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2016年3月29日 (火)

「実験小説」という言葉が気になって= 早稲田大学教授・石原千秋

芥川賞の受賞理由にときおり出てくる「実験小説」という言葉が前から気になっていて、「実験小説はもう古い」という趣旨のことを何度か書いた。芥川賞は「実験小説」に寄りすぎていて「つまらない」し、直木賞は「通俗小説」に寄りすぎていて底が浅い。かつて「中間小説」という言葉があったが、いま芥川賞テイストと直木賞テイストの中間を「中間小説」と呼んでみたい。そして、芥川賞はときには「中間小説」に賞を出せばいいと思う。でないと、芥川賞も直木賞もテイストが固定しすぎて痩せた小説しか受賞できなくなってしまう。「こういう面白い小説も好きです」という選考委員がいてもいいではないか。
 蓮實重彦「伯爵夫人」(新潮)は、全ページ「卑猥(ひわい)」な言葉で埋め尽くされていると言っても過言ではない、渾身(こんしん)のポルノ小説である。昭和16年、おそらく第一高等学校在学中で東京帝国大学法学部の受験準備をしている二朗が「伯爵夫人」にセックスに関する「感情教育」(この作品名は中に示されているし、年上の女性による恋愛の手ほどきはフランス文学の伝統だ)をされる物語だが、二朗は従妹(いとこ)の蓬子に関心を持っている。その蓬子は許嫁(いいなずけ)と交わり、もし妊娠したら二朗の子だということにすると言うのだ。「伯爵夫人」とは本物の華族ではなく、戦地で性の道具となるなどして生き抜くうちにそう呼ばれるようになったのだ。最後に米英に宣戦布告した記事が載った新聞が示される。
 僕がふと思い浮かべたのは、あのレニ・リーフェンシュタールが晩年に出版した写真集『ヌバ』である。アフリカの部族を撮ったもので、女性を得るために男たちは武器を持って血を流しながら戦う。戦う男はまちがいなく「勃起」(この言葉は「伯爵夫人」に頻出する)していた。「伯爵夫人」には戦地の記述も少なくない。そう、戦争という名のエロスを「伯爵夫人」は書いている。いまこの小説が書かれた意味をどう読むかは、僕たちしだいだ。
産経《文芸時評4月「戦争という名のエロス」早稲田大学教授・石原千秋》 

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