文芸同人誌「弦」第99号(名古屋市)
【空田広志「チャンプルー苑」】
四十歳を過ぎても独身の新という男が、都会生活の疲れを癒そうと沖縄に出かける。そこで、ミレという沖縄の基地への抵抗運動をしてきた女性の過去と現在が語れる。新は、不遇な生活環境のなかで、現実の厳しさに立ち向かう姿に勇気をもらうという話。
視点が3人称であるが、語りの手法は一人称という、文章にアンバランスがあるが、物語のなかに、沖縄問題の現実を組み込んだところが、光っている。その事態の把握や思想がごく一般的であるのも、大衆の通俗的なヒューマニズム精神の観察の実態を反映。世間の多くはこのようなものであろうか、と思わせる。新という人物の子どもっぽさを指摘するような視点を明確にしないと、作者の眼力に疑問が生じるとも思わせる。
【長沼宏之「秋の間奏曲」】
英二は五十九歳になった。近頃は妻から夜の営みを「もう終わりにしない」と拒否されるようになった。「英二にとって妻との営みは欲望のはけ口というよりは、壮年の精気を証明する精神的なつっかい棒だった。突然そのつっかい棒をはずされて途方に暮れた。いよいそういう年齢に達したことを認めるように迫られ、一方で強く反発した。いまだに心の整理がついていない」という話をはさむ。その気持ちを埋め合わせになるような女性との出会いもあったが、彼女に別に愛する人がいた。全体に人生の秋の間奏曲として、テーマに触っている。折角テーマの泉に味をつけないのはもったいない。その水の味を深めるもうひと押しが欲しい。小説を作る発想を強めて、もっと粘っていい題材であろう。
【市川しのぶ「海なりの町」】
人口減のさびれた漁師町の様子がよく描かれている。柔らかい筆使いで、じっくり読むとたしかに海鳴りの音が聞こえる。散文詩的な要素が光る。
【山田實「去りゆくもの」】
ここには日本人の伝統的な血縁社会である家族の形態がみっちりと描かれている。創作としての作品制作努力に感心もするが、自分が興味深く思ったのは、密度の濃い家族関係社会のサンプルのように読めたからである。従来は、経済的な利害関係で人間の社会の形をマルクス主義思想で読み取られてきた。ところがポストモダン思想では、経済関係でのつながりより、無意識に存在している親族関係や風習に人間の社会形成に意味があるのではないか、という思想が生まれてきた。それをさらに進展させたポスト構造主義が生まれて来た。
この小説には、そうしたその無意識の作用に埋没し、それに従う伝統的な気配をよく表現している。創作意識のなかに、外部社会の流れと衝突するか、流れに同化するかの問題意識をもって、その素材を活用したらどうであろうか、と思った。
【木戸順子「ディスタンス」】
まるで職業作家のように安定した筆力で、次々と作品を生んでいる作者なので、純文学作品として、ほかの同人誌評で解説されるであろうと、しばしば紹介対象から外してきた作家である。今回の作品も、人間の関係性への漠然とした、しかし根強い欲求を満たそうとする独自の情念を描いて個性的である。理解者の納得を得られるかどうかが気になる。
【中村賢三「同人誌の周辺」】
寄贈誌が多い同人誌で130冊を超える寄贈が記録されている。そのいくつかの感想評が集められている。現在、同人誌というと、コミケや文学フリマで売られているというイメージが浸透し、大衆サブカルチャー時代から小衆文化のひとつとなった環境の中で、意義のあるものに感じられる。
発行所=〒463-00137名古屋市守山区木幡中3-4-27、中村方。「弦」の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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コメント
そうですね。「弦」の作品、いいのがありましたね。
木下順子さんの新しい心理分野への挑戦が買えますね。文学は新しくなくては意味がありません。そういうものです。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2016年7月24日 (日) 00時42分
弦99号を取り上げて下さいまして有難うございました。
同人一同、このようにご批評頂けましたことで、なお一層励みになります。
弦も歴史を重ねて、来号は100号になります。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 市川 しのぶ | 2016年6月13日 (月) 11時46分
今回、小品ながら、「チャンプルー苑」に目をとめて頂き感謝しています。作品は、竜宮伝説、浦島太郎のリメイク版。今、この時期にどうしても声をあげておきたかった、止むに止まれぬ心情を吐露したものです。最近、沖縄で、それを証明するような事件が起きてしまいました。これが、沖縄の闇を、ますます深いものにしはしないかと危惧するものです。一方で、こうしたテーマは、大作にしたいな、と決意したところです。
投稿: 空田広志 | 2016年5月28日 (土) 12時03分