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2017年2月14日 (火)

 ポスト真実時代の沈黙の意味「名辞以前」佐藤 裕

 「詩人回廊」の「名辞以前」(佐藤裕)には、言葉が汚れてしまったという時代の空気が読める。
 聖書には「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。」( ヨハネによる福音書1章1節)とあるが、そう考えるひともいるだろうが事実は石や物があって、それ以前に沈黙があった。
 中原中也は「汚れちまった悲しみに」と愛の喪失を歌った。
「名辞以前」には、
言葉は 汚れている/沼地の流動は/言葉を得て 死んでしまう/氷河のように/ 寒さに 固まってしまう/
心の中で 蠢いていた/温かさが どこかに霧消するーーとある。
  言葉があるから、嘘が成立しやすくなる。猿がウソを嘘をつく様子を観察したら、面白いかも知れない。現代は、それが嵩じてついに「ポスト真実」という言葉の蜃気楼に人々の心が操られる。
 沈黙の段階の心の動きを、言葉が純粋に表現できるのか。その手法の以前に、発想を戻さなければ…。(北 一郎)

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