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2016年9月30日 (金)

西日本文学展望「西日本新聞」2016年9月29日、朝刊=長野秀樹氏

題「現実の捉え方」
田原明子さん「もしかして」(「海峡派」137号、北九州市)、まえだかずきさん「嫌疑」(「詩と眞實」807号、熊本市)
「詩と眞實」より下川浩哉さん・中山秀人さんの追悼特集は遺稿・宮川行志さん・今村有成さん・中村青史さんなどの追悼文、藤代成実さん「終のひかり」(「照葉樹」2期10号、福岡市)、「九州文学」(7期35号、福岡県中間市)より右田洋一郎さん「カノン」・野見山悠紀彦さん「銀煙管冥土土産(ぎんぎせるめいどのみやげ)」、水島瞳さん『ロザリオの鎖 駆けぬけた青春の記』(編集工房ノア)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年9月29日 (木)

文芸時評(東京新聞9月29日付)佐々木敦氏

宮内悠介「カブールの園」ルーツを失う運命描く
星野智幸「眼魚」怒りに近い激しい寓意
《対象作品》
 永久保存版「群像短編名作選」(「群像」10月号)/辻原登、三浦雅士、川村湊、中条省平、堀江敏幸による座談。清水良典と坪内裕三による評論「群像70年の短編名作を読む」(同)/侃侃諤諤」(同)/宮内悠介「カブールの園」(「文学界」10月号)/星野智幸「眼魚」(「新潮」10月号)。

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2016年9月26日 (月)

「赤毛のアン」は大人の読み物だった

  東京国際ブックフェア2016で、茂木健一郎博士の講演を聴いたことは先日に書いた。《参照:人口知能に負けない「本の読み方」茂木健一郎氏講演から
 しかし、この体験は、会員の山川豊太郎氏が「成人男子のための『赤毛のアン』入門」(文芸同志会発行)=(100円:送料別)>で、評論として文学フリマで冊子化し、毎回売り切れの状態であるものだ。《参照:文学フリマ東京参加!書き手と読者が対話を楽しむ
  山川氏は、もう賞味期限が切れたと言ってるのだが、まだまだ読者を獲得しそうだ。

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2016年9月24日 (土)

2016東京国際ブックフェアに行く

きのう行ってきまた。《東京国際ブックフェア2016が開幕=東京ビッグサイト》いまさら宣伝でもないけれど、文芸同志会はVIP招待券で休憩室でコーヒーが飲めるんです。飲んでる暇はないけれど。記事からは、あとで、書くので外しましたが、茂木健一郎の「人工知能と読書体験」の講演が面白く、良かった。内容は、人工知能は統計学的なことには人間を超えるが、体験そのものはしていない。出来ない。こんなことも言っていました。《偏差値教育批判
 講演の質問の時に、前列にいた「内田先生」という人が読書体験の言語でなくても翻訳でも良いものは良いと感じることの意義はなにかと質問していた。この内田先生とはおそらく、その前に講演をした内田樹氏だと思う。
講演が終わっても、茂木氏の話を聞いておこうとしているところが、面白いですね。

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2016年9月23日 (金)

谷崎潤一郎の最初の創作ノート「松の木影」など全集に収録

 作家の谷崎潤一郎(1886~1965年)が残した創作ノートやメモの全容が分かり、今月刊の『谷崎潤一郎全集(全26巻)』(中央公論新社)第25巻で初めて公開された。円熟期から晩年にかけての小説や随筆、未発表作などの構想が同時並行でつづられた“アイデアの泉”。性と美の世界を追求した谷崎文学の創作過程を伝える貴重な資料だ。
 第25巻に初収録されたのは最初の創作ノート「松の木影」(昭和8年春~13年夏ごろ)から絶筆メモに至る計11点。折に触れて一部は紹介されてきたが、全集編纂(へんさん)に合わせて全容公開に踏み切った
《参照:産経新聞性と美の“アイデアの泉” 谷崎潤一郎創作ノート・メモ類

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2016年9月19日 (月)

文芸同人誌「あるかいど」第59号(大阪市)

【「海始まる」木村誠子】
 冒頭にランボーの詩「永遠」の金子光晴訳のものが、提示されている。「永遠」は、多くの訳があり、表現が異なるが、自分は堀口大学のものが好きだ。
 父親が他界した時に、49歳になって急に仕事をやめた「私」は、母親に苦情をいわれ、再就職したが、そのときに、思いだしたのが、高校生時代にボランティアで参加したホスピスのことで、そこでアオオオカミと称する老人との出会いである。そして、ポルトガルの海で、ランボーの「永遠」の観照体験をすることで、社会生活を一歩進めることを決心する。ほとんど自己表現に徹した散文詩のようなもの。詩的インスピレーション表現と、散文が混在させた人間性への信頼を回復することを骨子とした作品であろう。ただ、50歳になろうという人間が、自分探しをするような時代の幼稚化に対する作者の見識を明確に表現すべきであろう。
【「サンタクロースなんかいるもんか」泉ふみお】
 貧困から高校を卒業できるまでにこぎつけた俺という少年の独白体。父親が生活保護を受けるなかで、俺は高校進学をしようとするが、父親入学させないことを高校に宣言に行く。しかし、そこの高校は、俺の入学を認めてくれる。
 その校長の教育精神の高さに比べ、入学した生徒の向学心は薄い。昔でいえば、不良の巣だ。だからこそ手とり足とりの教育が必要と、校長が判断したのかーー。この状況の描き方が面白い。やがて少年は、父親の心の内を知り、社会の奥深さを知る。人情味をもって夢をもちつづけることの大切さを示す意味がタイトルに込められているようだ。
【「オーバー・ザ・リバー」高原あふち】
 韓国籍から日本人に帰化した準という男ががんで死亡する。その男が幽体離脱して、上から自分が残してきた家族についての回想をする。それから視点を妻のほうに移して、生活の苦労を語る。二人の交互の独白で過ごしてきた時間の中身がわかるという手法。一視点では、重くもたれるようなテーマを対話風に進めて読みやすい。また、差別意識への問題提起をさりげなく含ませるなど、娯楽小説的ななかにテーマ性を強く盛り込んでいる。
【「内臓」善積健司】
 優と南上という幼馴染みで、大学も就職した会社も同じ。さらに女友達も同じで、その肌を共有するような関係の友情とライバル心を描く。同じ女友達を抱くことで、対抗心を燃やす南上の心理を描く。おちがあるので、一応の娯楽小説に読める。しかし、底が浅いのではないか。
 現代のエンターテイメントでも、こうした自己存在感の確認をテーマにして味の濃いものが通常化している。日本でのミステリーとされる分野の作品が、海外では純文学と目されているものもある状況を知ってほしいものだ。それらに、共通しているのはキャラクター表現に作者の思想が盛り込まれていることであろう。反逆精神なくして文学は芸術たり得るのであろうか。かつて米国におけるレッドパージの対象となったD・ハメットのハードボイルド小説「血の収穫」は、ジイドが文学芸術性を評価したが、そこには資本主義の欠陥を指摘する視点の文体があったからだと思う。現代ではJ・クラムリーなどが暴力と金にひたる人間の愚かさを浮き彫りにした探偵小説を書いている。
【「白鳥の歌」高畠寛】
 文芸同人誌で書く人にとって、面白さではこれが一番かも知れない。自己の同人雑誌生活を軸に、3・11福島東電原発事故への批評を行ったものである。作者をモデルとする邦夫は、1965年に大阪文学学校に入り、その2年後、そこの講師となる。当時から文筆にたけていたことがわかる。彼の人生は、1960年に大手不動産会社に入社し、1997年に定年退職。38年間勤めた。同人誌発表の作品と実生活の関係をノンフィクションで語る。なかには、作品が日本経済新聞社から出版の話が出るが、内容の扱いについて、不都合があり、出版を断るというエピソードもある。これは、商業性よりも自己表現にこだわる同人誌作家ならではの出来事であろう。
 ただ、本編での読みどころは、小説的なドキュメントとして書かかれた文体である。散文としての新しいスタイルの変化の可能性の道を開拓する手本としても読めた。全面的に支持するものではないが、そのこだわりに共感するものがある。
 発行所=〒545-0016大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年9月16日 (金)

文芸同人誌評「図書新聞」2016年8月13日=越田秀男氏

  《対象作品》「星と花 R共和国奇譚」(井本元義/海第16号)/「山毛欅と桂と」(金山嘉城/裸人30号)/
 「うぶすな参り」(長沢とし子/サボテン通り16号)/「象のいた森」(宇佐見宏子/海・第93号)/「骨の記憶」(木澤千/九州文学第34号)/「港の春」(坂本紀美子/佐賀文学33号)。
《参照:評者・越田秀男=井本元義の小説(「海」)、「裸人」)戦争孤児をテーマとした複数の作品も目を引く

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2016年9月15日 (木)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2016年9月2日)白川正芳氏

先号紹介の犬童架津代「日光行き その二」(「海峡派」136号)より横田すず「横田商店」、逢坂みずき「わたしの原風景」(『1833日目 東日本大震災から五年を飲む』塔短歌会・東北 平成28年7月11日発行所収)、「法政文芸」12号の特集「表現規制と文学」より中沢けいの魚住昭へのインタビュー、「文人墨客」第零号より「今を生きる」文章響田由布子と挿絵内山大助・「ライバル賛歌」文章氷月あやと挿絵岩田健太郎
財界人文芸誌「ほほづゑ」2016夏(89)号は特集「オリンピック」、藤本恵子「亀」(「ずいひつ 遍路宿」209号)、富山典彦「華麗なるハプスブルグ帝国-その永遠の光芒(二)」(「成城文芸」135号)、とうやまりょうこ「リサ」(「孤帆」27号)、鮎沢しほり「早春」(「あべの文学」23号)、小坂忠弘「玄冬の卓」(「海馬」39号)。
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2016年9月13日 (火)

同人誌季評「季刊文科」69号・谷村順一氏

  不安定さを描く
《対象作品》南奈乃「ガラスの城」(「てくる」19号・大阪市)/小畠千佳「アゲハの卵」(「あるかいど」58号・大阪市)
/赤井晋一「僕とマリーのヘソの夢」(同)/秋月ひろ子「白いドレスの女」(「小説家」第143号・千葉県)/秋尾栞里「私の友だち」(「白鴉」第29号・尼崎市)/丸黄うりぽ「パーソナル・フェイス・アップデート」(同)/飯田労「かえるのおなか」(「彩雲」9号・浜松市)/佐藤美友紀「卵のお菓子」(「日曜作家」第13号・大阪市).

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2016年9月12日 (月)

文学フリマ百都市構想への達成迫る。大阪文学フリマ・9/18日

 文芸同人誌といえば、文学フリマの時代になりつつあると感じます。《参照:文学フリマ百都市構想の一つ大阪文学フリマ》9月18日

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2016年9月 6日 (火)

「中部ペンクラブ文学賞(第29回)「犬が鳴く」(阿部千絵)の印象

  何が文学芸術で、何が通俗小説なのか、最近は文芸雑誌を読んでもはっきりした区分けがしにくくなった。だいたいそんな区分けができるのかどうかさえ疑問である。そのなかで、短編なが文学芸術であると、されているのが、 「中部ペンクラブ文学賞」(第29回)受賞作「犬が鳴く」(阿部千絵)である。そのの選評の概要ついて、《文学コミュニティとしての「中部ペンクラブ」(下) 》に記した。
 先に、東京新聞の文芸時評で、佐々木敦氏が、純文学においてもそれが物語である以上は、終わりを書かねばならない、それが作品の完成度に問題を感じさせると、述べていた。それに呼応するというのも後先でへんだが、「犬が鳴く」には、終わりがない。主人公のおかしな立場は、そのまっま継続されて、途切れている。
 その意味では、受賞作は前衛的ではある。かつてというか、今でもというか、J・ジョイスやカフカは前衛的な作風として知られているが、それらもとくに終わりはない。特に、カフカは主人公のおかしな状況が、かわることはない。「犬が鳴く」という作品は、現代人が状況がおかしいという違和感のある場合でも、なんとなく無意識的に、それに惰性のように流されていく人間の、ある一面を鋭く突いている。いわゆるカフカ風の手法は、形を変えてすでに前衛的でなくなっているのかも知れない、と思わせるところがある。

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2016年9月 4日 (日)

西日本文学展望「西日本新聞」2016年8月31日(朝刊)長野秀樹氏

題「『筑後という風土』」
椎窓猛さん発行「村」7号より「はじめに」・「編集後記」・牛島頼三郎さん「矢部峡谷の棚田考-矢部の自然と棚田の分布」・椎窓さん「雨田川橋」
山本友美さん「新家族」(「河床」35号、福岡県広川町)
前出「河床」より田島栄さん「文学を愛する友人へ」・上野かおるさん「下村さんの家」・山川真一さん「古希回想」
志村有弘さん「忘れ得ぬ九州の作家と文学」(パワプラ出版発行)
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2016年9月 2日 (金)

文芸時評9月(産経新聞) ヘンな「私小説」 早稲田大学教授・石原千秋

  「細雨」は、夏目漱石における『吾輩は猫である』のような位置づけになりそうだ。25歳の図書館員の倉持里沙の目を通して、彼女が気むずかしい中年作家・宇留野伊織に頼るようになる心の揺れや、彼の図書館でのやや滑稽なあれこれが語られている。猫と苦沙弥(くしゃみ)先生の関係だ。エピソードを読んでいくうちに、現代の図書館事情がわかるのも面白い。
 冒頭の第2段落はこうだ。「倉持里沙は、相変わらずきょろきょろと周囲を見回しながら、改札へ向かうのであろう階段を降りた。改札を抜けるとまた地上へ出たが、案の定そこは商店街だった」。傍点部は、ふつうなら「改札へ向かう階段」となり、「案の定」は書かれないことが多いだろう。つまり、語り手は倉持里沙の視点を離れないぞという宣言である。しかし、「相変わらず」は語り手の判断だろうから、倉持も語り手に見られている。この微妙なバランスがいい。宇留野が「閲覧室で妙な本を見ているおじさんがいたな」と言えば、倉持は「自分もおじさんであることはわりあい忘れているらしい」と思う。この距離感もいい。そして、他の図書館に異動が決まって宇留野にその挨拶(あいさつ)をした最後の段落に、別れと出会いが同時にやってくる春の趣があってことにいい。
 《おかしさがこみ上げてくるヘンな「私小説」 早稲田大学教授・石原千秋

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