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2016年4月14日 (木)

文芸同人誌「あるかいど」58号(大阪市)

 純文学商業誌の有力なものは数誌を読めばよいようで、文芸時評を読んで作品の選びようがある。ところが同人誌となると、どれを読めば良いのか、わからない。本誌は十二作品があると、後書きにある。若い人も多いらしく、それが作風に感じられる。気になるのは、世代の差で、共通の価値観で読み取れているかどうかだろう。
【「アゲハの卵」小畠千佳】
 珠名は、食堂に違和感をもち、医者に胃カメラで検診をうける。神経性胃炎程度で異常はみつからないという。しかし、彼女にはそこに虫がいるのが見える。小説としては、それだけでかなり問題なのに、彼女には入絵という姉が同居していて、別々に住みたがっている。これも問題である。おまけに珠名は子供を事故でなくし、自分も交通事故にあって、一時体の不自由なときがあったという。材料を並べ過ぎの感じで、短編小説として、そんなに材料が必要とは思えない。カフカのザムザは、存在が虫なったのに対し、本作は虫がつく話。あれこれ語って、全体的に、自己存在感の不協和が語られるのであるが、珠名のこの世がいやになってしまう気分が、読んでいやになるほど伝わってくる。
【「僕とマリーとヘソの夢」赤井晋一】
 僕のへそが移動していると彼女に教えられて気づく。実際にへそはお腹のまわりを一周しているのだという。それが元の位置に収まるまでに、マリーという彼女との関係が妊娠という出来事を通して無事進行する。なんでもないようなことが、大事なのだとわかる。何事もなく、それでいいじゃないのかなーーと感じさせられる。
【「ホッパー」西田恵理子】
 大学生の生活生態をソフトなタッチ文体で描き、なかなか面白く読ませる。魅力を感じさせるものがある。拓海という若者が崖から落ちて死んでしまうのだが、なんとなく無念という気分を表現して、残念に思わせるような吸引力がある。このような雰囲気小説というものが、描かれた同世代人にどう受け止められるのか、気になるところ。
【「赤塚山のチョンス」住田真理子】
 昭和二十年の戦時中に、朝鮮半島から徴用されて日本の赤塚山で差別をされながら働かせられていた若者たちが、米軍の空襲で壊滅したので、それを機会に逃げ出す。
 朝鮮半島人へ日本人が抑圧してきた歴史を受難者側からの素材で描く。作品に力があり、読ませる。歴史認識への思慮を深めるためにも、現在こうした事情を描くのに意義を感じる。
 参考資料として、「豊川海軍工廠の記録 陸に沈んだ兵器工場」(これから出版)と「歌劇の街のむひとつの歴史 宝塚と朝鮮人」(神戸学生青年センター出版部)があげられている。こういう書き方も必要であるが、別の角度から内面に隠された不幸感に踊らされてしまう、人間性の側面を明らかにするのも文学の仕事であるような気がする。
【「いつもここで朝になる」善積健司】
 夢のなかの自己探究になりそうな作品であるが、「赤塚山のチョンス」と対をなしたところまで到達点が見えればもっとよかったかも。
 他の作品も読んだが、それぞれ文学的な表現法にこだわったもので読み応えがある。とくに今回の高畠寛「同人誌評」欄の「雑木林」16号掲載の評論・安芸宏子「北川荘平論」は、「暮らしのノート」サイト「雑木林の会ひろば」でも紹介をしている。大阪文学学校の歴史の重みを感じさせる。
発行所=〒536―0042=大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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