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2016年6月22日 (水)

「樹林」2016・5月号を読んで、自らの文学遍歴のことなど

 大阪文学学校の機関誌「樹林」を読んだ。その機会を与えてくれたのは、同校の安芸宏子講師である。《参照:「北川荘平没後十年」(を安芸宏子)を「樹林」に発表
 本誌で一番先に読んだのが、長谷川龍生「転倒の時告――文学学校運動会のことなど」である。88歳。末尾の詩に「友だちも消え/たった一人で寂しいですが/一日一日を大切に生きています/詩もすこしづつ書いています」ーーとある。
 なにか胸にぐっとくるものがあった。
 詩作を始めてしばらくして、小野十三郎の詩を読んだ。ドライ・ハードな手法に、面白いと興味を持った。当初は萩原朔太郎に傾倒していたが、天才的なインスピレーションに、自分は詩人にはなれないと、悟っていた。小野十三郎を読んで、こんな表現があるのだと、面白く思った。そしてその次に読んだのが長谷川龍生詩集であった。高校を出て勤め人になったが、職人仕事が面白くない。そこで、当時中野か東中野かにあった夜間の文学学校の講師をしていることを知って、聴講に行った。故人となった針生一郎や木原孝一たちも講師にきていた。
 夜間の講演だったが、その運営担当者が「今日は良い女は来ていませんよ」とまるで女あさりに来たかのような、応対をしたので、くだらない文学学校だと、2度と足を運ぶことはなかった。
 TVニュースで、2020巣東京オリンピックで、原宿駅の改築の必要性を報じ、その近くの皇族駅のゆくえを話題にしていた。山手線でそこの無人駅の前を通るたびに、長谷川龍生の詩を思い起こす。いちばん最近、長谷川氏と話をしたのが、神楽坂の赤城神社となりの会館で、詩人・秋山清の「コスモス忌」だったように思う。その会館も今はなく、コスモス忌のメンバーも消えていく人が増えた。


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