都知事選で上杉隆候補4位の善戦
都営住宅で育ち、都の奨学金で高校をでた上杉隆候補の恩返し動機のネット中心の選挙戦。《上杉隆・都知事候補の公約で知る=都民の課題と対策》4位は善戦であろう。LGBT問題を徹底的に調査し、第三者委員会を立ち上げたいとか、公約を明確にして、他候補に良い影響を与えたと思う。
都営住宅で育ち、都の奨学金で高校をでた上杉隆候補の恩返し動機のネット中心の選挙戦。《上杉隆・都知事候補の公約で知る=都民の課題と対策》4位は善戦であろう。LGBT問題を徹底的に調査し、第三者委員会を立ち上げたいとか、公約を明確にして、他候補に良い影響を与えたと思う。
村田沙耶香「コンビニ人間」矛盾を肯定的に生きる
木村友祐「野良ビトたちの燃え上がる肖像」2年先のリアルな難局
《対象作品》
第55回芥川賞・村田沙耶香「コンビニ人間」(「文学界」6月号/「群像」特集「マイソング」―滝口悠生・広末涼子の『MajiでKoi する5秒前』」―青木淳悟・Mr.Children「innocent
world」―片岡義男・りりィ「私は泣いてます」/「文学界」特集「怪」―藤野可織「怪獣を虐待する」-高山羽根子「L.H.O.O.Q」-小山田浩子―「広い庭」/小山田浩子「予報」(「三田文学」夏季号)/木村友祐「野良ビトたちの燃え上がる肖像」(「新潮」8月号)/仙田学「愛と愛と愛」(「文藝」秋号)/鹿島田真希「少年聖女」(「文芸」夏号)。
自由報道協会の記者会見で、いわゆる泡沫候補とみなされている候補者たちが、報道の不公平性を是正するように、要望をすることを発表した。《参照:供託金の損害?テレビ報道の偏向と都知事選候補者との利害》iいろいろ言い分を聞いたが、一番、もっともだと感じたのが、報道の不公平で、票があつまらなくて供託金(300万円)を没収されてしまうではないか、という言い分だった。
確かに、これはテレビ放送で候補者を選べば3人のなかから選べという選択の自由を制限するようなところがある。
この記者会見の様子はニコニコ動画でもネット中継され、多いときで1万五千人以上のひとが見ていたらしい。それなのに、上杉氏は途中退場、マック赤坂氏は遅刻、さらに連絡のとれなかった内藤久遠氏が突然参加するなど、会場があわただしかった。そこで、ニコニコ記者から、まじめにやっているのか、という質問がでた。
たしかにそうだが、このようななイレギュラーな状況も、そのまま放送できるのが、ネットの強みではないかと感じた。開かれた会見というのは、言葉はきれいだが、実際にやるとこんなこともあるのだ。
ところで、東京新聞の7月28日夕刊では、「都知事選「つぶやき」分析 主要候補の特色浸透」という記事がある。
それによると「候補者の中で最も多い約三十二万人のフォロワー(読者)を持つ上杉隆さん(48)は、知事給与の全額返上を訴えている。上杉さん関連の約一万件のツイートでは「ゼロ」が目立ち、主張が認知されているようだ。」とある。
上杉氏の話では、なんでも、都知事選で、事務所を借りたり、選挙カーを借りたりすると、足元を見られ、吹っ掛けられる。ポスターを貼るのにも、人手がいる。なんだかんだ、正式にやるには1億円はいるだろうという話だ。dからネットに頼るしかない、ということだが、意外に善戦しているようだ。供託金は没収されずに済むのだろうか。
《対象作品》
小谷展宏「オーストラリア・パース紀行」(「播火」99号、兵庫県姫路市。読者寄稿)
吉開那津子「谷間の家」(「民主文学」50周年記念臨時増刊号」)
清水信「富士正晴論」(「火涼」72号)、三田村博史「杉浦民平の立ち位置と北川朱美の詩人論集」(「中部文学」101号)
「群系」36号の特集「同時代の文学」より草原克芳「中上健次論」・大堀敏靖「村上龍「限りなく透明に近いブルー」」
後藤純一著『水の匂い』(ブーイツーソリューション)、及川直志「ある居酒屋の思い出」(「飛火」50号)、大巻裕子「磨く人」(「北陸文学」80号)、岡本信也「沈黙について デザイン生活手帳38」(「象」84号)、田中信爾「行く春」(「AMAZON」477号)、名村峻「叔父たちの戦争」(「別冊 関学文芸)
( 文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)
スピーチライターという人が、職業として、どのような形で活動しているのか、言葉の使い方のひとつ手法として、近藤圭太事務所の話を聞いた。《参照:専門職スピーチライターの現状を聞く》
そのとき、自分が注目したのは、原田マハさんの小説『本日は、お日柄もよく』(徳間書店)に、それを職業とする女性が登場するといことだった。それほど、スピ―ライターという職業が一般的に知られているということは、ひとつの時代性であろうと、注目した。ところが、スピーチライター近藤氏のその後の意見で、あれは必ずしも、日本の専門職としての姿かどうか、疑問に思っているという趣旨のコメントがあった。事情が許せば、今後も近藤氏との交流を図って、現代の時代性の情報発信に活かしたいものだ。
各文芸同人誌の枠を超えた書き手による「町田文芸交流会」には、今年も六月までの前半期の成果を編集した各誌が続々と到着中です。多くの文芸同人会は年間二回の同人雑誌を発行し、年央の活動成果によるものでしょう。
「労働者文学」(79号)《「労働者文学会」サイト》は、三十年以上の文芸誌仲間の登芳久氏が編集委員の一人である。
タイトルで示すように労働者の立場で編集して来た雑誌である。全逓文学・国労文学等々の労働現場の書き手がここに結集して継続して来た。現在は高齢化し、現場を離れ生産現場からの活き活きとした描写がの作品を生み出す環境に変化を感じられる。編集後記には各委員の平和と民主主義擁護を貫く姿勢が表明されている。
しかし、政治批判の運動は、街頭や紙誌には見られても現実の労働者組織の活動は鈍い。そのなかで、「新日本文学」の廃刊で「民主文学」と「労働者文学」に欠けられた期待も大きい。毎号注意深く見守ってゆきたい。
「白雲」(42号)は、「関東同人雑誌交流会」で知り合った岡本高司氏が編集する短歌・俳句中心の文芸同人誌。
小説・随筆への関心も深く徐々に作品も増えているが、まだまだ詩歌作品も多い。今号も富岡幸一郎氏の巻頭言を掲載して文芸同人誌の構えを示している。
「文芸思潮」誌の五十嵐勉編集長が募った関東同人雑誌交流会も現在休止状態にある。それでも律儀な岡本氏は毎号お便りを同封して送付してくる。21年目の今号は72頁と少し薄いが氏の元気いっぱいの雰囲気を感じさせてくれる。
「 私人」(89号)は、新宿で行われている朝日カルチャーセンターの尾高教室の生徒が立ち上げた同人誌。
小説中心の145頁。年に四回発行する精力的なグループと、連載を掲載する尾高講師。前号もここで紹介したが送られて来る同人雑誌中でも特に活発である。目次には主要な創作作品が列挙されている後に近況や短文集のプリズム欄もある。全員参加を目指す心配りが優しい。編集発行人グループ三人も全員女性である。
縁が出来て毎号毎号の送付が続けば紹介も欠かすわけにはゆかない。
《参照:外狩雅巳のひろば》
自由報道協会は、都知事選がある場合は、記者会見を開いてきた。しばらく、活動が不活発であったが、今回の都知事選会見は、代表の苫米地氏のはからいで、雑誌「サイゾー」の事務所を借りることができた。《参照:自由報道協会の都知事選記者会見》記事。
その経過はまず、山口理事がHPで呼びかけを提案。 2016東京都知事選挙候補者「共同記者会見」として参加者の呼びかけを行った。その文面は、「 公益社団法人自由報道協会では、協会発足以来、毎回の東京都知事選挙の候補者による共同記者会見を行っています。今回の都知事選は合計21人の候補者が立候補しています。常に開かれた会見を目指す当協会では、その候補者すべての方に参加を呼びかけて会見の場所を用意しました。」とし、その後、「 各候補者の登壇時刻等は、現在調整中です。 現在お返事をいただいている候補者の名前は順次協会HPで発表します。」とした。
その後、幾人かの参加希望者が現れ、連絡があり次第、時間割を決定していった。私は、PM3時半に渋谷で行うという連絡を受け、駆け付けた。その時点では、取材者は3、4人で、山口一臣理事が司会をし、ニコニコ 動画の中継に向けて、政権を述べたのである。
その最中に参加希望の候補者がやってきて、5時まで行い、いったん打ち切った。あとは、PM8時半から6人の候補者の同時共同会見というので、会場を出て、近くにある「ガスト」食事をし、食後の散歩で渋谷・道玄坂を散歩。パチンコ屋があったので、様子を見に入ったが、台の種類が様変わりして、とっつきにくいのでゲームをしないで出た。それから、大盛堂書店で雑誌を買い、カフェに入り読んで時間をつぶす。8時半近くになると、会場は取材記者が大勢きていた。
討論のなかで、上杉隆氏が、「ニコ動」の討論会に外された事情を語る。外すことを求めた2名の候補者がだれかは、自民党系の候補者であると推察できる。しかし、物事言ってみるものだ、24日今日の夜のヤフーの討論会に急遽呼ばれて、討論に参加していた。大手メディアの情報操作に、ネットのニュースサイトが風穴を開ける可能性があるかも知れない。上杉隆氏と安倍晋三事務所との確執については、《上杉隆氏が自由報道協会副代表の辞任単独会見》に書いている。
なんたって、会見が終わって家に帰るのが大変だった。それでも、都内在住だから、取材できるのだーと考えて記事を書いている。
《取りあげられた作品》
・冬木煬子「坂道」(「日曜作家」13号、大阪府茨木市)
・湖海かおる「粉骨」(「異土」12号、奈良県生駒市)
・中山茅集子「わたしの赤ちゃん」(「ふくやま文学」28号、広島県福山市)
・水澤世都子「ほだし物」(「こみゅにてぃ」95号、埼玉県和光市)
・早川ゆい「命こそ宝~祖母たちの白い手~」(「穀雨」18号、東京都昭島市)
・渡谷邦「籠崎さんの庭で」(「樹林」614号、大阪市中央区)
・道園達也「火事」(「木綿葉」10号、熊本県宇城市)
・緒内返「そして大笑い」(「くれす」11号、京都市伏見区)
・小畠千佳「アゲハの卵」(「あるかいど」58号、大阪市阿倍野区)
・高橋亮「アリストテレスさまの大罪」(「米子文学」69号、鳥取県境港市)
・谷川笙子「星は輝いて地の果てに」(「江南文学」71号、千葉県流山市)
・猿渡由美子「幽明境」(「じゅん文学」86号、名古屋市緑区)
《「文芸同人人誌案内」掲示板・ 投稿者:mon飯田 さんより (投稿日:2016年 7月20日)
コンビニ勤務は週3日で深夜2時には起きて早朝まで書く。午前8時から午後1時まで店で働き、夕方にまた執筆。この日も仕事あがりだった。「コンビニは空想の世界から引き戻してくれる場。社会と接点があった方が小説が進む」。二足のわらじはまだ続きそうだ。《参照:産経新聞「コンビニ人間」で第155回芥川賞に決まった村田沙耶香さん≫
【「玄冬の草」小坂忠弘】
若き頃の持ち物のなかに、良寛の短歌があったことを冒頭に記し、散文に傾倒していたころ短歌の結社において、
――散文のために詩歌は害なれと避け来し我もや今は歌詠む――というものを詠む。そして、自作短歌を区切りにし、70枚にわたる長編散文詩という形式に挑んでいる。
菊池寛が「詩は将来なくなる」と論じたことがあった。まさに、現代詩は、絵画の抽象画パターンと具象画、具象イメージ画という分類が出来たのと同じ状況にある。抽象詩は、読者の感受性を頼りにした表現であり、具象詩は行替えをする散文となった。そうした現状のなかで、本編は、詩の方向性をさぐる興味深い試みに読めた。終章には――今私は拙い詩文を閉じようとして何故か「花無心招蝶蝶無心尋花」という良寛の詩を思い出している。それが今の私に遠い風景か近い風景かは自分には分からないけれど。――とある。
短歌における詩の要素と散文における抒情とを組み合わせたもので、今後の長篇散文詩のひとつの形式の開拓になるのではと、期待したい。
体験をそのまま書いても、生活日誌であり、時には作文になる。文芸風味をつけるためには、やはり散文芸術への創作的自意識が必要である。そういう意味で、本編は含蓄に富んでいる。
発行所=〒659-0053芦屋市浜松町5-15-712、小坂方。海馬文学会事務局。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
第155回芥川龍之介賞(以下、芥川賞)と直木三十五賞(以下、直木賞)が19日、発表され、芥川賞は村田沙耶香(むらた・さやか)さんの「コンビニ人間」(文學界6月号)、直木賞は荻原浩(おぎわら・ひろし)さんの「海の見える理髪店」(集英社)が受賞した。
それは、ル・コルビュジエの建築作品」につき、世界文化遺産への登録を決定したもの。 構成資産は、日本の国立西洋美術館を含む7か国17作品で、正式名称は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」ーーだという。
国立美術館には、常設展示と企画展があり、常設展示上は高齢者は無料で入場できます。そのため、私は幾度も脚を運んでいます。そこで「詩人回廊」〈伊藤昭一の庭番小屋)に記したものをアーカイブとして、再掲示しています。まだ、リルケとロダンの関係についても記しているはずなので、探してアーカイブにしてみるつもりです。
安倍晋三事務所が、なぜか最も恐れるジャーナリストの上杉隆氏が、自由報道協会の副代表を辞任するにあたって、創設の事情を語った。《参照:上杉隆氏が自由報道協会副代表の辞任単独会見》
安倍晋三事務所がなぜ、これほどのバッシングをするのか、また、時の最高権力者の排除活動を受けながら、上杉隆氏は、ジャーナリズム人として、東京都議選に堂々と出馬している現象をどう解釈すべきか、考えさせられる。推察すれば、なんでも、自由報道協会の設立にいちばん賛同したのが、小沢一郎氏であったということである。
おそらく、自民党の安倍事務所は、上杉隆が小沢一郎氏側につくこと(そういうことはあり得ないと思うが…)を排除しようした背景があるのかも知れない。
現在、都知事選は、まるで都民を差し置いて、政党間闘争の場となってしまった。もし自民公明が野党連携候補を弱体化させたいのであれば、メデアを使って、上杉隆への情報露出をすれば、票の分裂に効果があるのではないだっろうか。
【お詫びと訂正再掲載】本欄の記事は、過去に掲載したものですが、著者・金野文彦氏より下記のような誤記があることの指摘コメントをいただきました。
ーー紹介いただいた本人からです。「佐藤美千代」は「佐藤三千夫」で、「佐藤トシオ」は「佐藤トシヲ」です。これは簡単に訂正できます。しかし、川西本は、全編にわたって(紙数の関係で一部のみ指摘)、徳永直と壺井榮の「小説」を切り貼りし、歪んだコメントを織り込むという、文筆家がやってはならないことをしているのです。だから、岩波がすべきことは、訂正どころか、公の謝罪と絶版措置だけです。ーー
ご指摘の通りで、誤りをお詫びします。申し訳ありませんでした。下記のように訂正し、再掲載いたします。
☆
北村隆志( 「赤旗」の記者)編集による「星灯」3号が刊行されたことを《外狩雅巳のひろば》が紹介している。
このなかに、金野文彦氏(徳永直ら創立の佐藤三千夫記念館事務局長)が、川西正明「新・日本文壇史」(岩波書店・4巻)」を糾す」という評論で、徳永直の妻の佐藤トシヲの生地の記述や、徳永の経歴の不正確さが、あり事実と異なることがあると指摘している。また、佐藤三千夫に関しては、川西本に姉がいたとあるが、それは誤りで妹がいたとしている。史実の記録については、古いものは喪失し、新しい資料本が参考とされる。
わたしは、大森の馬込文士村に関する資料を参照したことがあるが、関係者著作のなかに、それぞれ見解の相違と、事実証言のずれがかなりあるのに気付いたことがある。
こうしたことは珍しくないので、岩波書店は事実関係を調べて、改版ごとに反映させるべきであろう。
(公社)自由報道協会の上杉隆副代表がが都知事選に出馬する!というので、都庁の記者クラブの会見に出席した。≪参照:上杉隆公式サイト》この間亡くなった、鳩山邦夫議員のお別れの会に出席したあと、3時の会見を行った。なにしろ、かつて、鳩山邦夫議員が、石原慎太郎氏と都知事選を争った時に、広報担当をしただけあって、都政の内情に詳しい。公式サイトに示された公約そのもの一つ一つが、問題提起そのものとなっている。
参照:《上杉隆都知事選出馬会見》家に帰って6時からのTV放送を見たが、報道対象になっていないようだった。
文芸同志会は、21世紀はじめに発足し、時代に応じて活動を変化させてきた。最近は、伊藤昭一が文芸活動への重心を移し、詩人としての北 一郎の活動も増やし、文学的「単独者」としての作品発表を継続する。
そこで、たまたま文学フリマの参加サイトである「小説家になろう」を活用。《「詩人回廊」北一郎の庭の関連情報リンク参照:「きた いちろう」》題2作目を投稿した。
第1作の「不倫の季節」は、文学フリマ短編小説賞に応募。締め切りが過ぎても読者が誰もいなかったことを書いた。そのせいか、一人の人が読んでくれたことがわかった。おそらく、会員のだれかが評価を投稿したのであろうと、心当たりのひとに問い合わせたが、読んでいないという。こんどは少し、このサイトのジャンル分けを研究し、現代風な仕分けのなかに入れてみた。
本来は、この作品は文芸同人誌「みなせ」に評論と作品を抱き合わせた文芸評論の一部で、「評論と創作研究(実験小説付き)―文学的真実と事実の違いについて」の中の「ある母親と息子の逸話」という部分のみを本文と切り離し、タイトルを読物風に変えたもの。《参照:元信者菊地直子被告の裁判を素材にした新型評論を書く=伊藤昭一》
北 一郎は「同人誌作品紹介」の紹介もしているので、「何者」という質問をされることもあった。それには詩人・単独者というのが合っているような気がする。
小説投稿サイトは不慣れで、ミスもしてしまったが、それがもとで、もしかしたら、文芸同志会会員の作品を投稿するにはどうしたらよいか、検討している。
《対象作品》「楽園」夜釣十六さん(28)(筑摩書房)/「指の骨」高橋弘希さん(36)/「市街戦」砂川文次さん(26)(「文学界」新人賞)/「司令官の最期」田中慎弥さん(43)(すばる)/小説トリッパー」夏号の特集「批評再生塾」昨年から1年間、批評家の東浩紀さんと佐々木敦さんが開いた塾の講師陣の課題と回答などを掲載。
=吉田雅史さん(40)の「漏出するリアル」/山下澄人さん(50)の「しんせかい」(新潮)/青山七恵さん(33)の「ミルキーウェイ」(群像)。(文化部 待田晋哉)《参照:【文芸月評】戦禍に向き合う意味》
【「姫、峠越え」宴堂紗也】
地元の神奈川県とその周辺は、武蔵国といわれていた。武田信玄の娘を峠越えさせる話を中心にし、郷土史から題材をとっている。なかなか面白い読み物である。とくに、文体が、庶民に身近であった講談調を取り入れて、語りに安定感がある。このところ、職業作家も語りは現代調になっているなかで、双方の良さを取り入れたリズムと味わいがある。懐かしさを感じさせて、なかなかの文才を思わせる。
【「砂時計」五十嵐ユキ子】
中年過ぎての夫婦関係の心理を描いて、文芸的な意味で、よくまとまっている。夫婦で映画館に行ったが、映画が終わって、妻の私がお手洗いにいく。当然、夫が待っていると思っていたら、先に帰っていて良いと勘違いした夫が、そこに居なかった時の記憶。その気分が簡潔な表現で、心を打つ。
それと息子を交通事故で亡くしたこと。その後の夫の行動など、断片をつないだものだが、その行間に読者の想像力を喚起する仕組みが活きている。短い作品だが、長い物語の時間を内包しているのが、効果的である。
【「やるまいぞ 須田貞明から黒澤明」登芳久】
無声映画時代に活弁士であった須田貞明という人物と、交際のあった黒澤明の家庭環境から話を進める。また、三船敏郎との関係の一面を紹介している。監督論やシナリオ論では知ることのない事情がわかり、興味深く読める。
【「夢のある日々」外狩雅巳】
どういう訳か、インターネットの詐欺メールとの交流をはじめた年金生活者の対応ぶりを描く。何億円かを処分したいので、千円を振り込んで、銀行口座を通知すれば億単位の金をおくるというのだが、そのような金がありすぎて困る状況がどうして生まれたかを説明する話が面白い。背後に、現代的な孤立した年寄りの多さや、わびしさを感じさせる。
発行所=相模原市中央区富士見3-13-3、竹内方。「相模文芸クラブ」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
【「星と花 R共和国奇譚」井本元義】
作品の必要条件とも思える、憂鬱状態の「私」が、多数の部族で構成された山岳民族国家R共和国から招待される。80年に一度のベルセウス座の大流星群が見られるという。そこで、「私」は、その招待に応じて、訪問する物語。設立して70年というこの国は、伝統と近代科学を両立させたようなところがある。そこで、書かれるのが、食虫植物の存在と、しきたりとしての鳥葬の様子である。
フランスの象徴派、ボードレールの視点と、なんとなく佐藤春夫、福永武彦の作品世界を思わせる雰囲気で、鳥葬の細部にわたる説明や、食虫植物存在感が文芸的に味わえる密度の濃い作品である。文学的表現の高度な技術の見本のような世界を展開される。読ませられながらも、その表現力に舌を巻くとはこのことであろう。読んでよかったと思わせる。食虫植物に食べられる「私」が活きている。やや、ディレッタンチムの気配があるが、上質な純文学の世界を楽しめた。
【「機縁因縁」中野薫】
保険金殺人事件の犯罪関係者と警察官の活動と犯人が死刑になるまでを描いた犯罪小説。新聞による事件報道をヒントに、小説化したものだという。ここでは、警察官も人間、犯人も人間という視点を崩さず、警察官の職場での立場を冷静に描き、同時に犯人とその周辺の人物を、説得力をもって描き切っていることに長所がある。作者の洞察力と筆力が一致して、大人の読み物として優れている。これも上質な社会派的中間娯楽小説に読める。
発行所=〒818-0101大宰府市観世音寺1-15-33、(松本方)「海編集委員会」
紹介者=「詩人回廊」北 一郎
【「子どもの風景」武藤武雄】
大東亜戦争中の日本帝国主義時代の子ども達の生活を通して、その空気を伝える。徴兵制なので、昭和19年に恒夫は招集され、万歳三唱のなかで出兵し、両親は20年8月29日に戦死の通知を受ける。この時代の子どもを描くことで、時流に抵抗できない状況の国民の姿を浮き彫りにしている。丁寧に描かれた時代の証言である。
【「山崎川」西澤しのぶ】
エッセイ風であるが、現代を描いた散文である。戦場ジャーナリストのジムという記者が中東地域で行方不明となり、気にかけていたが、その後無事とわかる。そして日本の平和に感謝する。現在性に富んだものであるが、作文的であるのが惜しまれる。
【「広島と靖国神社」三田村博史】
詩人としては、難解さのある作品を書いている作者だが、これは散文で解釈にまぎれがない。作者は戦前に朝鮮の日本人社会で育ち、戦後に釜山から門司へ引揚げてきた体験を踏まえ、昨年広島に行った話から始まる。朝鮮での生活意識に子どもだったので、差別意識はなかったという。そして広島の原爆ドームを見て、そこに被ばくの証拠としてのプロパガンダの要素の少ない展示法に、不満を覚える。その後、九段会館から靖国神社へ行く。その間にマンミャーに行った經驗がはさまる。そして憲法9条の強化を希む意見を述べて終わる。
散文は、時代の中の文芸のひとつの有力な手法だと思う。その点で、自分たちの上の世代の現代感覚を知るひとつの手掛かりにはなる。
【「音楽を聴く(72)」堀井清】
毎回、前半をオーディオ音楽鑑賞の話をし、後半で芥川賞候補や受賞作品についての感想があるという形式が、楽しく読める。今回は、滝口悠生「死んでいない者」について、辛口の印象が記されている。この小説のタイトルについて本作では「死んでない者」という読み方だけの意味で評しているが、作者は「死んで、居ない者」と死者のことを指す意味にもとれるように、意図的にしているのではないかとも思える。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎
文学フリマ短編小説賞の公募があったので、応募した。《参照: 「詩人回廊」北一郎の庭・下部リンク》締め切りが過ぎた。1,300作品を超える応募があったという。これより、アクセス数等を参考に選考をするという。結果発表は9月上旬の予定。
文芸同志会では、文学フリマの第1回から参加してきた経緯があり、応募することで、賑やかしにしようと、応募した。しかし、だれも作品を読んだ形跡がない。参加することに意義があるということになった。いったい、どうすれば、この「小説家になろう」サイトで読まれるようになるのか。公募以外の通常サイトで投稿し実験をしてみることにする。
かつて柄谷行人が言った〈内面を書く近代文学は終わった〉という刺激的な言葉は現実を正確に映している。もしかしたら近い将来、「心」を組み込んだ人工知能から、人間が複雑な「心」を教えてもらう日が来るかもしれない。いま『こころ』から学ぶとしたら、心を細やかな言葉で表現すること、すなわち心の使い方を学ぶことをおいてほかにない。
毎年、芥川賞候補作が出払った7月号の文芸雑誌は不作だが、今年は大凶作だ。たとえば山下澄人「しんせかい」(新潮)を読んで唖然(あぜん)とした。これを雑誌の巻頭に置かなければならない編集長が気の毒にさえなる。田中慎弥「司令官の最期」(すばる)は、母親をレイプされた少年・タイチが兵士になってセックスをして「一人前の男」になる。それでも彼は母を救えなかったと痛切に感じる。要するに「戦争は近親相姦のようなもの」、つまり「閉じ込められた欲望にすぎない」という寓話(ぐうわ)だろう。タイチは目の前に現れたハセガワという女性が理解できずにいる。彼が自分の投げ込まれた状況がわからないことを、「女の謎」として表象しているわけだ。そこに近代文学としての尻尾が残っている。ただし、現政権を揶揄(やゆ)する芸風には飽きたし、小説の底を浅くしてしまった。
《参照:心の使い方を学ぶ 早稲田大学教授・石原千秋》
山下澄人「しんせかい」私小説とはどこか違う
「すばる」特集「読む温泉」土地、固有名詞めぐる論考
《対象作品》山下澄人「しんせかい」(「新潮」7月号/「すばる」7月号特集「読む温泉」鼎談・澤西祐典、円城塔、福永信/同三人の掌編「別府小説」/同、上田岳弘、村田紗耶香、中島たい子(エッセイ)、大澤信亮(評論)/「憲法の無意識」(岩波新書)柄谷行人インタビュー「民主主義の教科書」(「文学界」7月号)。
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