文芸同人誌「相模文芸」第33号(相模原市)
【「新時代を迎えた文芸同人誌」木内是壽】
文芸評論として、明治期にはじまった文芸同人誌と商業文芸誌との関係、近年の国文学系の学術誌などの廃刊、休刊の時流に触れる。そのうえで文芸同人誌の全国組織として、森啓夫氏の「文学街」、五十嵐勉氏の雑誌「文芸思潮」などの活動を記す。
さらに現状としての文学フリーマケット「文学フリマ」が東京において、600グループ、大阪で300グループの市場が生まれたことが記してある。じつは、ここでの「文学フリマ」というのは、過去の話。すでに同人誌だけの市場ではなくなり、現在は文学作品のフリーマケットとなっている。市場としての機能も、12017年早々の1月22日に京都、3月には前橋、4月には金沢、5月には東京と、ほぼ毎月のように全国の各地でフリーマーケットが開かれ、合計で3000を超える文学グループが作品を即売するようになった。
これは「作家は個人という存在」意識の高まりから、単行本が多くなり、1日で100冊以上即売するという一般書店顔負けの強い市場力をもつようになったことによる。いまや「文学フリマ」は同人誌もある文学市場になっているのである。また、ここでの同人誌は合評会というのをしない傾向にある。価値は見知らぬ読者が買うことで決まるからである。
【「工場と時計と細胞」外狩雅巳】
この作品は「詩人回廊」サイト(外狩雅巳の庭)にシナリオ風に断片的に執筆したものを、作品としてまとめたものである。
形式としては、プロレタリア文学的手法で、工場労働者の労働実態が活写されている。舞台は大田区の外資系ゲーム機製造工場の労使対決の一場面である。
話は小さな町工場を転々としてきた労働者が、日本の高度経済成長の途上で、ある程度経営基盤のしっかりした中堅企業に入社し、時代の波に乗って大企業になろうとするなかで、働く機械として非人間的な状況に置かれてゆく労働者の権利を確保する組合づくりの過程が描かれている。特に大田区は、共産党の活動拠点として、労働運動が盛んな時代が長く続いた。
その時代の状況を多摩川に沿った大田区という工場地帯の雰囲気を烏の眼として俯瞰的にとらえている。さらに企業内でのベルトコンベアの流れに組込まれた工員たち、会社からの指令を実現する管理職という、それぞれの視点から描き、組合結成を阻止しようとする側。組合結成によってストライキ権を確保する労働者の立場を描いている。日本の資本主義社会の製造現場が歴史的な一場面として、ドラマ性をもって描かれているのは、興味深い。本作品は、自分の表現しようとしているものの形がつかめない段階で、まず「詩人回廊」に書き起こした。そして、その自分の表現したいものはこうではないかと、まとめたということになる。その意味と表現法の追求行為がともなうゆえに文学作品たりえるのである。すでにわかっていることを、その通り書いても、それは線を引いてあるものに色を塗るだけの「ぬり絵」に過ぎない。ぬり絵を美術だという人は変人である。
プロレタリア文学には、芸術的価値と社会的価値の双方が要求されることから、その姿も変化してきている。
偶然かどうか、作者が「詩人回廊」にメモ風に書きとめ、構成などを推敲している間に、雑誌「民主文学」の17年1月号に、仙洞田一彦「忘れ火(連載第1回)が掲載されはじめた。この作品を読むと、地域性や企業の製品などからして、同じの企業でしかも、この企業が大企業に成長したのちの舞台設定である。ここでは、主人公がリストラとしてクビにされないが、窓際族として処遇されるような予感をさせるもの。おそらく、企業内組合活動で標的にされた男の戦いが描かれるのではないか。合わせて読むのもひとつの趣向であろう。
発行所=相模原市中央区富士見町3-13-3、「相模文芸クラブ事務局」担当・竹内健。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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