湿潤な夏の日々
ある蒸した暑いある夏のことだーこのような出だしの小説に、ドフトエフスキーの「罪と罰」と埴谷雄高の「死霊」があるのを思い出す。それほど好きとは思っていないのに、ドフトエフスキーの著作はかなり持っていた。すべてが旧約で、過去形である。おそらく鬱と躁の取り合わせが、その時の気分に合うことがあったのであろう。今年は、家にいると空調かけずにはいられず、かけると頭痛がするという始末で、図書館に駆け込んだ。なんとなく、「罪と罰」を読んでしまった。以前は陰鬱だと思っていた表現が、今の時代の方が陰鬱なせいか、さほどに思わず、また希望的な表現も、さほど明るくおもわず、陰影の格差が狭く感じられた。意味がくっきり受け取れたように感じたのは、広い部屋の平坦な空調の環境であったのであろう。同人誌も読んでいるが、進んでいない。それを紹介するまでは、頭が働かない。
| 固定リンク
コメント