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2016年8月31日 (水)

文芸時評8月(東京新聞8月39日)佐々木敦氏

舞城王太郎「Wouldo You PLease Just Stop Making Sense?」夥しい「謎」宙吊りに。
岸政彦「ビニール傘」意想外の結末良い。
≪対象作品≫
舞城王太郎「Wouldo You PLease Just Stop Making Sense?」(「新潮」9月号/群像新人賞受賞作1作・乗代雄介「本物の読書家」(「群像」9月号)/岸政彦「ビニール傘」(「新潮」9月号。

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2016年8月28日 (日)

「中部ペン」第23号に読む地域文学の状況

 文芸同人誌といえば、今では即売会「文学フリマ」の参加だけでも1000を超えている。これから増加の一途をたどるであろう。その一歩で、伝統的な文芸同人誌の文学コミニュテイ「中部ペンクラブ」の活動を雑誌「中部ペン」の内容から、その位置づけを思いついた。《参照:文学コミュニティとしての「中部ペンクラブ」について(上)》
 考えがまとまれば良いのだが、おそらく同人誌活動の典型として最も適した活動をしているのが「中部ペンクラブ」ではないか、と思って取り上げた。

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2016年8月27日 (土)

豆本作家・赤井都さん国際コンペで9年ぶり3度目の受賞

  赤井都さんの作品『月夜のまひる』が、国際豆本コンペ「ミニチュアブックコンペティション2016」ミニチュアブックソサエティ(本拠地アメリカ)で受賞した。9年ぶり3度目の受賞である。《参照:赤井都さんが国際”豆本コンペ”2016で3度目の受賞
 赤井さんとは、第1回文学フリマで知り合い、その後ネットのPJニュースで取材記事にさせてもらった。当時から、一定の売り上げをもつ作家であった。まもなくメジャーになったが、作品の文学的芸術性についても優れた才能があり、その美意識が豆本での美術センスにあらわれている。
当初、古書店の柏光書房からのブログの素材に使用を依頼されて提供した。《”豆本コンペ”で日本人初受賞 ―竹と紙に国際的評価

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2016年8月24日 (水)

殺人ロボットの活用時代に

電子技術お発達で、ドローンや自動運転車が開発されているが、それはそのまま戦争に使われることが多い。
 もともとラジオなど、通信技術は戦場連絡用に開発されたものだ。インターネットも軍事用専用であったものを民間に技術公開したものだという。米国では、共和国制度の合衆国なで、州兵制度で、軍隊が治安に動く。
 《米国の今(2)》で書いたように「7月7日、ダラスでBlack Lives Matter運動の非暴力デモの最中、退役軍人マイカ・ジョンソンが警官五人を射殺し、イラク戦争で使われたロボット爆弾で殺される。」ことが起きている。警察の活動が過激化しているのが米国の現在なのであろう。近未来小説がはやるのも、こうした時代の空気を反映しているようだ。

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2016年8月23日 (火)

小泉今日子さん…上半期 心に残った本

  セミが大合唱している猛暑の中、お正月に放送予定のドラマの撮影をしていました。熱中症になりかかりながら、薄いピンクのモヘアのニットにロングスカートという扮装ふんそうでダラダラと汗かきながら炎天下で演技をする。役者というのは時に残酷な仕事だと思う。撮影が全て終わった今は、冷房の効いた部屋の中で本を読む幸せを存分に味わっています。
  木内昇『よこまち余話』/彩瀬まる『やがて海へと届く』/桜木紫乃『裸の華』
読売新聞《上半期 心に残った本…小泉今日子さん

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2016年8月22日 (月)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2016年8月5日)白川正芳氏

「週刊読書人」第3151号(2016年08月05日)「文芸同人誌評」 犬童架津代「日光行き その二」
「星灯」3号特集「夏目漱石没後百年」より小森陽一「私を漱石研究者に転換させた『こころ』」・北村隆志「カトリックと社会主義、そしてサルトル-加藤周一論ノート(2)」
宇佐美宏子「象のいた森」(「海」93号)、猿渡由美子「ミスター・ヒビキ」(「じゅん文学88号)、岡山晴彦「短歌 百八首」(「ペガータ」17号)、石川好子「五年目の『三月十一日』(「文芸きなり」82号)、松井升子「虫しぐれ」(「佐賀文学」33号)、大宮麟「マイ メモリーズ」(「全作家」102号)、立石富生「或る帰郷(後編)」(「火山地帯」186号)、木宮節子「婚姻届」(「札幌文学」84号)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年8月21日 (日)

湿潤な夏の日々

  ある蒸した暑いある夏のことだーこのような出だしの小説に、ドフトエフスキーの「罪と罰」と埴谷雄高の「死霊」があるのを思い出す。それほど好きとは思っていないのに、ドフトエフスキーの著作はかなり持っていた。すべてが旧約で、過去形である。おそらく鬱と躁の取り合わせが、その時の気分に合うことがあったのであろう。今年は、家にいると空調かけずにはいられず、かけると頭痛がするという始末で、図書館に駆け込んだ。なんとなく、「罪と罰」を読んでしまった。以前は陰鬱だと思っていた表現が、今の時代の方が陰鬱なせいか、さほどに思わず、また希望的な表現も、さほど明るくおもわず、陰影の格差が狭く感じられた。意味がくっきり受け取れたように感じたのは、広い部屋の平坦な空調の環境であったのであろう。同人誌も読んでいるが、進んでいない。それを紹介するまでは、頭が働かない。

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2016年8月18日 (木)

作家・田丸雅智の小説をレシート掲載。三省堂書店が提供8/21まで

  三省堂書店の約30書店でショートショート作家・田丸雅智氏とのコラボ企画「レシート小説」を始めた。店内のすべての文庫本を対象に、購入者に田丸氏書き下ろしショートショート作品「POP職人」が印字されたレシートを無料で提供する。新刊『夢巻』(双葉文庫)を刊行記念して企画された。神保町本店2階、文芸書コーナーで田丸氏の著作を中心にしたフェアも行っている。田丸氏はキノブックスが主催する「ショートショート大賞」審査員長も務め、ショートショート作家の育成にも取り組んでいる。8月24日には池袋本店で同大賞の応援団で劇団EXILEの秋山真太郎さんとショートショート講座を開く。「レシート小説」は8月21日まで。

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2016年8月16日 (火)

【文芸月評(読売新聞)8月】農業で迫る人間の営み

高村薫さん(63)が、「新潮」2013年10月号から始めた連載小説「土の記」を完結させた。社会派ミステリーから出発し、『新リア王』で政治、『太陽を曳ひく馬』で宗教などと向き合った著者が、新作のテーマとしたのは、自然と農業だった。2010年の初夏、紀伊半島の宇陀うだ山地を舞台に物語は始まる。地区の棚田を耕す72歳の伊佐夫は、労力を軽くするため、苗の一株ごとの間を広く植える「疎植栽培」に取り組み始めた。苗が育ち、穂が出て、稲を刈る。稲の生育と農作業の様子が、細かく書き込まれる。
高橋弘希さん(36)の「スイミングスクール」(新潮)は、両親が幼いときに離婚した女性が主人公だ。愛犬の死、娘のスイミングスクール通い、神社の縁日、母の死……。淋さみしげな影を抱えながら、郊外の街で心優しい夫と9歳の娘を育てる姿を静かにつづる。
 戦争を扱ったデビュー作「指の骨」などから題材が変わったようでいて、微細な出来事をピンセットでつまむようにして物語の上に並べる精妙な手つきは変わらない。
破綻だらけの真っすぐさが愛いとおしいのは、中山咲さん(27)の「血と肉」(文芸秋号)だ。一人で出産を決意した妊婦が、海辺のラブホテルに住み込んで働き始める。老いた女性経営者はやがて、主人公に教会へ来るよう誘ってきた。性の欲望、宗教への関心、暴力の衝動。それら全てを長編に荒々しくぶつけた。
 一昨年の群像新人賞受賞者の横山悠太さん(34)は、短編「アジアの純真」(群像)を発表した。中国に留学した日本人とイスラム系の学生の短い交流を描き、多様な人間が住む世界の表面をなでた感触が残る。木村友祐さん(45)の長編「野良ビトたちの燃え上がる肖像」(新潮)は、格差社会が進む中、不安定な生活を送る側の人間に寄り添おうとする作家の決意がにじむ
参照:【文芸月評】農業で迫る人間の営み

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2016年8月15日 (月)

「法政文芸」第12号(2016)2作品に読む時代精神

 本号の特集「表現規制と文学」については《暮らしのノートITO「法政文芸」(第12号)特集「表現規制と文学」で問題提起》にその意義を社会的視点から記した。現在と大東亜戦争前と戦時中の言論統制の歴史的事実を否定的に学んでのこと思える。だが、文学的には、当時のメディアの大本営発表までの経過は、国民が自ら陶酔状態から求めた結果、という視点もある。戦場体験を積んだ作家・伊藤桂一は戦争への反省に足りないものがあると、語ったことがある。
 ところで、掲載された小説の収穫は「僕の兄」(工藤はる花)であろう。作者は女性のようだが、作中の語り手は「僕」である。幼年時代に、兄に連れられて、自転車で見知らぬ遠い場所に連れていかれた記憶が語れる。その時の心細さと恐怖感を味わう。心配した両親のもとに戻るのだが、なぜ兄がそんな冒険をしたか、わからない。「僕は時々、子供と大人が地続きであるということがどうしても信じられない」と記す。ここに、人間の人格形成へのみずみずしい感覚の問題提起が行われている。
 しかも、その作品構成力には、修練された技量をしのばせているようだ。話は、兄が若くして死んだことを葬儀の場を描くことで、読者に示す。弟という立場からそこに至るまでの出来事を思い越す。父母と息子の兄弟の4人家族。兄は、は中学、高校と思春期の成長の過程でつまずき、家出、引きこもりの問題行動を起こす。弟の僕はそれを横目で眺めて、成長過程を問題なく通過する。世間的に普通の「僕」に対し、普通でなくなっていく兄。自死とも事故死とも判然としない自滅死をする。その兄を見る視線は、なかなか普通を超えて、兄の苦しみを不可解のまま、それを否定しきれない心情を描き出している。僕の兄は何が問題だったのか、そこに現代的な家族関係の一般的な自然な姿を浮き彫りにさせる。
 日本が成熟社会に入る以前は、引きこもりをする余地はなかった。経済的にも社会成長のためにも、僕の兄のような存在は、是非もない否定的な問題であった。
 成熟社会を迎えた今、「僕」は兄のことを考え、なにかを理解しようとすることで、心の整理をつけようとする。かつての、前肯定でなければ全否定という対立関係での発想でなく、相手のなにかを理解をしようとする存在否定をしない社会文化の変化を感じさせるものがある。
 小説「人生コーディネーター」(中橋風馬)は、まさにITアプリケーション技術の発達が素材になっている。真人は、何事にも「ニーズに対応したシステム化」が日常生活に応用され、何事にも問題や不利益を回避し、順調にいくアプリを使う。ところが、アプリ使用の終了後も、独自にアプリケーションは、真人の行動を情報収集し続けて、彼の行動をコントロールしていることがわかる。
 多かれ少なかれ、我々は自分のために多くのシステムを活用し、そのなかで生活している。それが、地球温暖化現象となって、何事にも破綻があることを示している。しかし、それを押しとどめることができない人間性を浮きただせる話になっている。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。

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2016年8月14日 (日)

文学的地霊とポケモンの同居する水元公園へ

  水元公園は、日ごろから地霊の存在する場所ではないかと親しんできた。霊的な存在を感じるのは、街にも多くあるのだが、水元は草木の霊気があふれるよい場所である。ところが、先日行ってみたら、ポケモンスポットになっていた。《ポケモンGoの捕獲スポット水元公園=東京
 スマホで、そこに見えないものがが見えるというのが、なんか合理的な不思議現象だが、ドストエフスキーの作品や埴谷雄高の文学的霊性とつながらないところが、一過性の流行世相現象のような気がする。
 とにかく蒸し暑い湿潤ないやな空気が、林の木陰に入ると、涼しい風に気持が良くなる。善霊の存在を感じさせるよいところである。

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2016年8月12日 (金)

文芸同人誌「孤帆」Vol,27(横浜市)=外狩雅巳

  「孤帆」」は、永らく文芸同志会通信に送付している有力同人雑誌である。近年は連絡事務所の私の元へも届けられている。
 発行責任者のとうやまりょうこ氏が同級生の塚田遼氏などと19歳の時に創刊し、14年間にわたり継続中とある。
  言い出しっぺのとうやま氏の熱意が伝わって来る雑誌作りである。作品も体裁も強烈に訴えるものが感じられる。
  奥端秀影「旅の終わり」は面白く読めた。桃太郎伝説を茶化したり皮肉ったり深刻ぶらせたりの読みやすい作品。
  盲目になり、猿に説得され、猛犬や雉と一緒に育ての親の住む集落の全員を殺略する結末は警告的でもあった。
  とうやまりょうこ「リサ」は作者の等身大とも思える主人公真理子の日常と感情がよくわかり読み込まされた。
  二十年来の親友である美智佳が預ける14歳の娘との交流が細かく書き込まれ、少女が立ち上がっている。
  リサの父親とも旧知なので気さくに接近を図り、美智佳の疑惑を受ける破滅までの顛末が一気に読めた。
  塚田遼「it`sasexualwold-1」は、スピ-ド感ある進行で性的妄想に害された現代社会を描く長編を想像出来る。
  創り込まれた文章・筋書きと見合う生き生きとした登場人物。エロに囲まれた社会が空恐ろしく読み取れた。
  畠山拓「無原罪宿り」は、読書力が低く表面活字を眺めまわすばかりでどうしても主題に届かない。
  物語を書かなければならない男の日常は、虚実雑多な物語と警句や妄想等々に遮られ粗筋さえ頭に残らない。
  この4人は物書きとして啓発しあい・挑発しあい、作品の中に友情を込めているのだろう。羨ましい。
  良い紙(上質なコート紙?)にカラ-写真。そして、洒落た特集「あの景色を忘れない」等々。読ませて売る為の製本。
  そういえば、とうやま氏の同人仲間の北村順子氏からも分厚い自費出版の上製本「晩夏に」を頂いている。
  文芸好きの仲間が励まし合って向上している「孤帆」を読むと、こちらまで元気になって来た。感謝。
発行日=2016年8月10日。発行者=とうやまりょうこ。発行所・横浜市西区浜松町 6-13-402。頒価・1200円。
《参照:外狩雅巳のひろば

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2016年8月11日 (木)

文学フリマ短編小説賞=一次通過作品一覧(順不同、敬称略)

■一次通過作品一覧(順不同、敬称略)【文学フリマ短編小説賞】一次選考結果発表フェフオウフコ■一次通過作品一覧(順不同、敬称略)
フェフオウフコポォ「【応募用】吾輩は家猫である。」
須方三城 「おかしな妹」
尾多 悠 「おれの幼馴染《まおう》攻略法」
黛 カンナ「かませ犬の妹が土下座します。」
みつながめい「ギヤマンの音に」
南野 雪花 「サクリャクカの敗北」
一色一凛 「ゾンビ・レポート」
フィーカス「へい彼女、俺で妥協しない?」
Veilchen「マリア様は胎教中! ~処女ですが子宮に神の子が居座っています~」
秋澤 「メーデー、こちら棺桶の中でございます」
ひとみんみん「ライバルお嬢様カフェへようこそですわ」
いろは「一日一善の為なら何でもします!~結城瑞穂の独創ライフ~(200文字小説)」
森野 乃子 「王専用の人間盾」
田井ノエル「花婿は田舎貴族ですが、なにか?」
井戸正善/ido「干し柿」
メイリ「君に伝えたいこと」
ましの「君は幸福の果実」
高月怜 「婚約破棄された令嬢の娘と婚約破棄した王太子の息子は超現実主義者に育ちました」
樹里 「沙羅双樹の庭」
ヒロロ「妻を殺してもバレない確率」
紀舟 「私より先に死んでください」
九重 「小さな古着店」
清水セイリョウ「生まれた時からヤンデレの好感度+200%が付いていた結果」
泉 「赤い薔薇」
深海 「地域ねこ」
あかつき「追憶の指輪~西ローマ帝国最後の砦の物語~」
狼子 由 「電子の海、紅く染まれ」
たこす「泊まらせてくれない旅館」 風羽
洸海 「物語のつぼと魔女」
梨香 「末摘花の庭」
papiko「幼馴染とレアチーズケーキ」
伊簑木サイ「恋。それは甘くて苦いもの。」
山野ねこ「恋の相手は王子様(あなた)じゃ困る!」
ポォ「【応募用】吾輩は家猫である。」
須方三城 「おかしな妹」
尾多 悠 「おれの幼馴染《まおう》攻略法」
黛 カンナ「かませ犬の妹が土下座します。」
みつながめい「ギヤマンの音に」
南野 雪花 「サクリャクカの敗北」
一色一凛 「ゾンビ・レポート」
フィーカス「へい彼女、俺で妥協しない?」
Veilchen「マリア様は胎教中! ~処女ですが子宮に神の子が居座っています~」
秋澤 「メーデー、こちら棺桶の中でございます」
ひとみんみん「ライバルお嬢様カフェへようこそですわ」
いろは「一日一善の為なら何でもします!~結城瑞穂の独創ライフ~(200文字小説)」
森野 乃子 「王専用の人間盾」
田井ノエル「花婿は田舎貴族ですが、なにか?」
井戸正善/ido「干し柿」
メイリ「君に伝えたいこと」
ましの「君は幸福の果実」
高月怜 「婚約破棄された令嬢の娘と婚約破棄した王太子の息子は超現実主義者に育ちました」
樹里 「沙羅双樹の庭」
ヒロロ「妻を殺してもバレない確率」
紀舟 「私より先に死んでください」
九重 「小さな古着店」
清水セイリョウ「生まれた時からヤンデレの好感度+200%が付いていた結果」
泉 「赤い薔薇」
深海 「地域ねこ」
あかつき「追憶の指輪~西ローマ帝国最後の砦の物語~」
狼子 由 「電子の海、紅く染まれ」
たこす「泊まらせてくれない旅館」
風羽 洸海 「物語のつぼと魔女」
梨香 「末摘花の庭」
papiko「幼馴染とレアチーズケーキ」
伊簑木サイ「恋。それは甘くて苦いもの。」
山野ねこ「恋の相手は王子様(あなた)じゃ困る!」

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2016年8月10日 (水)

文芸同人誌「仙台文学」88号(仙台市)

【「あめふり」渡辺光昭】
 神尾勉は、就職活動に精をだすが、面接で良い印象をつくれず、状況は厳しい。同じように就活をする学友の片岡俊平と夕方、喫茶店で落ち合う。片岡の状況はやはり良くないのであるが、彼は、仕事がなければ作家を目指して生きて行きたいと、愚痴をこぼすのが癖だ。
 その時、窓の外の子供連れの母親が見える。子供は何かが気にいらない。ぐずって母親を困らせている様子が見える。
 そこから片岡が母親から見捨てられた、と思う出来事を体験した身の上話を語る。そのなかで、自分と良く似た、母親の子供と巡り合う。当時の写真なども見せる。母親が自分を見捨てて、再婚し、その子供と再会するドラマチックな話をする。最後に、トルストイの「アンナ・カレニーナ」の「幸福家庭はどれもが似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違った不幸の顔がある」という文言を引き合いに出す。
 そこで話は終わるが、彼と別れた神尾は、何故片岡がそんな話を自分にしたのか、それは彼の小説的な創作ではないのか、と疑問をもったところで終る。
 この作品の出来はともかく、小説的題材と、作品の構成について、ある効果を生んでいるところに注目した。
 それは、語り手の話のなかに別の人物が独立して表れ、間接的な伝聞のなかに、また物語があるという構成になっているからである。出来事が重層性をもって表現されるという手法である。漠然としたイメージで小説らしい素材を選んでいるうちに、そのようになってしまったのか、どうかはわからない。叙事と叙情の接合効果を狙ったものとして、面白い。
【「再読楽しからずや 金建寿(キムタルス)-古代日本史と朝鮮文化」近江静雄】
 日本古代史研究者・上田正昭の訃報から、かれの業績なかに「帰化人」と「渡来人」の意味性の異なることの指摘からはじまる。いつ頃から朝鮮半島をひとつとして見るようになったのか、とか高麗人というのは日本では、朝鮮半島の内国での区切りとしていたのか、など、歴史的な状況のちがいを知ることで、一面的な隣国へのイメージを変化させている可能性があるのではないか、を考えると、意味深いものがある。
【「尾形亀之助短歌一首の謎―扱いかねる溢れた才能―」牛島富美二】
 尾形亀之助の詩は読んでいたが、その実生活ぶりは全く知らなかったので、勉強になった。おかげで、存在感に対する自己充実性の源を垣間見たような気がした。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方。仙台文学の会。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年8月 9日 (火)

第29回中部ペンクラブ文学賞は阿部千絵「犬が鳴く」に決まる

  中部ペンクラブ文学賞の第29回に阿部千絵「犬が鳴く」(文芸同人誌「彩雲」第8号掲載作品)が受賞した。作品と選評は、雑誌「中部ぺん」第23号(2016年)に掲載されている。《参照:あいちウェブ文学館
本賞の最終候補ノミネート作品は、藤原伸久「標識(タグ)」(「文宴」123号)、紺谷猛「別離のかたち」(いなべ市「海」92号)、門倉まり「分身」(「じゅん文学」83号)、ながぬま宏之「カイロプラクティック」(「弦」98号)、飯田労「結願」(「彩雲」7号)、阿部千絵「犬が鳴く」(彩雲」8号)、小森由美「竜の舟」(「弦」97号)。

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2016年8月 8日 (月)

文芸同人誌「日曜作家」第15号(茨木市)について=外狩雅巳

  「日曜作家」は、季刊発行を続行中の勢いのある同人誌である。毎号目を通しながら発展に寄り添う事はたのしみである。
 編集後記に「物書きたる者,清貧に甘んじ、晩節を汚すことなく晩節を全うしたいものである」と記している。
 大原正義氏は先頭に立って執筆と運営に邁進中である。
 今回は「鬼のほそ道 俳諧道」で表現者の生き様を描いた。俳句結社の即席創作合評会での確執から始まる芭蕉門下の高弟の壮絶な作家道が迫力ある文章で書き連ねてある。
 大原氏の以前の作品「酩酊船」も感銘を受け感想を送ったがこの人は歴史からの題材を上手に作品化している。
  会員同人57名の大所帯であるが今号も執筆者は12名での13作品と106頁のこじんまりした体裁である。
  しかし、作品への思い入れは強く、65件の発送先の中には文芸雑誌社や同人会などが網羅されている。
 「短信」や「告知」欄には、掲載作品の評判を反映させている。14号を紹介した私の文芸同志会通信の記事も再録されている。
 関西中心の会員層なので会合なども行えるのではないか。以前も開催しないと記してあったが事情があるのか。
 今回の大原作品では句会での作品評を巡る討論そして決裂の内実が表現者の意地を下地に書き連ねてあった。
 批判に激高して口論が起き退会した仲間を何人も見てきているので合評会運営の苦労が改めてこみ上げて来た。
 講師を招いても教え諭される事を嫌う同人も多く、謝礼に見合う結果が出ず仲間内だけの褒め合いを続けた事もある。
 たかが同人誌でも若いころはされど同人誌だと気負っていた。大原氏の細心の運営手法と執念には感心している。
 私は高齢者なので、和気藹々の語り合いの場としての会合が居心地良く、作品感想も良い面を多く語るようにしている。
 柔らかな司会進行での作品感想の討論の場を持つ事も、人間関係の深化に成るのでお勧めしたいと思います。
「日曜作家」15号、平成28年7月29日・発行。発行人=大阪府茨木市上野町21番9号、大原正義氏。
《参照:外刈雅巳のひろば

 

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2016年8月 4日 (木)

文芸同人誌「小説春秋」27号(鹿児島市)

【「盆迎え」出水沢藍子】
 山懐に小さな滝壺があり、主人公の美濃さんと語り手の「私」恭子は、隣同志である。そこで、敗戦前からの昔ながらの生活をする美濃さんの夫は、亡くなっているが、浮気者でよその女と去ったようなことが身の上話で語られる。その夫のために七夕を飾る美濃さんの不動心を描き「美濃さんは、心底、女に生まれたことを喜んでいるように見えた」と「私」は述べる。そこには、自分の中の愛を慈しむ「私」の心の反射作用であるのだ。
 主人公は美濃さんだと述べたが、じつは語り手の「私」もこの世界を眺める「見者」としての主人公なのである。「私」の大学生時代の淳二郎という男性の「恭子ちゃんと、ぼくだけの秘密にしよう」という言葉を忘れられない。純粋な愛の形を保ち続けている。女性らしい愛を内面にはらんで生きる喜びを、抑えた筆致伝える。都会を離れた田園生活のなかでの、自由自在な老女たちの姿が、まるみを帯びた筆で表現されており、雰囲気小説として美意識を刺激する。
 作者はかつて雑誌「文学界」が同人雑誌推薦作掲載をしていたときの推薦常連作家であろう。読んだような気がする。どこまでも、文章芸術の道を歩む人がいるのだと、感慨を持った。
【「夢幻」杉山武子】
 これは独白体で、女心の愛というものを、生活の歴史のなかで浮き彫りし、前に紹介した「盆迎え」と同様の素材を内包している。兵隊に招集する前から交際していた精一という男性が、戦死してしまう。世俗のしきたりで、結婚はするが、その精一との純愛の思いは消えない。エピソードとして、夫を戦死で失った未亡人が、毎日夫の着物を肌に会わせることで、充実した日々を送る事例が語られる。そして、わたしは、世俗的な生活を捨て去って離婚。家庭のしがらみを離れて、心の奥の純愛の世界に住むことを選ぶ。
 告白体の小説は、人間関係の社会的な背景の存在をなかなか表現しにくい。その分、シンプルで解りやすいのであるが、単調さが見えてしまう。自分自身、そうした欠点を克服しようと試みて失敗した。これは、まとまっていて完成形を示していることで、あまり欲を望まないことにしよう。
【福迫光英「青空」】
 独特の筆力で良く書けている。いわゆる犯罪性異常者の男の起こす事件を男の内側の感性ので語る。言葉の強さ、文章の力で、人間の行動、とくに売春婦殺人や、動物虐待などの悪業を描く。言うに云えぬ現代社会の風景を表現している。
 ただ、基本的に、この男の精神の姿が、なにかを納得させるかいうと、それは表現から読めない。ちょうど、異常な殺人事件を、起きた必然性を納得しないまま、現実にあったことして、メディアが報道する範囲になにかが抜けているようなものか。そこで近隣の人が「普通の人で、あいさつもよくしていましたし、とてもそんなことをするような人に見えませんでした」というようなコメントをきいても、そのことを人間的な共通意識で納得できない。カミユの「異邦人」のような哲学性を望むのを無理にしても…。
 クライム、ノワール小説としては、充分成立するが、文学的成果が出たといえるのかどうか、考えてしまう。難しい問題提起をしているところがある。
発行所=〒890-0042鹿児島市明和1-36-5、相星方。小説春秋編集所。購読会員募集中。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

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2016年8月 3日 (水)

西日本文学展望「西日本新聞」2016年7月30日/朝刊/長野秀樹氏

題「戦後71年の夏に」
藤山伸子さん「とん子の一生」(「飃」102号、山口県宇部市)、玉利良隆さん「敗戦、旧満州の逃避行」(「あかね」104号、鹿児島市)
「ほりわり」30号(福岡県柳川市)30号記念特集より加藤睦子さん・郷土の文学者(池上三重子、石田昌、中村天風)についてのエッセイ、「宇佐文学」58号(大分県宇佐市)より下村幸生さん「津崎恵二氏へ」、「海馬」39号(兵庫県芦屋市)山際省さん「逃げ延びろ」。
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年8月 2日 (火)

 文芸時評8月「芥川賞受賞へのミニ講義」石原千秋・早大教授

 おそらく、コンビニで働くことだけが生きる意味となっていて、「コンビニの『声』が聞こえた」(幻聴?)と感じるおかしな「私」のおかしさの質も文学的な価値を持つが、それとともに、彼女をおかしな人間として書いていることが評価されたのだろう。彼女の子供の頃のヘンな行動も、いまの彼女はあれはヘンな行動だったと認識しているように書かれているし、依然としておかしないまの「私」を際立たせるために、白羽という常識人を配置してある。きっちり計算された「おかしさ」なのである。こういう書き方をすると、「この作品は、『私』のおかしさを相対化できている」と高く評価されることが多い。僕はおかしな人間をそれと自覚しないような書き方も好むので、こういう「文壇版道徳の時間」には白けてしまうのだが、世の中はこうなっているようだ。息が詰まるような「正しさ」の蔓延(まんえん)である。
《参照:息が詰まるような「正しさ」で評価されがちな村田沙耶香の「コンビニ人間」 石原千秋 芥川賞受賞へのミニ講義



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2016年8月 1日 (月)

近藤圭太氏のスピーチライター論と言葉の唯物論

 このところ、またぞろ米大統領候補のトランプ氏が、イラクで戦死したイスラム教徒の米兵の両親が、トランプ氏を「邪悪な人間」と呼んで非難。これに対し、トランプ氏が、あれはクリントン候補のスピーチライターが書いたものを発言したのだと反論。すっかりスピーチライターの存在がクローズアップされた。
 先日、スピーチライター専業の近藤圭太氏が東京にいたので、その記事を書いたところ、近藤氏からあれでは「不十分」という異論をもちかけられた。そこで、それを言葉に対する理論として「ことばの力」のひろばで解説してもらうことにした。《参照:スピーチライターの定義についての一考察(上)近藤圭太
 自分としては、言葉は音の振動であり、物に書けばそこに置かれた物質である。これは横光利一が純粋小説論で述べていることである。その延長として、人間はその置かれた文字の並び方で、意味を感じる存在である。現代詩のなかには、意味不明な言葉の羅列があるが、これは日本庭式庭園で並べられた石の意味を感じ取るように、期待して設計しているのである。しかしその意味伝達が作者の考えた通りに受け取られるとは限らない。ことばに意味をどう受け止めてもらうかのテーマに沿った話に展開することを期待した」い。

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