誤報を追及する新聞の新聞<Gohoo>サイトついて
先日、自由報道協会の主催する記者会見があった。《日本報道検証機構が全国紙の「安保法制」報道分析を発表》
かつては、「新聞の新聞」とかいう新聞紙があった気がするが、これはそのネット版である。
このような活動を、楊井人文代表の話を聞いて、はじめて知った。
ただ、新聞紙などメディアを支配するのは、資本主義社会では、広告代理店である。
官僚と大企業資本にとって、新聞紙は「読んで信じるものではなく、利用するものである」というものである。いわゆるプロパガンダの道具でしかない。
それでも、新聞は事実を報道するというイメージがある。また。大企業や官僚に都合のわるいことでも、報道するではないか、と思うかも知れない。それはあたり前である。新聞がウソしか報道しなくなかったら、誰も信じないので、存在する意味がない。ウソを信じさせるためには、日ごろから多くの事実、真実性を持たせておいて、そのなかに催眠的な技術でウソを入れるわけである。
だから、読者はその事実を報道する必要があるところだけを選んで読めばよい。この文芸同志会通信は、情報交流の会として出発したので、さまざまな報道をよみくらべることで、会員の情報リテラシイを養ってきた。
新聞を読むときには、今日の新聞の一面はどうしてこのようなものになっているかを、考えてから読むと、また見方違ってくるものだ。最近の新聞の読者層の現象は、信じるよりも利用するという人が、その利用価値を低くみるようになったせいもあるのだろう。
これは、世界的な傾向で、先日、米国大統領選の報道をみていたら、集会参加者が「最近のメディアは、信用できない」として、ヒラリーなどの職業政治家を批判していた。自由を標榜するアメリカが大資本の催眠誘導道具としてのメディアへの不信感を募らせているのがわかる。
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コメント
・新聞報道の真実と虚偽・・文芸時評と同じ
・そうですね。新聞報道の真実と虚偽・・筆の入れ加減で色合いは変るもので、それは文芸時評でも同じであることに思いをいたさなくてはならない。
・真実の報道とは、不可能であることを書く側も読む側も心得置くことでしょう。映像にリアリティーがあるのは、これがあるからです。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2016年6月30日 (木) 23時54分