消耗品でなく、読んでもらう努力の小野友貴枝「夢半ば」日記
「夢半ば」(小野友貴枝)日記」の4巻を刊行して以来、各方面に働きかけ、その努力の地元の書店が店頭に平積みしてくれるほどだという。《参照:「夢半ば」日記知名度が拡がる=小野友貴枝》
まさしくライフワークとしての作家活動の読んでもらおうという意欲は、称賛にあたいするであろう。作品は消耗品ではないということを自ら証明してるのである。
内容的にも、少女少年時代の記憶というのは、事実と同じとは限らない。しかも、大人になると自分の子ども時代の心理を忘れて失ってしまう。そのため親子の対話を成立させるためには、学ばねばならない。もし、少年期を覚えていれば、学ぶ必要はないのかも知れない。世代の断絶も減らせるかもしれない。そういう意味で思春期のナマの記録は検討にあたいするであろう。
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