文芸同人誌「奏」(第32号)2016夏(静岡市)
【エッセイ「水俣―ひとつのルーツを求めて」田代尚路】
これはエッセイというより、東大安田講堂で5月3日~5日に行われた水俣病「水俣フォーラム」初日講演会のレポートである。《参照:暮らしのノートITO「文芸と思想」》石牟礼道子「苦界浄土」を軸にした社会文芸評論でもある。概要として「現在のチッソの位置」(小宮悦子氏の話)、「具体的なエピソードの強み」杉本肇氏の話)、「猫の慰霊」(石牟礼道子氏の新作能)、「水俣と私」(田代尚路)のセクションがある。それぞれの項目において、人間の家族関係の強さに胸を打つものがある。作者自身が無縁と思っていたこの事件に、物理的な縁があったことを地霊の存在とからめて語っている。これを記す自分も東京湾の漁師の子であることから、妙な懺悔心に襲われる気持ちで読み終えた。書く材料に頭を悩ます人がいたら、読んで欲しい良い作品といえる。
【「小川国男『海からの光』論」勝呂奏】
小川国男の小説のなかで、その作家の書く姿勢の本質を読み取ろうとする評論である。この作品について、吉本隆明が宮沢賢治「雁の童子」のように、文学芸術家の文学者としての証明のような作品という趣旨の評をしていることが記されている。たしかに、小川国男の文章には、技巧を超えたなにかがあって、幾度か部分の読み返しをさせるものがある。その推敲の痕跡をたどるものであるが、参考になると同時に、作家精神と宗教心というものを考えてしまう。
【「堀辰雄をめぐる本たち④――菱山修三訳・ポォル・ヴァレリィ『海辺の墓』」戸塚学】
堀辰雄とヴァレリィというと「風立ちぬ」の冒頭の「いざいきめやも」という妙な文語体の訳語で有名だが、菱山修三が影響をうけ盛んに訳していたことが研究的に記されていて、新鮮である。
同じ筆者による「堀辰雄旧蔵洋書の調査(九)―プルースト③」も興味深い。堀辰雄は、日本の平安朝文学の文体の調子と、フランスのプルーストの微細なでスローな文章との調和をはかる文体創造に、相当熱心であったように思える。もしかしたら、芥川龍之介の文法に忠実で明解な論理性で失われがちな味わいを、もっとソフトなものにしようと苦心していたのかもしれない。
【「枝垂れ梅」小森新】
長男の私が南伊豆の町に一人暮らしをしている母親の様子を見に、定期的に実家に帰る。いわゆる普通の家族の普通な生活の有り様がわかって、面白く興味深く読んだ。
〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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