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2016年8月10日 (水)

文芸同人誌「仙台文学」88号(仙台市)

【「あめふり」渡辺光昭】
 神尾勉は、就職活動に精をだすが、面接で良い印象をつくれず、状況は厳しい。同じように就活をする学友の片岡俊平と夕方、喫茶店で落ち合う。片岡の状況はやはり良くないのであるが、彼は、仕事がなければ作家を目指して生きて行きたいと、愚痴をこぼすのが癖だ。
 その時、窓の外の子供連れの母親が見える。子供は何かが気にいらない。ぐずって母親を困らせている様子が見える。
 そこから片岡が母親から見捨てられた、と思う出来事を体験した身の上話を語る。そのなかで、自分と良く似た、母親の子供と巡り合う。当時の写真なども見せる。母親が自分を見捨てて、再婚し、その子供と再会するドラマチックな話をする。最後に、トルストイの「アンナ・カレニーナ」の「幸福家庭はどれもが似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違った不幸の顔がある」という文言を引き合いに出す。
 そこで話は終わるが、彼と別れた神尾は、何故片岡がそんな話を自分にしたのか、それは彼の小説的な創作ではないのか、と疑問をもったところで終る。
 この作品の出来はともかく、小説的題材と、作品の構成について、ある効果を生んでいるところに注目した。
 それは、語り手の話のなかに別の人物が独立して表れ、間接的な伝聞のなかに、また物語があるという構成になっているからである。出来事が重層性をもって表現されるという手法である。漠然としたイメージで小説らしい素材を選んでいるうちに、そのようになってしまったのか、どうかはわからない。叙事と叙情の接合効果を狙ったものとして、面白い。
【「再読楽しからずや 金建寿(キムタルス)-古代日本史と朝鮮文化」近江静雄】
 日本古代史研究者・上田正昭の訃報から、かれの業績なかに「帰化人」と「渡来人」の意味性の異なることの指摘からはじまる。いつ頃から朝鮮半島をひとつとして見るようになったのか、とか高麗人というのは日本では、朝鮮半島の内国での区切りとしていたのか、など、歴史的な状況のちがいを知ることで、一面的な隣国へのイメージを変化させている可能性があるのではないか、を考えると、意味深いものがある。
【「尾形亀之助短歌一首の謎―扱いかねる溢れた才能―」牛島富美二】
 尾形亀之助の詩は読んでいたが、その実生活ぶりは全く知らなかったので、勉強になった。おかげで、存在感に対する自己充実性の源を垣間見たような気がした。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方。仙台文学の会。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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