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2016年6月30日 (木)

西日本文学展望「西日本新聞」2016年6月28日・朝刊・長野秀樹氏筆

題「ふさわしい作品」
《対象作品》宮川行志さん「ガンヂャーヂャと片目のヒュー」(第7期「九州文学」34号、福岡県中間市)、みやまそらねさん「風は竹をゆらして」(「龍舌蘭」191号、宮崎市)
「しゃりんばい」38号(宮崎県教職員互助会)巻頭の佐々野嘉市さん・曽原紀子さん「巣立ち」・同誌「高校生の広場」より河野未来さん(佐土原高等学校3年)「私のクラスにメロスはいない」、仁志幸さん「日が山に、山から月が(三)」(「龍舌蘭」)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年6月29日 (水)

町田文芸交流会の6月活動から=外狩雅巳

  町田文芸交流会の6月例会を19日に行いました。日曜日なので参加者は4名でした。文芸同志会の伊藤昭一氏は所用で欠席ですが他の4同人会からは各一名参加しました。
  各自の会も運営に多忙なので多数の同人の参加にはなりませんでした。「民主文学」町田支部も出席者が作品感想を持ち帰り支部例会で報告するそうです。
 「文芸多摩通信」12号の感想はに関しては、好評で全作品の細部に及びました。
 毎年創作集「文芸多摩」を発行する他に手製の作品集として通信を発行しています。
 更に行事通知等には、連絡会報も頻繁に発行し内部結束を固めているそうです。
 通信の編集制作者が出席し、パソコンを駆使した小冊子の美装印刷を説明しました。
 大判の三段組ですがカラー印刷で写真も多く配置され読みやすい冊子です。《参照: 「文芸多摩通信」第12号を読む集いへ=外狩雅巳
 26頁で百冊を八千円で手作りしたそうです。担当者の入れ込みが判りました。
 町田市の民主文学支部の歴史は長く伝統を絶やさぬ努力を力説していました。
 一方、群系誌の小説作品は、女性の作品には珍しい職場改善が描かれています。乾いた文章で作業効率化に邁進する女性局長の奮闘が小気味よい作品です。
 評論主体の群系誌を文芸同人誌らしくさせている小説は好評でした。
 情理の情が少なく理詰めで構成された作品も珍しく討議は弾みました。
 作者はこれまで情をしっとり描く女流として長く書いてきました。
 しかし、企業小説風な組織描写や人事案件の扱い方も書ける事を示しました。
 男性社会の職場組織を纏める強面局長も、女性ならこんな感じかと納得しました。
 話題の多い作品の二誌なので7月例会で再度多数参加しての合評を試みます。
 10名に案内書を送るので日程が良ければ7名8名が出席する事もあります。
 七月例会の盛況を望み日曜日を避けて7月29日の金曜に町田文学館を手配しました。
 常連の五会の面々が勢揃いするよう期待しています。

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2016年6月28日 (火)

文芸同人誌「奏」(第32号)2016夏(静岡市)

【エッセイ「水俣―ひとつのルーツを求めて」田代尚路】
 これはエッセイというより、東大安田講堂で5月3日~5日に行われた水俣病「水俣フォーラム」初日講演会のレポートである。《参照:暮らしのノートITO「文芸と思想」》石牟礼道子「苦界浄土」を軸にした社会文芸評論でもある。概要として「現在のチッソの位置」(小宮悦子氏の話)、「具体的なエピソードの強み」杉本肇氏の話)、「猫の慰霊」(石牟礼道子氏の新作能)、「水俣と私」(田代尚路)のセクションがある。それぞれの項目において、人間の家族関係の強さに胸を打つものがある。作者自身が無縁と思っていたこの事件に、物理的な縁があったことを地霊の存在とからめて語っている。これを記す自分も東京湾の漁師の子であることから、妙な懺悔心に襲われる気持ちで読み終えた。書く材料に頭を悩ます人がいたら、読んで欲しい良い作品といえる。
【「小川国男『海からの光』論」勝呂奏】
 小川国男の小説のなかで、その作家の書く姿勢の本質を読み取ろうとする評論である。この作品について、吉本隆明が宮沢賢治「雁の童子」のように、文学芸術家の文学者としての証明のような作品という趣旨の評をしていることが記されている。たしかに、小川国男の文章には、技巧を超えたなにかがあって、幾度か部分の読み返しをさせるものがある。その推敲の痕跡をたどるものであるが、参考になると同時に、作家精神と宗教心というものを考えてしまう。
【「堀辰雄をめぐる本たち④――菱山修三訳・ポォル・ヴァレリィ『海辺の墓』」戸塚学】
  堀辰雄とヴァレリィというと「風立ちぬ」の冒頭の「いざいきめやも」という妙な文語体の訳語で有名だが、菱山修三が影響をうけ盛んに訳していたことが研究的に記されていて、新鮮である。
 同じ筆者による「堀辰雄旧蔵洋書の調査(九)―プルースト③」も興味深い。堀辰雄は、日本の平安朝文学の文体の調子と、フランスのプルーストの微細なでスローな文章との調和をはかる文体創造に、相当熱心であったように思える。もしかしたら、芥川龍之介の文法に忠実で明解な論理性で失われがちな味わいを、もっとソフトなものにしようと苦心していたのかもしれない。
【「枝垂れ梅」小森新】
 長男の私が南伊豆の町に一人暮らしをしている母親の様子を見に、定期的に実家に帰る。いわゆる普通の家族の普通な生活の有り様がわかって、面白く興味深く読んだ。
〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2016年6月26日 (日)

「海」第二期16号、「群系」などを制作側の視点から

  外狩雅巳氏が、主に文芸同人誌の制作する立場から論じています。《参照:「海」第二期16号(福岡県)の中野馨「機縁因縁」に感銘
 現在、世論を反映する商業雑誌は低迷し、廃刊が相次いでいます。また、経営難から、大資本による言論抑圧に、さらされています。本質的なことへの問題提起を避け、芸能スキャンダルに逃げています。そのなかで、自費出版の同人誌こそ、自由なオピニオンを発言できる可能性をもちます。自由な思想の表現こそ、同人雑誌の強みであることを再認識したいと思う。

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2016年6月24日 (金)

文芸同人誌「柘榴」第17号(広島市)

【「金魚」木戸博子】
 妻と10歳の男の子の過程をもつ高野の家庭で、家の前にポリバケツに入った金魚が置いてあったことから、息子の希望で飼うことになった。そこで金魚の飼育が、なかなか手間がかかることを、専門店の店員の蘊蓄で知らされる。
 その高野には、比呂美という浮気相手がいる。この高野と愛人の不安定な関係と、ひ弱な出目金のイメージの連想が良くできている。妙にエロチックで、人間的な関係の薄いことの危うさと、性的関係における男女間の情念のはかなさを、巧みに結び付けて読ませる。
 そうした感覚の透明感がユニークで、けなす人はいないでしょう。とはいっても、家庭持ちとなった高野の鬱屈した感情は、外面的な表現で迫るにとどまっている。それでも優れているのではあるが、本質は高野と妻の美和の夫婦間の倦怠にあるのではないか。そこに迫るのには、もうひと押しの発想が足りないような気がする。文芸雑誌でも、晦渋さを避けて、深追いせずに中間小説的なわかり良さを追う作品が増えた。それは商業的な事情の配慮と思われるが、同人雑誌であるなら、そうした傾向に同調することが必要ないのでは、と考えさせる。
【「サブミナル湾流Ⅲ」篠田健二】
 本編は、軽みのある文体で、世界にただひとり、作者だけがもつ自己主張の強い作風。これを貫こうと果敢に挑戦し、苦心するところが、大変面白い。短編連作の終回である。散文精神による観念追求の文体は、読んでいて気持ち良い。話はリゾートビーチと漁村が同居するような地域での、過去の事件を回想し意味づけをするのである、その書きまわしぶりが、なるほどと感心させたり、そうなのかな? と疑義をもたせたりで、読者との会話ができる。
 このなかで、ミステリーとノベルの違いの構造論が展開されるが、これは純粋理論化に傾いて、小説的なものから解離しているように思う。折角、過去の事件らしき現象があるのであるから、これに結び付けて論を展開しないと、本質的に俗的な視線で、世界を語る小説からはみ出してしまうような印象を受けた。とにかく、書く姿勢が楽しめる。
発行所=〒739-1742広島市安佐北区亀崎2-16-7、「柘榴」編集室。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年6月23日 (木)

「相模文芸」の経歴と針生一郎氏との交流のことなど=外狩雅巳

「相模文芸クラブ」の6月例会が22日にありました。先週に続いての今月二回目です。
 完成した「相模文芸」32号の配分を行い。31号の最終合評も行いました。
 22名が集まりした。所用でひとり早退で、他は全員が二時間半の合評で歓談しました。
 詩を一つ合評し後半は中村浩巳作品「オランダさん」に精力的に取り組みました。《参照:大泉黒石の小説「オランダさん……」評論から(四)外狩雅巳
 長編で難解なので、群盲象を撫でる感もありましたが、全員が真剣に発言しました。
 最後に作者の挨拶で、私のサイトに掲載した北一郎氏の短評に触れてくれました。正確なコメントだと感謝していました。450枚の作品が完結し作者は大満足でした。
 「相模文芸クラブ」は高齢化を乗り越え会員拡大に意欲的に取り組んでいます。
 一昨年末名簿は32名でした。一年半で五名の退会を七名の入会で補いました。今後の高齢化加速も新会員と共に内容充実に取り組み前進する気力が覗えます。
  私は事務局担当時に、性急な会向上をがむしゃらに行い、多少の孤立も招きました。
  同人誌を買い上げ評論家・作家・同人誌主宰者等多数に送付し続けました。
  「文学界」、「群像」、「文芸思潮」へも送り、作品評を待ち望み会内還元を試みました。
  その一例として此処に紹介するのは針生一郎氏に勝手に送った時の返信です。

-------「相模文芸」16号を私のような無縁な者にまで御恵贈下さり、ありがとうございます。装丁も立派で分厚いが通読してひどく物足りませんでした。
  小説も詩歌もいい題材をとりあげながら、文学の一歩手前、記録や述懐で終わっています。
  どうやら読ませるのは(中略)評論ですが、これとて従来書かれて来た事を超えてはいない、指導者がいないせいもあるでしょうが中年になって、暇と小金ができた人びとが、カラオケ風に思いのたけを披露して自己満足に陥る(中略)。打開するには、合評会できびしい相互批評をとりかわすか、好きな名作を読んで勉強会をひらくか(中略)。  必要なら一度話に行ってもいいです。妄言多謝。-----------
 
 この他にも多くの方や同人会から便りを受け取りましたが誠意ある返信が出来ませんでした。
  「相模文芸クラブ」の運営に追われたり私の会員仲間の意思統一を纏める力量不足もありました。
  それでも熱心な仲間は増加を続け同人誌は毎号200頁越えで会員三十名越えの盛況が続きました。
  結果、精読し討論する気運も進み、現在は新たな峰を築ける盛況が漲っています。
  文芸同志会通信の親切な対応もあります。北一郎氏の的確な作品評も追い風になっています。
  創刊以来16年が過ぎました。私も高齢になりましたが良い仲間達ともう一度夢を追います。
 《参照:外狩雅巳のひろば》     



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2016年6月22日 (水)

「樹林」2016・5月号を読んで、自らの文学遍歴のことなど

 大阪文学学校の機関誌「樹林」を読んだ。その機会を与えてくれたのは、同校の安芸宏子講師である。《参照:「北川荘平没後十年」(を安芸宏子)を「樹林」に発表
 本誌で一番先に読んだのが、長谷川龍生「転倒の時告――文学学校運動会のことなど」である。88歳。末尾の詩に「友だちも消え/たった一人で寂しいですが/一日一日を大切に生きています/詩もすこしづつ書いています」ーーとある。
 なにか胸にぐっとくるものがあった。
 詩作を始めてしばらくして、小野十三郎の詩を読んだ。ドライ・ハードな手法に、面白いと興味を持った。当初は萩原朔太郎に傾倒していたが、天才的なインスピレーションに、自分は詩人にはなれないと、悟っていた。小野十三郎を読んで、こんな表現があるのだと、面白く思った。そしてその次に読んだのが長谷川龍生詩集であった。高校を出て勤め人になったが、職人仕事が面白くない。そこで、当時中野か東中野かにあった夜間の文学学校の講師をしていることを知って、聴講に行った。故人となった針生一郎や木原孝一たちも講師にきていた。
 夜間の講演だったが、その運営担当者が「今日は良い女は来ていませんよ」とまるで女あさりに来たかのような、応対をしたので、くだらない文学学校だと、2度と足を運ぶことはなかった。
 TVニュースで、2020巣東京オリンピックで、原宿駅の改築の必要性を報じ、その近くの皇族駅のゆくえを話題にしていた。山手線でそこの無人駅の前を通るたびに、長谷川龍生の詩を思い起こす。いちばん最近、長谷川氏と話をしたのが、神楽坂の赤城神社となりの会館で、詩人・秋山清の「コスモス忌」だったように思う。その会館も今はなく、コスモス忌のメンバーも消えていく人が増えた。


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2016年6月20日 (月)

第155回芥川・直木賞(平成28年上半期)の候補作決まる

  日本文学振興会は20日、第155回芥川龍之介賞・直木三十五賞(平成28年上半期)の候補作を発表した。 候補作品は以下の通り(五十音順・敬称略)。
■第155回芥川龍之介賞 候補作
今村夏子『あひる』(たべるのがおそいVol.1)
高橋弘希『短冊流し』(新潮1月号)
崔実『ジニのパズル』(群像6月号)
村田沙耶香『コンビニ人間』(文學界6月号)
山崎ナオコーラ『美しい距離』(文學界3月号)
■第155回直木三十五賞 候補作
伊東潤『天下人の茶』(文藝春秋)
荻原浩『海の見える理髪店』(集英社)
門井慶喜『家康、家を建てる』(祥伝社)
原田マハ『暗幕のゲルニカ』(新潮社)
湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社)
米澤穂信『真実の10メートル手前』(東京創元社)
 前期・第154回(平成27年度下半期)の芥川賞は本谷有希子氏の『異類婚姻譚』と滝口悠生氏の『死んでいない者』、直木賞は青山文平氏の『つまをめとらば』がそれぞれ受賞。
 芥川龍之介賞候補5度目の山崎ナオコーラ氏の『美しい距離』のほか、3度目のノミネートの高橋弘希氏の『短冊流し』、さらに初ノミネートとなる今村夏子氏の『あひる』、崔実氏の『ジニのパズル』、村田沙耶香氏の『コンビニ人間』の全5作が選ばれた。
 直木三十五賞候補には、作品の多くが映画・ドラマ化されている湊かなえ氏が『ポイズンドーター・ホーリーマザー』で2度目のノミネート。そのほか、5度目の選出となる伊東潤氏の『天下人の茶』、同じく5度目の選出の荻原浩氏の『海の見える理髪店』など幅広いジャンルから全6作が選ばれた。
 両賞は1935(昭和10)年に制定。芥川賞は新聞・雑誌(同人雑誌を含む)に発表された純文学短編作品、直木賞は新聞・雑誌(同)・単行本として発表された短編および長編の大衆文芸作品の中から優れた作品に贈られる。前者は主に無名・新進作家、後者は無名・新進・中堅作家が対象となる。贈呈式は8月下旬に都内で行われ、受賞者には正賞として時計、副賞として賞金100万円が与えられる。

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2016年6月17日 (金)

著者メッセージ: 山田詠美さん 『珠玉の短編』

 言葉は、それ自体が多彩な才能に恵まれたものです。
 日常生活の潤滑油であり、ツールでありながら、武器にもなり、愛情の玉手箱でもある。
 そして、ある時は、使い勝手の良い玩具でもあり、美醜を映し出す鏡の役割 も果たす……。
 そんな言葉に敬意を払いながらも、このたびの短編集で、私は、思い切って好事家への道を進むことに決めました。
 デビュー31年目にして、言葉の好事家入門です。
 手始めに、変な珠玉をいくつか集めてみた次第です。(山田詠美)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年6月15日号より)

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2016年6月16日 (木)

「さがみ文芸クラブ」活動の現況から=外狩雅巳

  さがみ文芸クラブの例会が6月15日にありました。梅雨時の悪天候なので15名の参加でした。会員は月二回の例会を大切にしています。条件が良ければ24名も参加した日もあります。
  今回も五頁程の短い作品二作を、三時間近く掛けて全員発言で、感想等の徹底討論を行いました。
  著者は満足します。数人の感想しか受けられない同人会が多いと思います。
  雑誌やネットの同人誌作品評は、注目した作品しか取り上げません。無視される作品が多数です。
  数ページの随筆や短い詩歌でも、作者にとっては苦心の作品で思い入れも強いのです。
  そこを勘案した優しい評価に励まされるのです。評者に回れば熟読し、良い面を指摘するのです。
  月会費は千五百円ですが、作品掲載料は一頁千円程度なので、大部分の会員は作品掲載を行います。
  内部の充実さに満足しています。高齢化で会員減になっても新会員が続々と増えます。
  辛口の評価を行なえば自作の時に厳しくされます。伸ばし合い助け合う雰囲気が溢れています。
  書きたい人が気軽に入れる会。頻繁に会って和やかに過ごせる文芸空間が持てる魅力的な会。
  世話役も献身します。編集委員は原稿を丁寧に読みアドバイスします。装丁も綺麗です。
  余生の楽しみとしての文芸。各種の趣味の一つとして創作活動。そして和気藹々のひと時。
  外部交流もその範囲で行います。多くの同人会に寄贈しますが他会の作品感想は行いません。
  相模原市民主体の活動ですが市外からの加入者もあります。満足して活動に参加しています。
  結成時は意気込んで全国区になろうと文学界・群像・文芸思潮などに注目されたいと行動しました。
  この提案も会員個人の問題として受け止められ会全体では内部活動重視が続きました。
  大所帯の会です。全員平等です。突出した提案を全体活動に広げる事は難しいのです。
  新陳代謝も進み新会員が増えました。意欲的な書き手も続出して全員掲載も可能性があります。
  高齢者学習会としての合評会が機能すれば成功です。目標に向けて執筆する多数の会員達です。
  読書し、見聞し、前進する意欲的な新会員と共に歓談すれば可能性を信じられます。
  行政や多くの市民たちから市民文芸として暖かく迎えられています。それが現実です。
  参加して良かったと振り返っています。私も高齢者に成ったと実感しています。
 ≪参照:外狩雅巳のひろば≫

 

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2016年6月15日 (水)

文芸月評6月(読売新聞6月9日)在日作品に刻まれた声紋

今月発表された群像新人文学賞の受賞作、崔実チェシルさん(30)の「ジニのパズル」は、選考委員5人の満場一致で決まった。辻原登さんは「素晴しい才能がドラゴンのように出現した!」と絶賛している。読み手の心を大きく開くような作品だ。
 米・オレゴン州の田舎の高校を退学しかけている在日韓国人のジニの回想によって物語は始まる。日本の私立小学校を卒業した彼女は1998年4月、東京・十条にある朝鮮学校の中等部に入学した。
 原則として朝鮮語を使う学校で、言葉の苦手なジニがいるときだけ日本語で授業が行われる状況が続く。戸惑いながらも友人ができ、バレー部に入った彼女の日々を、北朝鮮のミサイル発射実験が襲う。少女の中に、教室にある金日成と金正日の肖像画への違和感が耐え難く強まる――。
 在日作家の小説に、過剰な社会性や政治性を読み取りたくはない。だが、本作を学校になじめない中学生の揺れる心情を描く小説とだけ捉えることもできない。ミサイル騒ぎの際、嫌がらせを恐れたジニの学校では生徒がチマ・チョゴリをやめて体操服で登校する。国際関係上の不満を子供に向ける一部の日本人の卑劣さも映し出される。
≪【文芸月評】民族の葛藤 響く歌声

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2016年6月14日 (火)

文芸同人誌「季刊遠近」第60号記念特集号(川崎市)

 本誌の特別会員である評論家・勝又浩氏の著書「私小説千年史―日記文学から近代文学まで」(勉誠出版)が、和辻哲郎賞を受賞したことが巻頭に記されている。《参照:勝又浩「私小説千年史」出版記念会の光景
 選考委員の梅原猛氏が、「大胆な文学論」と評価しているという。受賞の言葉では、生涯のまとめとして道元「正法眼蔵」に取り組みたいが、和辻哲郎の書も多く読んでいるので、何かの通底するところがあるのかも知れぬ、という趣旨が述べられている。私も読んでいるが、異色の視点による文学史観だと思う。本書は、我が周辺でも人気があって、友人が貸してほしいというので貸した、が回し読みでもされているのか、戻ってこない。
【勝又浩「歌と日本語」】
 日本人のリズム感の特徴について語る。文章のリズムも、日本語には特徴がある。それに関連するからであろう。実際、海外の詩のリズムと日本の短歌、俳句、さらに近代詩の文語体のリズムから、萩原朔太郎、西脇順三郎まで、言葉のリズムの変遷と格闘がある。このエッセイのなかで注目したのは、小泉文夫の民族と音感の研究について触れていることである。自分が仕事の関係で小泉氏の講義を聴いてから、まもなく亡くなってしまった。その研究成果には、やはりカルチャーショックを受けた。
 勝又氏よると、日本人が三拍子を不得意とするのは、農耕民族だからというような説明を小泉氏がしているという。その説明には難があるだろう、という。日本語は単語の一語の音が独立しているので、歌う場合、音をいくらでも長く伸ばせるが、英語などでは単語としてまとまって表意するので、音だけで長く伸ばして歌うのができない、としている。たしかに若いミュージシャンなどが、海外を意識している歌には、日本語として変な拍子のものが少なくない。
 私が小泉氏の講義を聴いた際には、音感と民族との関係について、少数民族が何らかの理由で、まとまる必要がある場合には、リズム感を磨き上げる要因になるということであった。事例としては、バリ島の民族のケチャが世界で最もテンポが速いということ。何らかの団結が必要であって、生まれたのであろうということだった。なお、同様の理由で、エスキモーは、鯨を集団で捕る必要から、気を合わせるために、みなリズム感が優れているそうである。同様に、台湾の高砂族は少数部落が分散して住み、敵対する種族の首を狩る首狩り族が多く、そのため共同して敵を襲うための合図が発達したので、音感が良いと聴いた。後年になって、台湾の原住民・高砂族の子孫という人に会って、その話をしたら、なんでも、歌手のビビアン・スーやジュディ-・オングなどは、祖先は高地民族だそうで、その説に当てはまるということを聞いた。
 ちなみにその時、小泉氏は日本の生活語に「クビになる」という語が定着しているのは、祖先に首狩り族がいたのではないか、と語っていた。私がカルチャーショックを受けたのは、その話から日本人が多様性をもった多民族国家であるという、根拠の証拠を得たと思ったからである。勝又氏のエッセイには、短歌など短詩をめぐる、文学表現における言葉のリズム論を展開されるのではないかと、期待させるものがある。
 発行所=〒215-0003川崎市麻生区高石5-3-3、永井方。
紹介者「詩人回廊」・北一郎。

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2016年6月12日 (日)

文芸同人誌「海」第93号(いなべ市)

【宇佐美宏子「象のいた森」】
 名古屋市の国有林の森が近くにあるマンションに、私は25年近くすんでいる。それには理由がある。太平洋戦争中に、動物園の象がこの森に飼育係に連れられて、草を食べにきていたのだ。私は子供のときにそれを見た記憶が忘れられない。敗戦の前には、空襲で森が焼夷弾で焼かれ、人々も大勢死んだ。私の心の中には、象のいた森と、その暗さのなかの死者の魂がつながりをもって、忘れることがない。
 その国有林の森も戦後は整理され、現代的な場所になるが、時折、森の中で自死する人のことがニュースになる。頭上ではヘリコタ-が良く飛ぶ。名古屋という場所のせいか、動物園の象という素材で、メルヘンチックな側面と、常に死と向き合う作者の語り口の感性は、文学的な含蓄を含んでいる。グリム童話の大人向けの味わいを持つ。
【南柊一「曽根はどこにいる」】
 主人公は、曽根か、それに似た苗字の男。仕事場の転職をする性格らしく、薬品の訪問販売営業から、競売物件の転売不動産業をしたりしている。日常は、職に就くことで自分の存在を確立できている。
 主人公のやっている競売物件探しの仕事の内容の細部が面白い。その話の途中というか、最中に自己存在への自意識に関する問題提起がいれてある。主人公はその社会的な職業によって、存在保証されているが、それは表面的な一時的な存在である。本質的な自分の内面的な存在感について考える。名前だけで考えても、若いときも成人時も、老年期も同じであるが、中味はちがっている。名前は記号としての意味しかない。そうした現代的な問題提起を含んだ小説に読めた。
発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」・北 一郎

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2016年6月11日 (土)

誤報を追及する新聞の新聞<Gohoo>サイトついて

  先日、自由報道協会の主催する記者会見があった。《日本報道検証機構が全国紙の「安保法制」報道分析を発表
 かつては、「新聞の新聞」とかいう新聞紙があった気がするが、これはそのネット版である。
 このような活動を、楊井人文代表の話を聞いて、はじめて知った。
 ただ、新聞紙などメディアを支配するのは、資本主義社会では、広告代理店である。
 官僚と大企業資本にとって、新聞紙は「読んで信じるものではなく、利用するものである」というものである。いわゆるプロパガンダの道具でしかない。
 それでも、新聞は事実を報道するというイメージがある。また。大企業や官僚に都合のわるいことでも、報道するではないか、と思うかも知れない。それはあたり前である。新聞がウソしか報道しなくなかったら、誰も信じないので、存在する意味がない。ウソを信じさせるためには、日ごろから多くの事実、真実性を持たせておいて、そのなかに催眠的な技術でウソを入れるわけである。
 だから、読者はその事実を報道する必要があるところだけを選んで読めばよい。この文芸同志会通信は、情報交流の会として出発したので、さまざまな報道をよみくらべることで、会員の情報リテラシイを養ってきた。
 新聞を読むときには、今日の新聞の一面はどうしてこのようなものになっているかを、考えてから読むと、また見方違ってくるものだ。最近の新聞の読者層の現象は、信じるよりも利用するという人が、その利用価値を低くみるようになったせいもあるのだろう。
 これは、世界的な傾向で、先日、米国大統領選の報道をみていたら、集会参加者が「最近のメディアは、信用できない」として、ヒラリーなどの職業政治家を批判していた。自由を標榜するアメリカが大資本の催眠誘導道具としてのメディアへの不信感を募らせているのがわかる。
 

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2016年6月10日 (金)

文芸同人誌評「週刊読書人」2016年6月3日)白川正芳氏

《対象作品》 第59回農民文学賞受賞作の本田初美詩集『どこにいますか』(「農民文学」312号)、「アミーゴ」(松山市)より堤高数「山頭火の俳句」、「詩と眞實」4月号(802号)よりてらしませいたろう「壁と話す」・階堂徹「夏の記憶」・吉田真枝「洗濯」、「VIKING」785号より月村敏行「「人間-人類」論における生物学序説」、『SEITO百人一首』(同志社女子大学発行)より宮川恵里加・古株基喜
鈴村和成「講演 ランボー砂漠をゆく」(「イリプス」18号)、内藤万博「サマータイム、双子のグローブ」(「mon」8号)、特別企画「丸山豊生誕百年」(「季刊午前」53号)、大西真紀「わたしがシャーベット係」(「創」10号)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年6月 9日 (木)

第2回金沢文学フリマを6月12日に開催迫る

第二回文学フリマ金沢2016年6月12日(日) IT武蔵プラザにて開催。
•併催企画 テクニカルセッションのご案内/◦1.トークセッション「金沢の街並みと文学について」/◦2.歌会セッション 金沢市在住の歌人・黒瀬珂瀾による「歌会ワークショップ」/◦3.おつかれさま会。
 なお、文学フリマ短編小説賞を「小説家になろう」で募集中。

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2016年6月 7日 (火)

ウェブ小説はいまや市場の中核

 文芸批評家で編集者の飯田一史さんは、投稿サイトが出版業界に与える影響などをまとめた『ウェブ小説の衝撃』を2月に刊行した。その冒頭で、「ウェブ小説は、いまや日本の小説市場の中核に位置している。少なくともビジネス的には、確実に」と断言。同書によると、すでにウェブ発の小説が日本の小説市場の売り上げの半分近くを占めているという。
 作家と読者をつなぎ、文芸誌や新人賞を通しての書き手の発掘、作品のPRなどを担ってきた出版社だが、飯田さんは「出版不況といわれる中で、旧来の手法が機能しにくくなってきている。作家と読者が直接つながり、ニーズに合った作品が生まれやすい投稿サイトが、これまで出版社が担ってきた役割を果たしている」と指摘する。
 その上で、「出版社にとって投稿サイトは脅威にもチャンスにもなる。ウェブか、紙かという議論ではなく、ネット発の小説とどう付き合っていくのかを真剣に考えるときがきている」と話す。
.《産経ニュース:投稿サイト発ベストセラー続々 新たな才能発掘へ出版社も新規開設

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2016年6月 5日 (日)

著者メッセージ: 鏑木蓮さん 『炎罪』

 お久しぶりです。鏑木蓮です。
 さてこの度、単行本『炎罪』をお届けできる運びとなりました。主人公は、古い京都言葉が残る京都の花街・上七軒で育った女刑事、片岡真子です。
 真子は本来芸妓となるべく母親に日本舞踊や作法を仕込まれましたが、弓道を修めてから生まれ持った正義感に火が付き刑事になりました。そのため刑事らしからぬ言葉遣いや所作がつい出てしまいます。発想も、剛ではなく柔、まさに柳のようなしなやかさで、凶悪で狡猾な放火殺人犯を追い詰めます。
 犯人が練った仕掛けに真子ならではの感性と着眼点で対抗、きっちりとけじめを付ける爽快さを楽しんでいただきたいと思います。
 「うち、悪いお人を許すことが、どうしてもでけへんのどす──真子」(鏑木蓮)<講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年6月1日号より>

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2016年6月 4日 (土)

西日本文学展望「西日本新聞」16年5月27日朝刊・長野秀樹氏

題「日常とは何か」
坂本梧朗さん「ラスト-ストラグル」(「海峡派」136号、北九州市」)、あびる諒さん「ちぎれかけのシブァ」(「詩と眞實」803号、熊本市)
「九州作家」130号(北九州市)より内海紀雄さんの評論「漂う屈折と悲哀 島の生んだ詩人中村不二男」
浜崎勢津子さん『吉津富子』(いづみプリンティング)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年6月 3日 (金)

雑誌の売り上げ32年ぶりに書籍を下回る

出版取次大手の日本出版販売(日版)が2016年6月1日に発表した15年度決算によると、雑誌の売り上げが32年ぶりに書籍を下回った。
15年度の書籍売り上げは、前年度より0.5%増えて約2476億円になった。一方、雑誌売り上げは、前年度より9.9%減って約2435億円になった。書籍は又吉直樹さんの芥川賞受賞作「火花」など話題作が相次いだが、雑誌は女性ファッション誌などが不振になった影響が出ているとみられる。

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2016年6月 2日 (木)

著者メッセージ: 真保裕一さん 『遊園地に行こう!』

  今回、『遊園地に行こう!』を書くため、テーマパークで働く若い人たちから話を聞かせてもらった。お客様に喜んでもらおうと、真心をつくす。
 夢の世界を作り上げるため、力は惜しまない。アルバイトという立場でも、遊園地への愛にあふれていた。その姿勢は、小説を書く者にも当てはまる。
 何より読者に喜んでもらう。そこに書き手の喜びがある。小説を書くのが楽しくてならなかったころの志を思い出すとともに、書く動機の再確認ができた。
  かつての個人的な思い出も手伝い、夢の世界で働く意義や喜びだけではなく、根底にせつなさを持つ物語になった。夜の遊園地も登場する。ドラマと事件は満載で、読者には楽しんでもらえると確信している。
  遊園地は楽しい時間を我々に提供してくれる。その裏には、人を楽しませるプロがいる。かくありたい、とわたしも思う。 (真保裕一)<講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年6月1日号より>

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2016年6月 1日 (水)

文芸時評(東京新聞5月31日付け)佐々木敦氏

対象作品=三島由紀夫賞・蓮実重彦「伯爵夫人」(「新潮」4月号)/群像新人賞・崔実「ジニのパズル」(「群像」6月号)/内村薫風「鏡」(「新潮」6月号)中村文則「私の消滅」(「文学界6月号」。

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