文芸同人誌「文芸中部」第102号(東海市)
【「子どもの風景」武藤武雄】
大東亜戦争中の日本帝国主義時代の子ども達の生活を通して、その空気を伝える。徴兵制なので、昭和19年に恒夫は招集され、万歳三唱のなかで出兵し、両親は20年8月29日に戦死の通知を受ける。この時代の子どもを描くことで、時流に抵抗できない状況の国民の姿を浮き彫りにしている。丁寧に描かれた時代の証言である。
【「山崎川」西澤しのぶ】
エッセイ風であるが、現代を描いた散文である。戦場ジャーナリストのジムという記者が中東地域で行方不明となり、気にかけていたが、その後無事とわかる。そして日本の平和に感謝する。現在性に富んだものであるが、作文的であるのが惜しまれる。
【「広島と靖国神社」三田村博史】
詩人としては、難解さのある作品を書いている作者だが、これは散文で解釈にまぎれがない。作者は戦前に朝鮮の日本人社会で育ち、戦後に釜山から門司へ引揚げてきた体験を踏まえ、昨年広島に行った話から始まる。朝鮮での生活意識に子どもだったので、差別意識はなかったという。そして広島の原爆ドームを見て、そこに被ばくの証拠としてのプロパガンダの要素の少ない展示法に、不満を覚える。その後、九段会館から靖国神社へ行く。その間にマンミャーに行った經驗がはさまる。そして憲法9条の強化を希む意見を述べて終わる。
散文は、時代の中の文芸のひとつの有力な手法だと思う。その点で、自分たちの上の世代の現代感覚を知るひとつの手掛かりにはなる。
【「音楽を聴く(72)」堀井清】
毎回、前半をオーディオ音楽鑑賞の話をし、後半で芥川賞候補や受賞作品についての感想があるという形式が、楽しく読める。今回は、滝口悠生「死んでいない者」について、辛口の印象が記されている。この小説のタイトルについて本作では「死んでない者」という読み方だけの意味で評しているが、作者は「死んで、居ない者」と死者のことを指す意味にもとれるように、意図的にしているのではないかとも思える。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎
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