが仕掛けた罠に自分ではまってしまった例であろう。日本会議など共同体幻想思想にはまると面倒なことになる見本ではないか。
作家・内田康夫氏がこのほど「休筆宣言」。理由は2015年7月に脳梗塞で倒れたこと。同時に、内田康夫財団、講談社、毎日新聞社、毎日新聞出版により、中断していた毎日新聞の連載小説「孤道」の完結編を公募するプロジェクトが立ち上げられた。
「孤道」は15年8月12日(204回)で中断しているが、毎日新聞出版は未完のまま単行本として刊行することを決めた。発売日は5月12日。
さらに、同小説の「完結編」を一般から募る。書籍『孤道』の続きを、400字詰め原稿用紙350~500枚で書き上げる。選考は推理小説研究家の山前譲氏ほか主催4者の編集部などで行う。募集期間は5月12日から18年4月30日まで。(新文化3月.21日付け)
【「特別な体験」木戸博子】
戦後間もなくの小学生時代「私」のいじめの出来事体験と、それに関係した人々のその後の人生を、44年後の同窓会での級友の動向を知る。いじめる側といじめられたと思う側のそれぞれの思い込みがわかってくる。
いじめといっても、現在のそれとは社会的背景と性質が異なるので、ひとつの精神的な状況をフクションで描いたものと思われる。これだけ年月を経たあとでの級友関係の意識は、あまり現実的に受け取れないものがある。しかし、持ち前の文学的に物語を創る力技で、特別な世界の時別な体験として、破綻なく筋を通している。
【石榴俳句館「佳き日よーー気まぐれ旬日記」杉山久子】
俳句や短歌は若い層にも一定の支持を得ており、若者の多い文学作品フリーマーケットでも、このジャンルには人だかりが絶えない。社会の伝達技術が、スマホのチャット化など、変化して短い文になっていることに対応しているのであろう。ここでの俳句はソフトでライト的で、親しみやすい。――風花や塩振ることのあと幾度――句が議論になったそうだ。世代間の文化世界の断絶を思えば、むべなるかな。
【「『開眼の一日』いちご寒―ロバート・P・オーエン」木戸博子】
知らない作品だが、少年時代の事件と行為に意味を、40歳代になって再認識するという構造の話で、その手法は、前記の「特別な体験」と共通してるように思える。良い解説になっている。
【「君のふるさと再び」篠田賢治】
万葉研究の歴史散歩の話。京都の歴史的建造物と当時の人物を若い女性たちに、解説する。ライトノベルに馴染んだ若者にも良い読み物であろう。
発行所=〒739-174広島市安佐北区亀崎2-16-7、「石榴編集室」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
愛知県生まれ。広大な星空にあこがれる科学少年だった。宇宙の研究者を夢見たこともある。「『何かになりたい』という漠然とした夢がずっとあった。その気持ちを形にしたい-と思ったとき、小説だったらパソコンさえあれば始められるなと」。高校入学直後から1年かけて、こつこつと言葉を積み上げていった。
『星に願いを、そして手を。』の主役は宇宙好きだった幼なじみの男女4人。科学者への夢に手を伸ばし続ける女子大学院生、あこがれに区切りをつけた公務員…。大切な人の死をきっかけに再び集まった20代半ばの男女の現在と過去を描き、夢を追う喜びと痛みを浮かび上がらせた。登場人物の一人と同じく、自身も理系だった進路を、4月の3年進級時に文系に変える。
《産経:小説すばる新人賞 高校2年生の青羽悠さん》
一部抜粋ーー七年後、三十六歳になった私は小さな同人雑誌に参加した。はな、清造の作品論を書くつもりが、ひょんな流れからヘタな私小説を書いていた。
三作目が『文學ぶんがく界』に転載され、そのまま他の商業文芸誌に書き続ける機会を得たことは、私にとって幸であったか不幸であったか分からない。しかし、これまでどの作も或ある熱情をこめてものしてきた。書き手としては当然のことながら、私の場合は自任し、筆にものせている“清造の歿後ぼつご弟子”なる囈言たわごとを、決して不様な囈言だけでは終わらせぬ為ための理由もある。ーー
《参照:The Yomiuri Shimbun『どうで死ぬ身の一踊り』2006年 西村賢太さん》
【第一回文学フリマ前橋】3月26日(日)開催がせまり、様々な場所で告知を展開されている。まず、会場となる前橋プラザ元気21の渡り廊下にて、前橋を含むこれまでの文学フリマのポスター展示を実施中。《WEBカタログ》
3月7日には前橋市の定例記者会見で文学フリマ前橋を紹介、3月8日には地元紙「上毛新聞」に記事が掲載されました。そして、3月17日付「朝日新聞」群馬版の朝刊に、“文学書の展示即売や作家と読者の交流も 前橋で26日「フリマ」初開催」の見出しで文学フリマ前橋の開催が報じられた。
また、ギャラリーアートスープでは、文学フリマ前橋開催にあわせ「ブンガク・文学・ぶんがく展」を企画実施する。《「アート・ハンドメイドのGallery Artsoup」のブログ》
文学フリマのイベントの話題として、芥川賞作家・又吉直樹と、芥川賞受賞作『火花』の担当編集者が出会ったのは、「文学フリマ」という展示即売会だったという話もる。
また、出店で販売した「夫のちんぽが入らない」が、出版社の目に留まり、すでに30万部売れているという噂もある。なにしろ書店では買いにくい題名だし、出版社が聞広告を出そうとしたら断られたそうだ。こういうエピソードがふえれば、メディアの記事も多くなると思う。
〈前半の詩を対象とした記述は省きます。〉
宮川扶美子「続いぬまち」(「黄色い潜水艦」65)
小長美津留「随筆 気づかなかった幸せの日々」(「架け橋」22号)、陽羅義光「昔日」(「全作家」104号、掌編小説特集号)、猿渡由美子「駅に立つ」(「じゅん文学」90号)、中谷恭子「詩 部屋」(「とぽす」60号)、伽藍みずか「銀座にバーをつくるまで4」(「四人」96号)、松村信二「葉末の露」(「詩と真実」812号)
( 文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)
〈まぶたは薄い皮膚でしかないはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。もう少しで見えそうだと思ったりもするけど、眼を閉じた状態で見えているのは、まぶたの裏側の皮膚にすぎない。あきらめて、まぶたをあげると、あたりまえのことだけれど風景が見える〉
「火花」は熱海の花火大会の情景から書き起こされていた。この「劇場」の冒頭は、ただ風景を切り取るのではなく、どこか内省的な印象。一編の詩のような味わいもあって、一気に引き込まれた。
前橋といえばーいかんぞ いかんぞ思惟をかへさんーの萩原朔太郎だよね。「第一回文学フリマ前橋」が今月3月26日(日)に開催される。昔、萩原朔太郎が感じていたほど、東京から遠くはない。詩人の多いところだが、詩のグループはそれほど多くないかも。
これからの文学フリマは、販売場所としての市場性を高める場にした方が良いのではないか、と思う。
新刊の「岩場の上から」について語る著者の黒川創さんは、「ディストピア(反ユートピア)小説として書いたつもりはない。今とそんなに変わらないでしょう」と語る。
小説『岩場の上から』(新潮社)の中で描いた社会は、2045年、「戦後百年」の日本。原発事故のあった福島は廃炉作業が難航している。全国の原発は使用済み核燃料であふれ、最終処分場の用地も決まらない。自衛隊は軍隊となり、「積極的平和維持活動」という名の戦争に加わっている-。「未来と過去はシンメトリー(対称)。過去から演繹(えんえき)して三十年後を描いた」という物語。
「原子の問題というのは、小説に扱うにしろ報道で扱うにせよ、ものすごく面白くない問題なんです。」放射能の威力はいまでも変わらない。「多くの人はそのつまらなさに耐えられないんです」と黒川氏。
(東京新聞2017/3/9 夕刊 。-過去を通じて捉える30年後 黒川創さんが長編小説「岩場の上から」>より。
そのつまらなさを報じているのが《「暮らしのノートITO:ITOのポストモダン的情報》である。
あと一つで400本目の記事になる。達成したら、ここに記念コメントでもしますか。
先日は、春風の会で亀井静香衆議院議員の講演を聴く。《参照:メディア・エンタメ化など変わる日本の現状を憂う亀井静香氏》
春風の会というのは村上正邦氏の会である。村上氏は、 目下安倍政権に大きな影響を与えているといわれる右派政治団体「日本会議」の 生みの親とされる。以前から「成長の家」の信者。亀井氏は元警察官だったので、村上氏のモノづくり学校KSD汚職事件での村上氏の無罪を確信している仲間である。成長の家の影響力を利用したのが「日本会議」らしい。この関係をいつかまとめてみたい。このように、毎日お出かけである。これで文学活動ができるわけないと思うが、事実を書き記したら小説ではない。しかし、事実を書き記したものは、真実なのか?
そのような問題提起もできる。すべてを書き記すの不可能なので、これも想像力が作用する。表現での問題がある。
また、亀井氏は、日本が韓国のようになってしまう、と憂いているが、民主主義にもそこ国情のちがいがあるのが、当然で、韓国らしい民主主義があってもおかしくないと思う。
最近、コラムを書くようになって、やっと本来のブログらしくなってきたような気がする。過去の記述を読むと、随分気負っているなと、思えるようになった。先日、日本外国特派員記者協会の会見に出た。そこで、福島原発事故の直後、あの有名な山下教授が「放射能の影響は、実はニコニコ笑っている人にはきません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています」と、講演した話がでた。
こんな話は、日本人でも「大丈夫か」といいてしまうのだが、外国人だったり意味不明であろう」。《参照:海外に福島原発事故被害者の6年を会見報告》。余談だが、日本外国特派員記者協会は現在開発中の馬場先門付近のビルが完成すると、そこに入るらしい。ビルの国際性の味付けになるかららしい。
ところで放射能被ばくの話には前例がある。チェルノブイリ原発事故の時、近隣の村にはバス2000台が用意された。しかし、知らされない地域は、あとから避難指示が出た。そのため、すぐ放射能被ばくの患者が多数出た。ソ連はそれを、放射能被ばく恐怖症のノイローゼとしか診断しなかった。だが、住民は、飼っている犬が放射能で死んだり衰弱したりしたのを見ている。そこで、犬に放射能の知識があるのか、と医師の嘘を見抜いたというのだ。
人間はよい事、悪い事を自覚する能力があるが、それは至近距離の知人の間だけで、それ以外のものには、善悪の区別ができないーーということがわかる。
文学には、現実と至近距離にないことが多く、善悪の感覚に距離がある。文学が時代にどんな力があるかという話題になると。だいたいこの問題の周辺をぐるぐるまわるだけになるようだ。
第6回自由報道協会賞ノミネート作品が下記に決定した。《自由報道協会賞ノミネート作品》
『「南京事件」を調査せよ』 清水潔著、文藝春秋
『日本会議の研究』 菅野完著、扶桑社新書
『Voice of Fukushima』インタビュー ラジオ放送
第6回自由報道協会賞は2015年12月22日から2016年12月26日までの期間に取材、報道、評論活動などを行い、ジャーナリズムの信用と権威を高めた作品を対象として顕彰を行う。公募と選考委員による推薦を経て以下の作品がノミネートされた。一般からの投票も受け付けている。
森友学園の国有地売却の話で思うのは、公務員の存在の責任の曖昧さである。官僚も国会議員も公務員である。憲法にも、公務員は国民を裏切ってはない、という一条があるが、そういう意識はあるのだろうか。ましてや財政赤字を国民の借金というが、これは公務員たちの責任で借りたのではないか。森友学園の融通のよさからしたら、公務員の給与で財政赤字を埋めることも可能なようなきがする。《参照:憲法と民主主義の関係(3)松村法学博士講演より》
≪対象作品≫
滝口悠生「高架線」(「群像」3月号)/同「今日の記念」(「新潮」3月号/関口涼子「声は現れる」(「文学界」3月号)。
(一部抜粋)
滝口悠生(ゆうしょう)の書き下ろし長編「高架線」(『群像』3月号)が、とてもこの作家らしい飄々(ひょうひょう)とした佇(たたず)まいの好作だった。かつて存在した「かたばみ荘」の住人たち、およびその周りの人物たちによる、一種の群像劇である。
小説はまず「新井田千一」のひとり語りから始まる。話途切れると「*」が挟まって、ふたたび「新井田千一です。」と名乗り直して語りは続けられる。それが何度か繰り返されて、起こったことの様相がおおよそわかってきたあたりで、突然、語り手は「七見歩」に変わる。
七見も新井田同様「七見歩です。」と名乗ってから話し出す。「片川三郎」をめぐって展開していくのかといえば、必ずしもそうではなくて、その後も何人かの語り手が出てきてさまざまなことを語り、いつの間にか「かたばみ荘」を中心とするおおらかで豊かな時間の流れのようなもの、人と人のかかわりの色とりどりの数珠繋(じゅずつな)ぎのようなものが、ゆっくりと、鮮やかに立ち上がってくる。
瑣末(さまつ)なエピソードや些細(ささい)なディテールがとりわけ面白い。これはもちろん誉(ほ)め言葉として書くのだが、なんだか地味だが妙に心に残る映画かドラマかマンガのような読後感だ。
関口涼子による「声は現れる」(『文学界』3月号)は、目次には「散文」と銘打たれている。長短さまざまな断片が六十ページにわたって続く。主題は題名にも冠された「声」である。「大切な人の声を録音してください。この本は、ただそう言うために書かれた」。亡くなった祖父の声。留守番電話に録音されていた筈(はず)なのに、いつのまにか消去されてしまっていた、もう二度と聴くことのかなわない、彼女を呼ぶ祖父の声。
非常に抽象度の高い文章だが、はじめの方にはこんな記述がある。「これから書かれるのは個人的な物語」。そう、これは「物語」なのだ。「散文」とされているが、一種の「小説」としても読める。この分量の一挙掲載は文芸誌としては異例とも思えるが、価値ある試みだと思う。
《参照:滝口悠生「高架線」 関口涼子「声は現れる」 佐々木敦》
「 題「牢名主」
松村信二さん「葉末の露」(「詩と眞實」812号、熊本市)、桑村勝士さん「河口に漂う」(「胡壷・KOKO」福岡県須恵町)
宮川行志さん『不知火海野焔』(文芸社)、西田宣子さん『おっぱい山』(梓書院)、草倉哲夫さん『プリンクル物語 後編』(朝倉書林)
「村」8号(福岡県八女市)
( 文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)
本誌は、書き手の手腕が粒ぞろいで、安心して読める。ほとんどというか、「ほぼ」というか、商業誌の読物雑誌と同様の読み応えが得られる。これだけの書き手同士が合評をしてきた成果そのものであろうから、他の書く人たちに何らかの参考になるのは確か。
【「影法師、火を焚く」(第5回)】
全体像は分からないが、細部に仏教世界やダンテの「神曲」などの素材が組み込まれ、その部分だけでも、考えさせられる。谷川雁まで引き合いにだされる守備範囲の広さをもって縦横無尽の面白さがある。
【「六甲変動」蒲生一三】
阪神大震災以来、断層地帯であるのを実感させられたが、一帯の古代からの断層の歴史がわかる。そうだったのか、である。
【「生きている」朝岡明美】
老境に入った父親は75歳。独り暮らしであったのが、倒れ入院。娘、息子たちは病院に見舞いに行く。それぞれの生活の事情があるから、お互いに牽制しあうような雰囲気もある。そして、遺産をどう分けるかで話あったりする。現代で、もっともどこにでもある出来事の典型である。ある意味で、日常生活小説のサンプルとして読めるように、適度の味付けがあって、巧みな小説である。誰でも納得するもっともらしさをもっている。実際に似たような構成の家族のある人が読めば、感慨をもつであろう。関係のない人には、ただの読み物。
【「片影の人」吉岡学】
気まぐれ旅行で、過去に出会った女性のいた町にいって土地の女の人にその話をする。すると今度は、その女性の視点から、母親のであったのがその気まぐれ男ではないか、という落ちのようなものがある短いお話。
【「カレン」加納由佳子】
カレンは海外旅行をして精神に変調をきざした女性。変調者のいる特別な施設で働く状態を描く。もうすこし精神変調者の人物の登場が欲しい。カレンのどこが社会的に変調者とされたのかはっきりしない。
【「無名の人」堀井清】
同人雑誌の特長は長いものが連載になってしまい、短編がほとんど。そのこと自体、ひとつの制約になっている。そうしたなかで、この作品は、やや長い。50代の独身男が、80歳代の父親と同居している。息子は、そろそろ結婚して現在の父親の家に女性を迎えたい。父親は、そうなれば自分が家を出るのかと訊く。どうなるかは、わからないところで終る。なんとなく、生活臭のない文章で、じわじわと話を積み上げるので、無駄に長いとは思わない。ある気分を描くのに必要な量と思わせる。軽妙そうで重いような、読みようによっては、村上春樹風の雰囲気を感じないでもない。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
先月は発行をお休みしたので、新年の抱負をすっとばしてもう2月も終わりです。いろいろなことがありました。
2年間お世話していた地域猫さんが猫同士のバトルの果てに亡くなって、一気に無常観が強くなりました。『ブッダの言葉』を読んで、執着しないようにと思っています。日常生活を続けたいと思って続けて、仕事があって、そして感じるのが、私は人を楽しませる仕事をしているということです。人に喜んでもらうことが私の仕事です。人生って、やってもやらなくてもいいようなことであふれていて、でも一生懸命に抱え込んだり一喜一憂したりしていません? 人生の時間をどう過ごすか? これは前から私のテーマですが、死を感じるといっそう身に迫るものとして考えます。結論としては、今を楽しむ、今を生きようと思います。満足感は、社会や身近な人との関わりの中で生まれていると感じます。
私は物を作る人なのに、執着しないというのは我ながら不思議な気もしますが、今を楽しむための物づくり、というスタンスです。
人生が豊かになって、濃い時間が流れるような、そんな物づくりをこれからもしていきたいと思います。
自分のスキルを役立てて、本の保全をLe Petit Parisienという書斎で行いました。自分の特殊能力が役に立ちました。
革表紙がツヤッとして、本棚に映えています。
朝日カルチャースクールでの『雨ニモ負ケズ』豆本を作る二時間講習も、皆さん良い笑顔で、いろいろとお話されて帰られて、とてもよい時間になったなと嬉しかったです。
私自身は、これまで時間がなくてなおざりだったファッションを楽しんだり、大人バレエで自分の体と向き合ったりしています。コンタクトデビューもして、毎日が楽しいです。
コンタクトのつけはずしをする時、私っていつのまにか器用になったなあと実感しました。
行徳新聞、いちかわ新聞で紹介されました。地元でいつも読んでいたフリーペーパーへの掲載、嬉しいです。
1月に本のスケッチを、スケッチブック2冊分描きました。
今は、石と水の絵を、毎日2枚ずつ描いていますが、見ると辛いような絵になってしまっています。これはそのうち豆本になるのかならないのか。
今年の遠い目標は、『一千一秒物語』全集を作ることです。
デザインは決めて、今は箔押しとモザイクの技法を少しずつ学んで、力をためているところです。
在庫ぎれになった『雨ニモ負ケズ』を少しずつ製本したり、通販対応したり、一人の手でできる小さなことを、地道に積み重ねています。
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■この先のイベントの予定
4月末~5月のゴールデンウイーク、名古屋へ行きます。
豆本と活版のイベントです。私が行く日は5月7日(日)の予定です。
9月末~10月初め、三省堂に出ます。
10月末、香港に呼ばれて行きます。
小さな本の教室のプライベートレッスンは随時受け付けています。
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■言壺便りについて
私の今年2017年の目標は、今しかできないことをする。
素顔が笑顔の人になる
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