文芸同人誌「風恋洞」44号(秦野市)
本誌はfriendという副題を持つ。編集の狙いはサイト<作家・小野友貴枝の広場>にも記されている。
【「久美子の家族」小野友貴枝】
久美子が結婚した娘の家庭に出入りし、孫と交流する過程でのさまざまな出来事と想いを記録している。もし、結婚して家を出た娘の家庭と関係を持っている人たちが、これを読んだら、生々しい記録ぶりに共感か、もしくは反論をしたくなるであろうと思わせる。書かれたことの社会的意味づけを理解することなし、この作品の面白さは理解できないかもしれない。教科書的な意義をもっている稀有なものと思う。
登場するのは、久美子の娘の珠江と孫の二人、それに夫の姿が少しばかり見える。すべて久美子の視点をもって、描かれている。そして長女の珠緒と一緒にいると、「触れている部分がなんとも言えないざらざら感、そこから緊張感が流れてくる。自分の娘でありながらこれは何だろうと思う。そしてその異物感は、いつからどのように感じ始めたのかわからない。物体でなく、感じるものなので、具体的に説明しようがない」
まさにその感じが、その周辺が鮮やかに切り取られている。作者の書く意欲が、随所に象徴的な意味をもって、読者に迫るのである。当然、その事情に解決はない。
【「息子と私」盛丘由樹年】
父親「私」から感じた息子との関係である。息子は、しばらくの間、独居して社会生活をしていたが、何かの理由で、両親の家にもどり、就職しないで生活をしている。運転免許も更新しない。いわゆる引きこもりに属する状態なのであろう。
「私」は、そうなった原因を、自分と息子の間に何かがあったに違いないと、親子関係のこれまでを、少年時代からさかのぼって、回想し点検する話である。
息子は、「私」が会社からいわれて50代で希望退職した時期に、東京のアパートで一人暮らしをしていた。息子は、高校をでたと同時に漫画家になるのだといって、家を出て独り暮らしを始めた。あとから、漫画家志望というのは、家を出る口実であったのかもしれない、と「私」は、推測する。「私」は、息子の将来を案じるが、それは息子自身に委ねるしかない――。そしてこの問題にも解決はない。
文学においては、人間性を掘り下げるために、また認識を深めることに面白さを求める。痛快な活劇を観たり読んだりする面白さではない。本誌の2作品はその意味で、事情を読者に投げ出して語り、その認識を問いかけるというスタイルは、ありそうでなかった文芸同人誌の新しい道を拓く可能性をもっているのかも知れない。
発行所=〒257-0003秦野市南矢名1-513-4F,小野方、「秦野文学同人会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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