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2016年5月30日 (月)

文芸時評6月・蓮實重彦受賞会見の評価=石原千秋氏

 蓮實重彦の三島由紀夫賞受賞不機嫌記者会見が話題になった。賛否両論。社会人としてはアウトだが、芸術家としては「あり」だろう。蓮實重彦のメッセージは2つ。1つは「私を作家として扱うな」で、もう1つは「質問するなら私の本ぐらい読んでおけ」だろう。せめて『表層批評宣言』(ちくま文庫)一冊でも読んでおけばああいう事態にはならなかったはずだが、あれはあれで楽しめた。
《参照:不機嫌なメッセージ 早稲田大学教授・石原千秋

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2016年5月29日 (日)

「文人碁会」(世話人・三好徹氏)に参加する

 文人碁会というのがあって、このほど北一郎も参加してきた。《参照:「詩人回廊」》作家の碁の話というと、古くは坂口安吾の「文人囲碁」や伊藤礼氏の「パチリの人」というのがある。戦後は文壇囲碁という世界もあったらしい。現在の文人碁会は、推理作家の三好徹氏と、秋山賢司氏が世話人で、それに詩人の郷原宏氏が加わった。
 三好徹氏は、名前貸し程度に考えていたら、元気で参加されたのは意外だった。郷原氏の「詩人碁会」のメンバーも多く、その詩人のあるひとから、帰り際に「世話人の三好氏と秋山氏が、参加者から先生と言わていましたが、囲碁の先生もしているのですか」と聞かれた。「いや、そうではないでしょう。昔からプロの物書きや資格の士のサムライ業のひとには、先生というしきたりなのでしょう」と説明した。大衆社会から小衆社会になって、従来の慣習の一般性の幅が狭まったことを感じ、苦笑してしまった。「先生といわれるほどの莫迦でなし」というような川柳もあったように思う。

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2016年5月28日 (土)

アダルトビデオ制作業界の光と影

 アダルトビデオの出演強要の被害に関するシンポジウムに行った。《参照:アダルトビデオ出演強要被害 の根絶で院内シンポ》。まあ、この問題になると、多くのひとが集まる。
出演者のなかには、自由意志で金のためにやっているひとや、これを足がかかりに有名タレントになりたい人もいる。
 しかし、ユーザーのなかには、素人っぽい女優というか、高校生風の出演者を求める層もあるので、その被害を受ける人が増えるのであろう。
  ここの読者は若い層が少なそうなので、縁がないと思うかもしれないが、一応自分の取材した範囲で対応策を述べる。これは高額羽毛布団を売り込む手口にも共通している。相手は断れない雰囲気にしてくる。笑顔だったりやさしかったり、そこで、同じ笑顔を返しながら対抗策を打つ。
 まず、ただ1回の出演で契約書が必要か考える。契約書は、およそ業者の脅しの道具に使われると考えた方がよい。その契約書と別に、その組織と代表者、強要する担当者の名前と住所、名刺などをもらっておくなど、質問をする。しつこく勧誘してきたら、それを聞かずに、自分からの質問を繰り返す。大したことでないように、笑いながら。運が良ければ、向こうも不安になって引いてくる。それに脅しめいた言葉を吐けば、脅迫、セクハラの証拠にならう。
 また、自由意志で出演している人もいるが、それなりに自己防衛策を考えているという話を聞いた。悪質な業者には、あとで警察に申し出てセクハラ、痴漢をされたと思い込んでいる女性と思わせると、話をきいてくれることもあるという。
 うその痴漢被害を受けたといって、女性が訴えても、警察は犯人を作りたいので、関心を示すし、それがウソだったからといって、刑事罰を受けたという話をきいたことがない。
 
  

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2016年5月27日 (金)

著者メッセージ: 森晶麿さん『ホテルモーリスの危険なおもてなし』

 東京オリンピックが刻々と迫っていますね。おもてなしって何でしょう?  ホスピタリティの語源を辿ると敵を迎えるというニュアンスも。 『ホテルモーリスの危険なおもてなし』の舞台は海辺の高級リゾートホテル。
 しかし、今はギャングの巣窟となり栄光は翳り始めている。現地へ乗り込む主人公の若き支配人はホテル運営未経験。頼みの綱はお酒に弱くてすぐに倒れてしまう元殺し屋コンシェルジュだけ。さて、日々訪れる危険なゲストを徹底的にもてなし、ゴールデンウィーク初日のギャング大宴会を無事に乗り切れるのか?
 文庫化に際して大幅に改稿し、よりポップかつラグジュアリーになったホテルモーリスへぜひ足をお運びください。巻末にかの美学教授が登場する「ホテルモーリス滞在備忘録」が収録されているほか、帯ソデにあるQRコー
 ドからは期間限定スピンオフ短篇が無料でダウンロードいただけます。
 文庫だけの特別なおもてなしをご堪能くださいませ。(森晶麿))(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年4月15日号より)


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2016年5月25日 (水)

文芸同人誌「異土」vol.12ー2016年.2月(奈良県)

 本誌は、硬い長編評論があって、その中に小説がある。とくに評論は自分にとって教材のようなものであり、その視点から紹介するしかない。
【野武 政「カントの道徳論―自分の理性を使う勇気を持て」(109枚)】
 本論は、カント哲学の道徳論のみを選んで、解説したものである。動機として、かつてシモーヌ・ベイユ(1909-1943)が抱いたような世界的な戦争への危機感からだとしている。 内容は、「時代背景」「カントの哲学」「カントの道徳論」(1、道徳上の最上原理。2、通年と道徳。3、意志の自律)――である。
 硬い話なので、自分もわからないことが書いてある。それでも、こうして道徳論だけを世界認識の基盤としてピックアップしたのは、大変便利なように思う。
  まず、現代の世界の動向において、宗教が政治の道具にされ、利己主義的欲望の道具とされている。神の名において、他者の生命を奪うことを正当化するテロや戦争が増殖している。生命の抹殺を悪としてきた概念がどこかに押し込められている。世界各国のリーダーたちが、言行不一致(うそつき)であり、それ自覚しながら、大衆に嘘をついて、恥じない風潮にある。
 するとこれまで人間が、生まれつき持っている(経験で学ばなくても知っている)特性としての「真」「善」「美」の尊敬心への価値概念が崩れていくのではないか、という疑念がでてくる。「これまで良くないとされたことでも、みんなやっているからよい事なのだ」という思想が蔓延することへの不安はある。おそらくこうした風潮に、危機感をもって本論が生み出されたようだ。
 自分はポストモダンの時代の視点から、モダン社会に生きた菊池寛の思想に関する評論を書いているが、そこに菊池寛が「真・善・美」の価値観のうち、どれが大事かを芥川龍之介に語り、「なんといっても善だよ。私は善を一番にする」と語っていることを資料で見つけた。芥川龍之介が美に関心があったことを意識してのことであろう。
  これをすでに、カントが「善い意志こそ一番大切である」と論じていることを本論で知った。
 さらに「自分の行為の信条が自分の意志によって普遍的法則になるべきであるかのように、行為しないさい」と論じている。サルトルは、実存主義思想のなかで、「人間的行為において、誰もがそれをしても社会的に問題がないこと、それが自由として許される」としている。これに重なるのである。
 なぜ、人を殺してはいけないか、に答えられない時代になったが、ここで、自分が隣の人を殺してはいけないのは、すべての人が隣の人を殺したら、社会は成立しない、したがって許されない行為であると考えられる。また、公衆トイレが必要なのは、一人だけが路上で用を足しても、たいしたことではないが、すべての人がそれをしたら、街が住めない場所になるからである。災害時の疫病のことを考えることだ。
 その他、 道徳と倫理美について、神風特攻隊の行為の美化と、それが侵略戦争行為へ罪悪とが両立しうる要因など、形而下的な意識との整合性が学べるところがある。
【評論・松山慎介「井上光晴という生き方」(171枚)】
 晩年に全身小説家として、その履歴の虚偽性への思想的確信ぶりが話題になったが、その経緯や共産党員としての思想と文学、人生事情の解説がある。どうも文学者はみな革命を暴力装置と結びつけて、考えるようだが、実際は産業革命やIT革命のように、全面的に途中経過を断絶させることであることに触れない。自分にとっては、なにかぴったりこないところがある。興味深かったのは、「死霊」の作者である埴谷雄高との、文学的方向性の違いを井上が意識していたらしいことであった。
【評論・紀井高子「ブリキの太鼓」(139枚)】
 自分は集英社の単行本で3冊を持っていたのだが、転居の際に読みかけのモノをすべてなくしたらしい。本論のおかげで、その概要と意味がなんとかつかめて助かった気がする。作者のギュンター・グラスがノーベル賞をもらったのも、やはりナチス政権への贖罪意識とからめてのものであったような気がした。現在、ドイツは脱原発政策を進めているが、原子力村のような原発利権もあるそうで、その事情を知る機会が多い。チェルノブイリ原発事故のための病弱者を救済するボランテティア病院など施設がウクライナにありドイツ人によって、運営されている。もとは、ナチス時代の行為への贖罪のために、生活支援に出向いていたそうである。それが事故に直面してそうなったという。さらに現在でも、ナチス政権によって、性同一障害の仲間たちが迫害を受けたという申し出があると、その謝罪の碑を建設中であるという。このような、環境にある国の事情を理解する手がかりになんるかも知れない。
 他の作品も何かの機会があればふれてみたいが、余裕がない。
発行所=文芸表現と思想の会(〒630-0239奈良県生駒市青山台342――38、秋吉方)
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年5月24日 (火)

穂高健一著「燃える山脈」(山と渓谷社)が6月発売に

 「市民タイムス」に連載の穂高健一著「燃える山脈」がより発売される。『経済(食べること)が、政治を動かす』
 それは如実な証明だった。《穂高桂一ワールド
 たしかに、昔は「ポリテア・エコノミア」いわゆる政経といって一緒だったということを聞いたことがある。

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2016年5月23日 (月)

文芸同人誌「弦」第99号(名古屋市)

【空田広志「チャンプルー苑」】
 四十歳を過ぎても独身の新という男が、都会生活の疲れを癒そうと沖縄に出かける。そこで、ミレという沖縄の基地への抵抗運動をしてきた女性の過去と現在が語れる。新は、不遇な生活環境のなかで、現実の厳しさに立ち向かう姿に勇気をもらうという話。
 視点が3人称であるが、語りの手法は一人称という、文章にアンバランスがあるが、物語のなかに、沖縄問題の現実を組み込んだところが、光っている。その事態の把握や思想がごく一般的であるのも、大衆の通俗的なヒューマニズム精神の観察の実態を反映。世間の多くはこのようなものであろうか、と思わせる。新という人物の子どもっぽさを指摘するような視点を明確にしないと、作者の眼力に疑問が生じるとも思わせる。
【長沼宏之「秋の間奏曲」】
 英二は五十九歳になった。近頃は妻から夜の営みを「もう終わりにしない」と拒否されるようになった。「英二にとって妻との営みは欲望のはけ口というよりは、壮年の精気を証明する精神的なつっかい棒だった。突然そのつっかい棒をはずされて途方に暮れた。いよいそういう年齢に達したことを認めるように迫られ、一方で強く反発した。いまだに心の整理がついていない」という話をはさむ。その気持ちを埋め合わせになるような女性との出会いもあったが、彼女に別に愛する人がいた。全体に人生の秋の間奏曲として、テーマに触っている。折角テーマの泉に味をつけないのはもったいない。その水の味を深めるもうひと押しが欲しい。小説を作る発想を強めて、もっと粘っていい題材であろう。
【市川しのぶ「海なりの町」】
 人口減のさびれた漁師町の様子がよく描かれている。柔らかい筆使いで、じっくり読むとたしかに海鳴りの音が聞こえる。散文詩的な要素が光る。
【山田實「去りゆくもの」】
 ここには日本人の伝統的な血縁社会である家族の形態がみっちりと描かれている。創作としての作品制作努力に感心もするが、自分が興味深く思ったのは、密度の濃い家族関係社会のサンプルのように読めたからである。従来は、経済的な利害関係で人間の社会の形をマルクス主義思想で読み取られてきた。ところがポストモダン思想では、経済関係でのつながりより、無意識に存在している親族関係や風習に人間の社会形成に意味があるのではないか、という思想が生まれてきた。それをさらに進展させたポスト構造主義が生まれて来た。
 この小説には、そうしたその無意識の作用に埋没し、それに従う伝統的な気配をよく表現している。創作意識のなかに、外部社会の流れと衝突するか、流れに同化するかの問題意識をもって、その素材を活用したらどうであろうか、と思った。
【木戸順子「ディスタンス」】
 まるで職業作家のように安定した筆力で、次々と作品を生んでいる作者なので、純文学作品として、ほかの同人誌評で解説されるであろうと、しばしば紹介対象から外してきた作家である。今回の作品も、人間の関係性への漠然とした、しかし根強い欲求を満たそうとする独自の情念を描いて個性的である。理解者の納得を得られるかどうかが気になる。
【中村賢三「同人誌の周辺」】
 寄贈誌が多い同人誌で130冊を超える寄贈が記録されている。そのいくつかの感想評が集められている。現在、同人誌というと、コミケや文学フリマで売られているというイメージが浸透し、大衆サブカルチャー時代から小衆文化のひとつとなった環境の中で、意義のあるものに感じられる。
発行所=〒463-00137名古屋市守山区木幡中3-4-27、中村方。「弦」の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年5月22日 (日)

町田文芸交流会ー5月の例会報告=外狩雅巳

  町田文芸交流会が5月20日に例会を行いました。7人が参加しましたが作品未読の方が退席し6人で討論を行いました。
  今回は秦野市の同人誌「みなせ」70号の作品感想が主な議題でした。他に相互連絡なども行いました。
 「民主文学・待田田支部」の皆さんが事情で欠席でした。会合日が各会の合評日と重なる等で調整が大変です。
 参加内訳は「文芸同志会」「みなせ文芸の会」より各一人外は「相模文芸」クラブ」所属の4人です。「みなせ」70号の作品は小説以外にも随筆・詩・評論・ノンフィクションと、多彩なラインアップです。
  年四回の発行を担う岡森編集長の二作品は、時事問題に迫る内容なので討論も盛り上がりました。
  また、交流会宛に全国から送付される同人雑誌も回覧し各自選抜し持ち帰ってくれました。
 次回は6月19日を予定しています。次回の合評作品は六月初めの発行「群系」より行う予定です。
 次々回は夏休みを挟んで八月末の予定です。六月末発行の「相模文芸」等の作品を予定しています。
 ≪参照:町田文芸交流会事務局長外狩雅巳のひろば≫

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2016年5月21日 (土)

文芸同人誌評「週刊読書人」(016年5月13日)白川正芳氏

《対象作品》
中村淳子「あるき遍路」(「四国作家48号)、清水亮鳴「モミジの永観堂」(「美濃文学」93号)
烏月にひる「パチンコ玉はUFO、ブルーのビー玉は地球」(第32回織田作之助U-18賞・受賞作、「文学回廊」創刊号)、岡英里奈「カラー・オブ・ザ・ワールド」(「三田文学」125号)、坂本真紀「女性の創造力」(「舟」162号)、北川純「ダム底に沈む駅」(「群獣」16号)、沢崎元美「二重橋幻想」(「全作家」101号)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年5月19日 (木)

「伯爵夫人」あの程度のものはいつでも書けます

  受賞作「伯爵夫人」は、評論「『ボヴァリー夫人』論」を書いた影響が大きいと明かし「その100分の1の労力も費やしておりません。散文のフィクションの研究をしている者は、あの程度のものはいつでも書けます」とも話した。(産経ニュース:三島由紀夫賞「はた迷惑」 受賞の蓮実重彦さん「ばかな質問やめて」より)

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2016年5月17日 (火)

同人誌「マスト」第35号(宇治市)

 本号は、相馬康郎先生追悼号である。相馬氏の作品と、夫人の回顧録と生徒たちの偲ぶ言葉に満ちている。
【相馬康郎「深沢七郎という人」(「マスト」13号より再録)】
 深沢一郎のみならず、周辺の人間関係、女性関係などを紹介し、それを作品の生み出したれた動機や手法とからませて、興味深く読ませる。バックナンバーには優れた評論を、生徒の同人誌に載せていたことがわかる。10人の門下生の心のこもった弔文がいかに尊敬されていた師であることを示している。
【眉山葉子「湖の妖精(続編)」】
 エリカという女性の愛の遍歴物語である。アクロバット的なスピード感の文章。いかにも小説らしい小説で、才能的に何かを持っている作者のように思える。やはりこのようなロマン系のものは女性の方が適しているのか。どことなく味わいがあるし、面白い。
発行所=〒宇治市五ケ庄ノ内50-67、吉田方。マストの会。
紹介者・「詩人回廊」北一郎


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2016年5月16日 (月)

著者メッセージ: 西尾維新さん 『掟上今日子の婚姻届』

 西尾維新です。
 『掟上今日子の婚姻届』が出版の運びとなりましたので、ご挨拶させていただきます。
 シリーズ6冊目でしょうか。
 最速の探偵らしいペースで、作者も並走するのに四苦八苦しております。
 今回は厄介くん編です。
 今日子さんと厄介くんの、リセットされ続ける関係にまさかの変化が…?
 よろしくお願いします。 (西尾維新)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年4月15日号より)

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2016年5月15日 (日)

文芸同人誌「澪」7号(横浜市)

【石渡均「クラシック日本映画選―1「飢餓海峡」」
  カメラマンの筆者が、映像作家の視点で、自らの世代と重なる1950年代から80年代の現在でも再放送やDVDで観られそうな映画を解説するという。水上勉の小説「飢餓海峡」を内田吐夢監督が映画化したものを。映像的効果を中心に解説し、内田吐夢監督の人生についても触れている。自分も確かBSTVの再放送でこの映画を見た記憶がある。前半部のモノクロ画像に、懐かしいような画面の粗さがあった。昭和のドキュメント映画と見違うような効果を感じて驚いた記憶がある。それが実は、意図的に16ミリフィルムを35ミリに拡大した効果というこの評論論を読んで、なるほどそうか、と納得した。また映画関係者に直接インタビューした記録を挟むなど、いきいきとした評論に読めた。このような研究者の資料になりそうなものは、後世にも役立つだろうと思う。
【「あんよがジーズ」柊木菫馬】
 文体に躍動感があり、気を逸らさない。その筆力はすばらしい。四川料理のバイト生活や、親がかりの生活への認識など、現代人の生活の一端を描いていて、新鮮に感じた。「あんよがジーズ」というタイトルに至る話では、趣旨はわからないが、乳幼児の細かな描写など、見事なもので、自分自身の文体喪失へのコンプレックスを感じてしまった。本当に羨ましい。
発行所=241-0825=横浜市旭区中希望ヶ丘154、石渡方。文芸同人誌「澪」の会。
紹介=「詩人回廊」北一郎

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2016年5月13日 (金)

同人誌評「図書新聞」(16年4月9日)評者ー志村有弘氏

《対象作品》
  渡辺孔二「通り道」(播火第98号)/渡辺光昭「オタタカショが啼いた夜」(仙台文学第87号)/花島真樹子「忘れられた部屋」(季刊遠近第59号)/加勢駿「夏草の頃」(日曜作家第13号)/源つぐみ「記憶」(函館文学学校作品2016)/佐多玲「廃仏毀釈異聞―林太仲覚書―」(渤海第71号)/野沢薫子「串茶屋 流れ町」(九州文學第556号)。(以下略)(相模女子大学名誉教授)
 (「図書新聞」20160409付サイト)

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2016年5月12日 (木)

著者メッセージ   濱 嘉之さん『ヒトイチ 内部告発』

  一部のスポーツ選手と同じく、警察官は様々な誘惑に取り巻かれている。
  それは警察官が情報を持っているからだ。一般ドライバーがラジオで流れる交通取締り情報を気にかけるように、世の中にはびこる悪は、今警察が何を狙って動いているのか、自分たちについて警察はどこまで知っているのかを知りたがる。彼らにとって情報は死活問題にかかわるため、色目を使って取ろうとする。マスコミもまた警察の動きを逐一知りたがり、あの手この手を使って警察官に近づいてくる。
  警察官になった者は、社会正義の実現という崇高な使命を果たそうと一度は心に誓ったはずである。しかし不祥事が絶えない。不祥事を起こすのは誘惑に負けてしまった者たちなのだ。誘惑に負け、仕事に対する意欲を失った瞬間に組織に背を向けるようになる。組織が嫌なら辞めればいいのだが、辞める勇気も気力もない。辞めても「元警察官」のレッテルがつきまとう。
  誘惑が狙うのは、警察官が持つべき幅広い常識と深い良識を身につける意欲を失った者たちだ。彼らが人生の落伍者になる前に、本人とその家族を救うべく動くのが「ヒトイチ」、監察である。監察は公安のように全方位外交で事案にあたる。組織の内と外を同時に見ながら、一方でプロテクトを掛け他方で誘惑を排除する。これは警察官や警察組織のためだけでなく、警察が国民の信託に応えるために他ならない。  〈濱 嘉之)【講談社ミステリーの館】メールマガジン2016年5月号より。

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2016年5月11日 (水)

単行本「鰯」(たじからこん)=外狩雅巳

 単行本「鰯」(たぢからこん著)=320頁・文庫版。福岡県北九州市八幡西区千代1-26-13、あじさい出版)
  作者・たぢからこんは、「九州文学」所属の作者とも長い交流が有る。「文学街」の森主宰の呼掛けに応じ短編集に作品掲載した仲間の一人である。
  「文学街」の集会で九州文学代表の波佐間氏と知り合い同人誌交換も続けているので「相模文芸」も閲覧してくれている。
 有力な書き手の多い同人会でもまれているたぢからこん氏の作品は洗練されていて読み心地が良く面白かった。
 「元さん」は11作品が並ぶ中の巻頭である。浮浪者の元さんは公園に住み段ボール収集で生きる孤児である。
 倉田巡査の独白で書かれた部分から作品の顛末が想像出来る。正業に就き安定する元さんにほっとした。
 山口鶏助と言う方が全作品解説を8頁も行っている。解説によれば芥川作品の影響も良くわかる。
 解説は―弱者もそれなりの場所で強かに生きようとしていることを実感出来た。それが作者の祈りだと思ったー
 ※作品評では無くて感想です。作者は多くの読者を期待しています。同人会内部で読むだけではもったいない。 私なりの感想でも作者に還元できる事もあろうかとこんなつまみ食いですが公表しました。
≪参照:外狩雅巳のひろば≫


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2016年5月10日 (火)

「北方文学」73号、「さくさく」64号について=外狩雅巳

 町田文芸交流会には、続々と同人誌や著作本が届きます。深くは読めず、つまみ食い的な感想になりますがが、概要を一部ですが報告します。
 ☆「北方文学」73号(発行2016・4・30)=新潟県柏崎市小倉町 13-14 :玄文社
※徳間佳信「私説 中国新時期文学史2」を興味深く読みました。知らなかった文革以後の文学史です。文化大革命の体験的解明作品を列記して中国現代文学の本質に迫る解説は迫力があり読み込ませられます。
 また、文学理論の経過説明もあり政治と直結した文学の有り方等に大いに考えさせられました。
 越後タイムスに連載された作品の改稿 だそうです。次回以降は85年を境に変化する時期が掲載される。
 毎号を待ち遠しく思う「北方文学」は私も感想を載せますが伊藤昭一氏も既刊号を丁寧に紹介しています。
 特に70号記念号の紹介記事で【板坂剛「三島由紀夫と『永遠のゼロ』」に読む時代風潮】に惹かれた。
 伊藤昭一氏が「永遠のゼロ」の作者である百田百樹を日本民族への憧憬を見抜いた事も感心していた。
 71号で早速板坂剛氏の小説「秋の彼方に」を読みそこにある日本民族への迫り方にも読み込まされた。
 少年期の回想形式で64年の日本民族精神に迫ろうとする作品で16才の主人公を巡る構成である。
 街頭の傷痍軍人に聞く残酷な体験と学友が秘めた兄の殺人。そして明かされる傷痍軍人と妹の異様な現実。
 半世紀後の著者が抱く責任者として死ぬ必要がある天皇感。織り込まれた挿話に一貫する日本民族評を見ました。
 底流に軍歌の一節を散らすなど、読者を逸らさない文体。暁に祈るという歌から戦後日本批判も聞こえてくる。
 ※今号の編集後記には同人の追悼文に触れている。高齢化を前にしても同人増加の続く意気盛んさを伝えている。278頁と盛況さは毎回である。22名の同人名簿には東京からの参加者もあり魅力的で有力な雑誌である。

 ☆「さくさく」64号(発行2016-3-20)= 東京都台東区三筋 1-4-1-703  文学市場代表・坂本良介
 332頁の分厚い同人誌。年三回刊。長い交流のある同人会です。小説21編・随筆9編と膨大な作品が詰め込まれている。
 3月発行だが4 月17日の合評会報告を同封しての到着である。文学学校で9人による合評で8作を討議している。
 新海拓三「本郷油阪追分番屋」は連載だが7頁と短いが江戸情緒たっぷりで会話ですっかりはまり込んだの秀作てある。
  掲載作品が多すぎて長く載せられぬ事情もあろうが一挙掲載なら外部評も受けられるもったいない作品である。
 かって池袋で仲間を募り同人誌を発行した頃の知り合いが何人も掲載しているので30年前が懐かしく思い出される。
  私の相模原市移転に伴い主宰した同人会の半数がこの文学市場に行ったのだ。「相模文芸」にも同人数人が移ってきている。
  ≪参照:外狩雅巳のひろば≫

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2016年5月 8日 (日)

文芸同人誌「私人」第88号(東京)

 本誌は朝日カルチャーセンターの尾高修也氏の小説教室のメンバーによる。発行所は新宿住友ビルのセンターであるが、発行人は埼玉県在住の森氏になっている。総体的に、作品は創作意識の強いもので、指導精神のかたちが伝わってくるものが多い。それに忠実な作品ばかりではないようだが。よい先生がいるのに余計な口出しであろうが、紹介文を記す。
【連載・傍観録(二十八)「D・H・ロレンスの思い出(二)」尾高修也】
 ロレンスは19世紀的な手法の作家であるが、その作風はどこまでも小説的で、私も良く読むことが多い。伊藤整の訳もいいが、福田恒存の訳もいい。それぞれ訳者の異なるものを読むと、じわじわとロレンスの精神のニュアンスが伝わってくる。登場人物は肉体と精神のつながり方にこだわり、作家の好みを反映しているが、読んで退屈しない作家である。その根底には、生活の中に非日常を生み出していく手法があると思われる。
 ここでは、ロレンスの作品が出来た経緯が女性関係をからめて解説している。尾高氏が、ロレンスがフリーダと旅をしたという辺鄙なサルデーニャ島に行ったところ、カメラを向けると逃げ出すような原住民の存在があったというのが、面白い。前から、ロレンスの旅行体験をもとにした作品を読んで、よく変なところに行ったものだ、と感心したが、そんなところがまだあるのか、と驚いた。
【「ロシアンヒルの記憶」えひらかんじ】
 海外で武者修行したというか、文学的流浪したというか、ロシアンヒルでの米国留学生活で、学んだ経験が描かれている。昭和15年生まれの時代の人の視点から、農耕民族の土着的な人間関係の絆に縛られている日本人の生活からの見方で、非日常的なところが、書きどころ、読みどころであろう。
【「石川君」根場至】
 小学校時代に同級生であった石川君という気になる生徒がいて、それは定年退職後、偶然地域の水道工事かなにかの業者に石川組という業者がやっている。その社長がその石川君であるらしいが、会わずに終わってしまう。それだけのことで、まさに日常生活そのものを描く。これはこれでまとまっているので、悪くはないが、長すぎる。凝縮力が欲しい。せっかくの文芸表現の技術を学んでいるのであるから、人間の精神性に触れた表現をする発想をもちたいところ。生活状況の文章化だけでは、よくできた作文に範囲に終わってしまう可能性がある。
【「岐阜の記憶」櫻井邦雄】
  父親の晩年を描いて、それなりに人生の波乱を経ながら、終末を向かった父を思う。息子の供養の文章であるが、意味性は「石川君」と似ている。
【「ウサギの時間」宇田川淳】
 出だしは、前作と似たようなところがあるので、これはこういう作風の特集かと思ったが、途中から一転、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」ウサギの時間に入り込む。これは非日常性への展開があり、なるほどと納得させる。
【「水ようかん」伊吹萌】
 これは姉と妹の関係を追求できる設定であり、妹の性格が良く描かれているので読物として面白い。出来事も日常性を超えたエピソードがある。読物的な色彩に覆われ、文芸的な成果にまでたどりついたかというと、もう少し…といった感じ。
【「遠い家路」松本佐保子】
 女性らしい感覚で、家族の生活ぶりを描く。日常そのものであるが、結びに「人の晩年はあいまいなまま消えていくものだという気がした」と結んでいる。要するに作品の問題的に対する回答である。文学作品的には、その曖昧さを表現的に強調できるかという技術を検討する段階にあるのではないだろうか。
発行人=〒364-0035埼玉県北本市西高尾4-133、森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2016年5月 6日 (金)

詩人・北一郎が「碁苦楽人生」を目指す

  たまたま、詩人・山崎夏代氏と知り合い、そのお仲間から、詩人なら詩集ぐらいだしなさいよーーと言われ、そうかと、詩集「有情無情、東京風景」をだした。そのせいか郷原宏氏に誘われ、詩人碁会に参加するようになった。松本清張論での郷原氏は知っていたが、詩人から碁人になっているのを後から知った。《参照:碁苦楽人生
 唯物論者の北だが、べつに極楽は否定しない。親鸞聖人は、人々はすでに阿弥陀さまの浄土にいるのに、気づいていないだけ、というのは、なるほどそうかとそれを否定する根拠を持たない。《参照:北一郎の庭

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2016年5月 5日 (木)

西日本文学展望「西日本新聞」16年04月30日、朝刊・長野秀樹氏

題「母と子」
石元義正さん「母の手紙」(「西九州文学」37号、長崎市)、階堂徹さん「夏の記憶」(「詩と眞實」802号、熊本市)
石立冨生さん「或(あ)る帰郷」(「火山地帯」185号、鹿児島県鹿屋市)、「イリプス」18号(大阪市)より後藤みな子さん「川岸」(連作一)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年5月 4日 (水)

「 異土」 vol・12/「クラルテ」 7号/「日曜作家」14号の概要=外狩雅巳   

  町田文芸交流会に四月中に届いた同人誌は3誌あります。その概要と感想を記します。
☆「 異土」 vol・12(016年2月29日発行)〒630-0239奈良県生駒市青山台 342-98、 秋吉方「文学表現と思想の会」 
  314ぺ-ジの分厚い同人誌。年二回をこのボリウムで継続している。百枚前後の作品が六作も並び圧倒された。代表の秋吉好氏の歴史小説に惹かれた。連載中の【松永軍記】は今回は-足利幕府終焉の章-で143枚と重厚な作品だ。現在の奈良県に当たる大和の国を支配した戦国大名・松永久秀の視点で現在進行形の物語世界が広がってゆく。
 織田信長の進出で緊張する近畿地方の群雄。戦国期前半の主役達の滅亡への悲劇が胸に迫り作品世界に引き込まれる。
 文学表現と思想の会。と言う事で毎月必ず勉強会を行っている。そして雑誌の合評会も別途開催する熱心さである。
☆ 「 クラルテ」 第7号(016年4月28日発行)〒182-0035 調布市上石原 3-54-3-210、日本民主主義文学会代々木支部、代表・北村隆
  ものまね王座ファミリーで打線組んだ・と言うエッセーなどもあり多彩な作品で盛り上がる同人誌である。
  小高平男【東楽農民革命―朝鮮全土に広がる烽火】と言う研究ノートに注目した。
  明治日本帝国のアジア侵略の初期が判る作品である。日清戦争直前の朝鮮侵略が良く分かる。
  日本軍の隊長が残した記録を再録しながら他国民弾圧の凄まじさを忠実に追跡している。
  歴史問題に関心のある人には興味ある研究ノートとして読まれるだろう。北村代表からも年賀状などで親密な連絡が続き前号もこのサイトで紹介した。

☆「日曜作家」14号(平成二十八年四月二十一日発行)〒567-0064 大阪府茨木市上野町21番9号、編集代表・発行人 大原正義。現在右肩上がりです。この勢いに乗じて更に躍進。将来的には一目置かれるような文芸誌にまで育て上げたいと念じていますーとの挨拶状が挟まれています。年に四回発行の元気な季刊同人誌です。
 会員名簿には58名が並んでいます。文学賞に挑戦!自作品の単行本化!生きた証を残す!とスローガンも元気。
 同人勧誘が必修条件で掲載負担金を納め頂き遅滞なく印刷所に払うことで存続すると慎重な姿勢も記されています。
 図書館・雑誌社など64の送付先一覧の頁もあり「文芸首都」在籍だった大原代表の気宇壮大さと細心さが読めます。
  このサイトでの前号・前前号紹介時には全文転載してくれた律儀な面もあり毎号必ず紹介したいと思っています。
《参照:外狩雅巳のひろば




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2016年5月 3日 (火)

総合文芸誌「岩漿」第24号(伊東市)

【小説「老詩人と黒いゴム長靴」偲憂一】
 真鶴半島に前畑春聖という詩人が済んでいて、詩誌「詩海」を主催している。その詩人を高校生の頃に訪ねる。真鶴半島は、自分も好きな場所で、中川一政の美術館や、原生林のシダの棲息を見て回っている。尻掛けという場所も、その付近には固有の貝類がいて学問的に貴重らしい。とにかくあの崖の中途に住まいをもつ詩人が存在するという設定が面白く洒落ている。史実に合わせたフィクションにしても、詩人の師弟関係のような人情の交流が描かれており、文学的な散文として楽しめる。
 このような関係は宗教関係など、求道的な側面でも見られる関係で、その面でも道を追求してゆくひとつの典型として、普遍化した面を持たせている。それに風土性が感じられるので、一番印象に残った。
【「シベリアに抑留された伊豆の作家」桜井祥行」
 高杉一郎(1908-2008)と石原吉郎(1915-77)が共に、第2次世界大戦の時にソ連のシベリア抑留体験者であることから、その体験の表現法の異なる点を指摘、評している。両文学者の特性を示す、作品引用が適切で、なるほどと学ばせてもらった。
【「夏つばき」椎葉乙虫】
 会社の経営を巡って、人生を浮の沈みを主人公の幸田の運命を描く。物語性が強く、ストーリー展開に合わせて、文章にスピード感があるので、読ませられる。
【「現姥捨(いまうばすて)」馬場駿】
 これは高齢社会になった老人の社会的な棄民現象を、現代的な手法で物語化したもので、骨の太さがある。ただ、物語の進行の優先で、文章が粗いのは、「夏つばき」の作者と同一で、同じ人が筆名を変えて書いたものと、思えるような相似性がある。娯楽小説的評価では、後者の方に内容が濃い。
連絡先=〒414-0031伊東市湯田町7-12、リバーサイドヒグチ306、木内方。岩漿文学会編集部。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2016年5月 2日 (月)

著者メッセージ: 皆川博子さん 『クロコダイル路地』

  フランス革命といえば、貴族の横暴、飢餓に苦しみついに立ち上がる庶民、クライマックスはバスティーユ襲撃という構図が定番ですが、『クロコダイル路地』は、その後に続く革命の〈負〉の側面に焦点をあわせました。
 〈ナントの虐殺〉と〈ヴァンデ戦争〉です。
  自由、平等の名のもとに、惨憺たる虐殺が公然と行われ、一方を邪悪、他方を正義と、黒白二色に分断できない混沌とした時代でした。大革命によってフランスの経済は一時停滞し、その分、イギリスが利を得ます。当時のイギリスもまた、貧富の差は甚だしく、決して望ましい世相ではありません。
 世相がどうであろうと、その時代に生まれ合わせた者はその中で生きるほかはない。
  時代は悲惨ですが、物語の舞台としては魅力があります。十八世紀末のフランス・ナントから十九世紀初頭のイギリス・ロンドンへ。楽しんで書き ました。楽しく読んでいただけますことを。 (皆川博子)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年5月1日号)

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