産経【文芸時評2月】 早稲田大学教授・石原千秋
松浦理英子「最愛の子ども」(文学界)は、おそらく横浜にあるだろう私立玉藻学園高等部(若い頃、フェリス女学院大学の『玉藻』という国文学系の雑誌論文を何編もコピーしたものだ)が舞台で、いきなり今里真汐(いまざと・ましお)の「女子高校生らしさとは何かというテーマで作文を書くようにと言われましたが」ではじまる作文が提示されて、白けた。保守的な「らしさ」への批判はもう昭和初期からはじまっているので、「なにをいまさら」と思ったからだ。フェミニズム系のテーマとしても「女らしさ批判」はもう古くさい。
そう思って読み進めたら、不思議なことに気づいた。今里真汐たちのグループの少しばかり知的で少しばかり刺激的な女子高生活は、同級の「わたしたち」から見られ、語られる構成となっているのだ。「放課後わたしたちは、担任の唐津緑郎(ろくろう)先生に呼び出された今里真汐が職員室から戻ってくるのを、教室で待つともなく待っていた」というふうに。それでいて、「わたしたち」が誰なのかわからない。「わたしたち」は、すっかり成長したワセジョでもあり、まだ「言ってみたい~」と授業中に声にしてしまうワセジョの卵でもあるような不安定なポジション。そのポジションが今里真汐たちの揺れをみごとに読者に伝える。見て、語るポジションを「わたしたち」として抽象化し、それを同級生から少しずらしながら動かす方法があるとは思いもつかなかった。素直に感服した。
【文芸時評2月号】不安定なポジションの妙 早稲田大学教授・石原千秋】
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コメント
雑誌や新聞の記事の紹介はありがたく、注目しております。
このような紹介記事の場合は、全文引用なのか、一部引用なのか、この欄の記者によるまとめなのか、わかるように記述していただきたいです。引用部分には「」を付けるなどして明示してください。
投稿: e.ogi | 2017年2月 6日 (月) 14時22分