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2016年8月 1日 (月)

近藤圭太氏のスピーチライター論と言葉の唯物論

 このところ、またぞろ米大統領候補のトランプ氏が、イラクで戦死したイスラム教徒の米兵の両親が、トランプ氏を「邪悪な人間」と呼んで非難。これに対し、トランプ氏が、あれはクリントン候補のスピーチライターが書いたものを発言したのだと反論。すっかりスピーチライターの存在がクローズアップされた。
 先日、スピーチライター専業の近藤圭太氏が東京にいたので、その記事を書いたところ、近藤氏からあれでは「不十分」という異論をもちかけられた。そこで、それを言葉に対する理論として「ことばの力」のひろばで解説してもらうことにした。《参照:スピーチライターの定義についての一考察(上)近藤圭太
 自分としては、言葉は音の振動であり、物に書けばそこに置かれた物質である。これは横光利一が純粋小説論で述べていることである。その延長として、人間はその置かれた文字の並び方で、意味を感じる存在である。現代詩のなかには、意味不明な言葉の羅列があるが、これは日本庭式庭園で並べられた石の意味を感じ取るように、期待して設計しているのである。しかしその意味伝達が作者の考えた通りに受け取られるとは限らない。ことばに意味をどう受け止めてもらうかのテーマに沿った話に展開することを期待した」い。

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