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2016年6月14日 (火)

文芸同人誌「季刊遠近」第60号記念特集号(川崎市)

 本誌の特別会員である評論家・勝又浩氏の著書「私小説千年史―日記文学から近代文学まで」(勉誠出版)が、和辻哲郎賞を受賞したことが巻頭に記されている。《参照:勝又浩「私小説千年史」出版記念会の光景
 選考委員の梅原猛氏が、「大胆な文学論」と評価しているという。受賞の言葉では、生涯のまとめとして道元「正法眼蔵」に取り組みたいが、和辻哲郎の書も多く読んでいるので、何かの通底するところがあるのかも知れぬ、という趣旨が述べられている。私も読んでいるが、異色の視点による文学史観だと思う。本書は、我が周辺でも人気があって、友人が貸してほしいというので貸した、が回し読みでもされているのか、戻ってこない。
【勝又浩「歌と日本語」】
 日本人のリズム感の特徴について語る。文章のリズムも、日本語には特徴がある。それに関連するからであろう。実際、海外の詩のリズムと日本の短歌、俳句、さらに近代詩の文語体のリズムから、萩原朔太郎、西脇順三郎まで、言葉のリズムの変遷と格闘がある。このエッセイのなかで注目したのは、小泉文夫の民族と音感の研究について触れていることである。自分が仕事の関係で小泉氏の講義を聴いてから、まもなく亡くなってしまった。その研究成果には、やはりカルチャーショックを受けた。
 勝又氏よると、日本人が三拍子を不得意とするのは、農耕民族だからというような説明を小泉氏がしているという。その説明には難があるだろう、という。日本語は単語の一語の音が独立しているので、歌う場合、音をいくらでも長く伸ばせるが、英語などでは単語としてまとまって表意するので、音だけで長く伸ばして歌うのができない、としている。たしかに若いミュージシャンなどが、海外を意識している歌には、日本語として変な拍子のものが少なくない。
 私が小泉氏の講義を聴いた際には、音感と民族との関係について、少数民族が何らかの理由で、まとまる必要がある場合には、リズム感を磨き上げる要因になるということであった。事例としては、バリ島の民族のケチャが世界で最もテンポが速いということ。何らかの団結が必要であって、生まれたのであろうということだった。なお、同様の理由で、エスキモーは、鯨を集団で捕る必要から、気を合わせるために、みなリズム感が優れているそうである。同様に、台湾の高砂族は少数部落が分散して住み、敵対する種族の首を狩る首狩り族が多く、そのため共同して敵を襲うための合図が発達したので、音感が良いと聴いた。後年になって、台湾の原住民・高砂族の子孫という人に会って、その話をしたら、なんでも、歌手のビビアン・スーやジュディ-・オングなどは、祖先は高地民族だそうで、その説に当てはまるということを聞いた。
 ちなみにその時、小泉氏は日本の生活語に「クビになる」という語が定着しているのは、祖先に首狩り族がいたのではないか、と語っていた。私がカルチャーショックを受けたのは、その話から日本人が多様性をもった多民族国家であるという、根拠の証拠を得たと思ったからである。勝又氏のエッセイには、短歌など短詩をめぐる、文学表現における言葉のリズム論を展開されるのではないかと、期待させるものがある。
 発行所=〒215-0003川崎市麻生区高石5-3-3、永井方。
紹介者「詩人回廊」・北一郎。

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