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2016年5月25日 (水)

文芸同人誌「異土」vol.12ー2016年.2月(奈良県)

 本誌は、硬い長編評論があって、その中に小説がある。とくに評論は自分にとって教材のようなものであり、その視点から紹介するしかない。
【野武 政「カントの道徳論―自分の理性を使う勇気を持て」(109枚)】
 本論は、カント哲学の道徳論のみを選んで、解説したものである。動機として、かつてシモーヌ・ベイユ(1909-1943)が抱いたような世界的な戦争への危機感からだとしている。 内容は、「時代背景」「カントの哲学」「カントの道徳論」(1、道徳上の最上原理。2、通年と道徳。3、意志の自律)――である。
 硬い話なので、自分もわからないことが書いてある。それでも、こうして道徳論だけを世界認識の基盤としてピックアップしたのは、大変便利なように思う。
  まず、現代の世界の動向において、宗教が政治の道具にされ、利己主義的欲望の道具とされている。神の名において、他者の生命を奪うことを正当化するテロや戦争が増殖している。生命の抹殺を悪としてきた概念がどこかに押し込められている。世界各国のリーダーたちが、言行不一致(うそつき)であり、それ自覚しながら、大衆に嘘をついて、恥じない風潮にある。
 するとこれまで人間が、生まれつき持っている(経験で学ばなくても知っている)特性としての「真」「善」「美」の尊敬心への価値概念が崩れていくのではないか、という疑念がでてくる。「これまで良くないとされたことでも、みんなやっているからよい事なのだ」という思想が蔓延することへの不安はある。おそらくこうした風潮に、危機感をもって本論が生み出されたようだ。
 自分はポストモダンの時代の視点から、モダン社会に生きた菊池寛の思想に関する評論を書いているが、そこに菊池寛が「真・善・美」の価値観のうち、どれが大事かを芥川龍之介に語り、「なんといっても善だよ。私は善を一番にする」と語っていることを資料で見つけた。芥川龍之介が美に関心があったことを意識してのことであろう。
  これをすでに、カントが「善い意志こそ一番大切である」と論じていることを本論で知った。
 さらに「自分の行為の信条が自分の意志によって普遍的法則になるべきであるかのように、行為しないさい」と論じている。サルトルは、実存主義思想のなかで、「人間的行為において、誰もがそれをしても社会的に問題がないこと、それが自由として許される」としている。これに重なるのである。
 なぜ、人を殺してはいけないか、に答えられない時代になったが、ここで、自分が隣の人を殺してはいけないのは、すべての人が隣の人を殺したら、社会は成立しない、したがって許されない行為であると考えられる。また、公衆トイレが必要なのは、一人だけが路上で用を足しても、たいしたことではないが、すべての人がそれをしたら、街が住めない場所になるからである。災害時の疫病のことを考えることだ。
 その他、 道徳と倫理美について、神風特攻隊の行為の美化と、それが侵略戦争行為へ罪悪とが両立しうる要因など、形而下的な意識との整合性が学べるところがある。
【評論・松山慎介「井上光晴という生き方」(171枚)】
 晩年に全身小説家として、その履歴の虚偽性への思想的確信ぶりが話題になったが、その経緯や共産党員としての思想と文学、人生事情の解説がある。どうも文学者はみな革命を暴力装置と結びつけて、考えるようだが、実際は産業革命やIT革命のように、全面的に途中経過を断絶させることであることに触れない。自分にとっては、なにかぴったりこないところがある。興味深かったのは、「死霊」の作者である埴谷雄高との、文学的方向性の違いを井上が意識していたらしいことであった。
【評論・紀井高子「ブリキの太鼓」(139枚)】
 自分は集英社の単行本で3冊を持っていたのだが、転居の際に読みかけのモノをすべてなくしたらしい。本論のおかげで、その概要と意味がなんとかつかめて助かった気がする。作者のギュンター・グラスがノーベル賞をもらったのも、やはりナチス政権への贖罪意識とからめてのものであったような気がした。現在、ドイツは脱原発政策を進めているが、原子力村のような原発利権もあるそうで、その事情を知る機会が多い。チェルノブイリ原発事故のための病弱者を救済するボランテティア病院など施設がウクライナにありドイツ人によって、運営されている。もとは、ナチス時代の行為への贖罪のために、生活支援に出向いていたそうである。それが事故に直面してそうなったという。さらに現在でも、ナチス政権によって、性同一障害の仲間たちが迫害を受けたという申し出があると、その謝罪の碑を建設中であるという。このような、環境にある国の事情を理解する手がかりになんるかも知れない。
 他の作品も何かの機会があればふれてみたいが、余裕がない。
発行所=文芸表現と思想の会(〒630-0239奈良県生駒市青山台342――38、秋吉方)
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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