文芸誌「駱駝の瘤」通信112016年春3・115周年号(福島市)
本号は、福島原発事故の5年目を迎え、大手メディアの伝えない現場情報に特長がある。文芸誌ではあるが、ジャーナリズム雑誌でもある。その視点から《暮らしのノートITO》のサイトで、まず報道した。大手メデアが権力に迎合する傾向の中で、知るべき事実を伝える手段として有効であることを再認識させられた。
【澤正弘「原発小説論(六)~3・1以前の小説(㈠長井彬『原子力の蟹』について】
この評論で、長井彬「原子力の蟹」が推理小説であり、約35年前の第27回江戸川乱歩賞受賞作であることを知った。本格ミステリーでありながら、社会問題として、原発ジプシーいわれた各地の原発を転々として働く労働者たちの様子、それを管理する会社の杜撰な人員募集体制…など、その仕組みが、2000年に東海村で起きた臨海事故で、マニュアル無視、裏マニュアルの仕組み。3・11の福島事故後の現在に至るまで、変わらない状況を示している。
この小説には、1961年米国アイダホフォールズの実験動力炉で起きた暴走事故(核分裂現象が5千分の1秒で逸走)で被ばくして亡くなった3人の原発労働者の事故の事実が記されているという。彼らの死体は事故後の20日間までは極めて高い放射線を放出したため、その後、身体は切断され高レベル放射能廃棄物とされて処理されたことが(注)にある。
こうした原発の非人間的な存在に警告をした本がいくつもあることを知ることができる。人間の金銭崇拝の精神が、科学への過剰な期待のための盲信につながってきた。求められるのは、人間の本性を見据えた意識改革。これが進まなないかぎり、どんな警告の書も無視されるであろうということがわかる。
【武田房子「水野仙子書館】
福島県出身で、田山花袋に弟子入りし、当時の文人と交流のあった作家の書簡である。病に倒れたのちの手紙類だが、その生き方が垣間見えて興味深い。
【石井雄二『ウェルテル』引用の意味】
中野重治の「歌のわかれ」の中にゲーテの「若きウェルテルの悩み」が引用されている場面を取り上げ、中野重治の作品との関係を解説している。私小説的作品のなかの文言を事実ととらえて、その検証をしているのだが、それを調べて歴史的事実と一致することがわかったのには驚かされた。また、前回、「街あるき」という作品の解説のなかに事実誤認があったとする、磐瀬清雄氏の指摘なども、よくあることで興味を誘った。
発行所=福島市蓬莱町1-9-20、木村方「ゆきのした文庫」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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