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2016年7月 3日 (日)

文芸時評7月(産経6月26日)早稲田大学教授・石原千秋

  かつて柄谷行人が言った〈内面を書く近代文学は終わった〉という刺激的な言葉は現実を正確に映している。もしかしたら近い将来、「心」を組み込んだ人工知能から、人間が複雑な「心」を教えてもらう日が来るかもしれない。いま『こころ』から学ぶとしたら、心を細やかな言葉で表現すること、すなわち心の使い方を学ぶことをおいてほかにない。
 毎年、芥川賞候補作が出払った7月号の文芸雑誌は不作だが、今年は大凶作だ。たとえば山下澄人「しんせかい」(新潮)を読んで唖然(あぜん)とした。これを雑誌の巻頭に置かなければならない編集長が気の毒にさえなる。田中慎弥「司令官の最期」(すばる)は、母親をレイプされた少年・タイチが兵士になってセックスをして「一人前の男」になる。それでも彼は母を救えなかったと痛切に感じる。要するに「戦争は近親相姦のようなもの」、つまり「閉じ込められた欲望にすぎない」という寓話(ぐうわ)だろう。タイチは目の前に現れたハセガワという女性が理解できずにいる。彼が自分の投げ込まれた状況がわからないことを、「女の謎」として表象しているわけだ。そこに近代文学としての尻尾が残っている。ただし、現政権を揶揄(やゆ)する芸風には飽きたし、小説の底を浅くしてしまった。
《参照:心の使い方を学ぶ 早稲田大学教授・石原千秋

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