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2016年3月30日 (水)

赤井都さんー豆本がちゃぽん10周年

  豆本がちゃぽん10周年本ができました。《言壺:豆本とは
  東京堂書店へ納品して4月1日からの販売になります。普及版は、全部は納品しないので、メールを見るのが遅くなったけれど後からでも、通販してほしいなという希望には、すぐに答えられます。
  展示は、えっこんなに東京堂の店内使わせてもらっていいの? という、豆本がちゃぽんジャック状態かと。must-seeです。
【2016年4月1日~5月31日 豆本がちゃぽん10周年】10年分のがちゃぽん豆本実物と、豆本がちゃぽん写真など
 東京堂書店神田神保町店(千代田区神田神保町1-17電話03-3291-5181、営業10-21時 日祝20時まで 無休) 1~3階奥階段スペース&カフェ壁
  豆本がちゃぽん第36集もあります。万一売り切れの際はご容赦下さい。
  ホームページに、通販ページをupします。
『本』『BOOK』『2016』そして上のがちゃぽん本。
これをupしてからメルマガ発行しようと思ったら、ずるずる
いってしまいました。やることが多い。すみません。
  4月末から、名古屋で、「そっと豆本、ふわっと活版、ほっこり
お茶」のイベントが始まります。5月には、かわくらワークショップ再び。和綴じの予定。自宅での教室は、1,3土曜日と、平日のプライベートレッスン。
■言壺便りについて
今度から、毎月25日頃発行にしようかと思います。そのほうが、制作リズムに合うかも? 大きい本をたくさん製本したので、キーボードを叩いていても今、手首が筋肉痛です。

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2016年3月29日 (火)

「実験小説」という言葉が気になって= 早稲田大学教授・石原千秋

芥川賞の受賞理由にときおり出てくる「実験小説」という言葉が前から気になっていて、「実験小説はもう古い」という趣旨のことを何度か書いた。芥川賞は「実験小説」に寄りすぎていて「つまらない」し、直木賞は「通俗小説」に寄りすぎていて底が浅い。かつて「中間小説」という言葉があったが、いま芥川賞テイストと直木賞テイストの中間を「中間小説」と呼んでみたい。そして、芥川賞はときには「中間小説」に賞を出せばいいと思う。でないと、芥川賞も直木賞もテイストが固定しすぎて痩せた小説しか受賞できなくなってしまう。「こういう面白い小説も好きです」という選考委員がいてもいいではないか。
 蓮實重彦「伯爵夫人」(新潮)は、全ページ「卑猥(ひわい)」な言葉で埋め尽くされていると言っても過言ではない、渾身(こんしん)のポルノ小説である。昭和16年、おそらく第一高等学校在学中で東京帝国大学法学部の受験準備をしている二朗が「伯爵夫人」にセックスに関する「感情教育」(この作品名は中に示されているし、年上の女性による恋愛の手ほどきはフランス文学の伝統だ)をされる物語だが、二朗は従妹(いとこ)の蓬子に関心を持っている。その蓬子は許嫁(いいなずけ)と交わり、もし妊娠したら二朗の子だということにすると言うのだ。「伯爵夫人」とは本物の華族ではなく、戦地で性の道具となるなどして生き抜くうちにそう呼ばれるようになったのだ。最後に米英に宣戦布告した記事が載った新聞が示される。
 僕がふと思い浮かべたのは、あのレニ・リーフェンシュタールが晩年に出版した写真集『ヌバ』である。アフリカの部族を撮ったもので、女性を得るために男たちは武器を持って血を流しながら戦う。戦う男はまちがいなく「勃起」(この言葉は「伯爵夫人」に頻出する)していた。「伯爵夫人」には戦地の記述も少なくない。そう、戦争という名のエロスを「伯爵夫人」は書いている。いまこの小説が書かれた意味をどう読むかは、僕たちしだいだ。
産経《文芸時評4月「戦争という名のエロス」早稲田大学教授・石原千秋》 

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2016年3月28日 (月)

文芸同人誌における経費負担の実際について=外狩雅巳

  数日前にここで紹介した文芸同人誌「私人」88号について、会計係・小保方俊様より、早速の返信が来ました。費用負担の仕組みについてです。朝日カルチャーセンターの受講生と教室担当の指導者の作品で出来ているのが「私人」です。二十人超の受講生の大半が常連で78歳の尾高担当教師と共に作品掲載を行っています。
  尾高氏は無料掲載で、受講生は原稿紙一枚千円の自己負担。約18万円で百部印刷との事です。
 一冊千円、二冊目は五百円、以降は二百円の頒価で五十部程を各著者が売り捌いています。
  外部送付は17部です。著者の平均年齢は五十歳程度。最高齢は84歳です。発行人の森由利子氏がメールで寄せられる作品を整理して印刷製本に送るそうです。
  手書き原稿は五百円増しです。森氏の報酬も少なく奉仕作業として献身しています。同人は講座受講生ですがカルチャーセンターからの金銭見返りはないそうです。年四回刊でも待ち遠しい同人も居るとの事で活況が良く分かりました。装丁も良く同人誌として他に互しています。上手な運営で書き手には恵まれた場所です。
  このように文芸同人誌は特定の数人が献身する事で廉価発行と結集を保っています。
  しかし、これまでの同人誌評は作品本位に成りがちで運営を取り上げませんでした。
  作品は作家しだいなので作者に恵まれない同人誌には外部評もありませんでし た。
  文芸同人会はみんな意欲的に結集し運営し発行しています。熱意は同じだと思います。
  運営や財政の努力も紹介してみたいと考え、視点を変えた同人誌紹介を行っています。
  当会は伊藤代表と手分けして同人誌閲覧を行う為に役割分担も出来るのです。
  作品評は造詣ある代表が行い、わたし外狩は視点を変えて高齢化社会の趣味の会の実情をお知らせしようと思っています。
  わたしの所属する「群系の会」は手書き原稿を送り、1頁3500円の分担金を支払っています。
  それでも多くの方が寄稿し二百頁超の各号を年二回刊行しています。求心力が有ります。
  知名度と質の高さです。これも同人誌の一つの有り方です。しかし、その他も有りです。
  複写してプリントした作品集に結集する会も多くみて来ました。費用も格安です。
  そこに生き甲斐を見出し、熱中する高齢者も多数なので文芸的芸術性は度外視しています。
  そんな、現状のあれこれを私の切り口から紹介していきます。
《参照:外狩雅巳のひろば


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2016年3月27日 (日)

第5回自由報道協会賞ノミネート作品の一般人最終投票の参加

  (公社)自由報道協会アワード選考委員会が、「第5回自由報道協会賞」のノミネート作品を選出し、一般人からの決定のための最終投票を呼び掛けている。《参照:第5回自由報道協会賞ノミネート作品投票サイト》3月28日(月)12:00まで投票を受け付け。ノミネートされたのは、下記の9作品。
・『週刊女性』編集部(主婦の友社)
・『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)
・NNNドキュメント『シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言』(NNN)
・『時代の正体-権力はかくも暴走する』(神奈川新聞「時代の正体」取材班)
・『陸自イラク派遣の報じられなかった実態―安保法制での「後方支援」で犠牲者続出の恐れ』 (志葉玲)
・『安倍政権の真の顔「攻防 集団的自衛権」ドキュメント』(朝日新聞政治部取材班)
・『悪いのは誰だ! 新国立競技場』(上杉隆)
・『タカ派改憲論者がなぜ自説を変えたのか 護憲的改憲という立場』(小林節)
・『百田尚樹「殉愛」の真実』(角岡伸彦、西岡研介ほか)
 私は現在シリアでヌスラ戦戦に拘束されているらしい安田純平氏が執筆参加する予定であったが、連絡が途絶えて参加しまいまま刊行されたという『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)に投票した。《参照: 安田純平さんシリア拘束の事情で判ったこと=高世仁氏》  

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2016年3月25日 (金)

所得格差と社会変革の動きを 「工場と時計と細胞と」に読む

「工場と時計と細胞と」(仮題)ー詩人回廊・外狩雅巳の庭ーが一段落した。このサイトでは、まだ、はっきりとまとまらない創作をメモ風に記すことができる。そのため、同人誌などに正面切って発表する段階でない、イメージなども表現できる。このような場がなければ、頭の中だけで存在し、文章にすることのないまま消えてしまうものもでてくると思う。作者はこれをまとまった形でどのように表現するかを、編集人と打ち合わせを重ねることになるであろう。文芸同志会では、それなりの基準があるので、話し合いが不調であれば、発行しないこともある。それが同人雑誌の同人とは異なるところでもある。
 この草稿のなかでの特殊性は、社会の発展段階において、資本家階級と労働者階級の利害の対立が生じる時代があること含む歴史観が軸になっていることであろう。。
 この視点はヘーゲルの弁証法をもとに社会は段階を踏んで発展していくものであるーーという思想によっている。それをマルクスが「資本論」で、労働者と資本家の闘争的段階があること、やがて資本主義社会は、高度に発達すると社会の矛盾が激化して、労働者の革命運動によって、共産主義社会になることを理論化したことによる。
 いわゆるマルクス主義思想であるが、その根底には、社会の構造的な変化を前提したものである。
 それが、階級闘争に労働者が勝利することだけに焦点を絞るようになった。労働者の団結によって、資本家から有利な報酬を得ることで、労働者の勝利とするような発想に変わってしまった。大企業の組合は、資本家の仲間になってしっまった。賃上げ闘争に終始するうちに、資本家内労働者団体と資本化団体の収益の分配をめぐる戦いになって行った。
 それが、いわゆる国民の所得の再分配という考えになり高度資本主義のなかの社会民主主義的な低所得者所得補償制度への変化となった。
 これがアメリカの大統領選挙で、ヒラリー候補の対抗馬としてサンダース候補の登場した要因でもある。
 ピケティの資本主義論も、所得格差の解消論であって、人間の意識革命のない社会的政策論である。
 マルクス主義における革命には人間の意識も変わって発展する社会というものを目指しており、それを革命としているはずである。
  現在では、マルクス主義は終焉したとする時代になったがようだが、こうした思想によらずに、人間社会の発展の把握はないかというと、そうでもない。人間の本質には、変化を好み、同じ状況を好まないーという生物であると考えると、それが発展へ向かうか、破滅に向かうか不明だが、とにかく現状を否定する性質をもつのではないか。中東で検問に引っかかって、現地から強制的に退去させられた若者は、日本に住むのがいやになったという理由だそうだ。現在の状況を否定し、何かの変化を求める人間的な欲望にかられた行為なのであろう。(北一郎)


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2016年3月24日 (木)

【エンタメ小説月評】交番勤務の日常(読売新聞文化部・川村律文)

古野まほろ『新任巡査』(新潮社)は、平凡な成績で警察学校を卒業した上原頼音らいとと、優秀な女性警察官・内田希あきらの新人2人を通して、地域における警察の仕事を活写した長編だ。県警の筆頭署に配属され、大きな駅の東と西の交番で勤務を始めた2人は、交番の外に立つ立番や、家庭や会社を訪問する巡回連絡、交番内での雑用に至るまで、地味に見える仕事に意味があることを、考えながらつかみ取っていく。
 終盤の展開はもちろん読ませるが、物語の白眉はさしたる出来事が起きない前半部分だろう。元警察官僚という著者だけに、交番の日常業務についてのディテールが豊かで、人々のわずかな挙動や言葉、うわさ話から、事件などの芽を察知していく警察官の視点に驚かされる。警察回りの新人記者の時に読むことができていれば、もう少しましな仕事ができたか、と思わず独りごちた。
真藤順丈『夜の淵をひと廻り』(KADOKAWA)は、修羅場を経て街の物事すべてに首を突っ込むようになった詮索魔の巡査・シドの物語だ。通り魔に襲われた被害者が加害者に変貌して起こす無差別殺傷や、十数年にわたって続く未解決の連続殺人など、山王寺という街で続く奇妙な事件に関わっていく。長い手記を、ひそかにつづりながら。警察官は登場するが、味わいはミステリーというよりホラーに近い。因果律のように人々をからめ捕っていく禍々まがまがしい出来事に対して、シドは捜査には深入りせず、住民を観察して歩き、情報を集めることで向き合う。警察小説の型におさまらない物語は、奇想の作家の面目躍如と言えるだろう
佐藤亜紀『吸血鬼』(講談社)。オーストリアからの独立の機運が渦巻く19世紀のポーランド・ガリチア地方。若い妻とともに田舎の村に赴任した役人のゲスラーは、次々と起こる怪死と、迷信にとらわれて陰惨な風習にすがる村人を目にすることになる。ウピールと呼ばれる吸血鬼におびえる村人たちと、熾火おきびのようにくすぶる蜂起の動きを底流に、ストーリーは進行していく。タイトルだけ見ればホラーのようだが、この小説は文学者肌の教養人であるゲスラーが、論理的に解決できない人の闇と向き合う小説なのだ。寒村の冬のにおいまで伝わるような、美しい文章にもひかれる。
周防柳『余命二億円』(KADOKAWA)を。建設会社を経営する父親が交通事故で植物状態となった。相続される遺産は2億円に上る。子供の頃に父から腎臓の移植を受けていた次也は、兄の一也から延命治療の中止を持ちかけられ、思い悩む。
 序章として冒頭に置かれた葬儀のシーンが、読み進むにつれて効いてくる。人間のホンモノの価値とは、生きるとは――。重いテーマに迫った意欲作だ。(文化部 川村律文)
佐藤亜紀『吸血鬼』(講談社)を取り上げたい。オーストリアからの独立の機運が渦巻く19世紀のポーランド・ガリチア地方。若い妻とともに田舎の村に赴任した役人のゲスラーは、次々と起こる怪死と、迷信にとらわれて陰惨な風習にすがる村人を目にすることになる。
 タイトルだけ見ればホラーのようだが、この小説は文学者肌の教養人であるゲスラーが、論理的に解決できない人の闇と向き合う小説なのだ。寒村の冬のにおいまで伝わるような、美しい文章にもひかれる。
 周防柳『余命二億円』(KADOKAWA)を。建設会社を経営する父親が交通事故で植物状態となった。相続される遺産は2億円に上る。子供の頃に父から腎臓の移植を受けていた次也は、兄の一也から延命治療の中止を持ちかけられ、思い悩む。
 序章として冒頭に置かれた葬儀のシーンが、読み進むにつれて効いてくる。人間のホンモノの価値とは、生きるとは――。重いテーマに迫った意欲作だ。(文化部 川村律文)
-【エンタメ小説月評】交番勤務の日常描く物語-

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2016年3月22日 (火)

「私人」88号の到着報告と同人誌の成り立ちを思う=外狩雅巳

 文芸同志会宛の雑誌「私人」88号(発行=〒163-0204東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル7階、朝日カルチャーセンター内。小説作法入門講座・「私人」編集委員会)が到着した。会の伊藤代表が文芸交流会の集まりに来るので、手渡せる。
 奥付を見ると発効日も18日である。年に四回発行する為か実務が整備された堅実な会を印象付けられる。
 会と言っても文芸同人会ではなく朝日カルチャーセンターの小説作法入門講座が発行元である。
 尾高修也講師の受講生が協力して作品提出と編集を行っていて教室講座時に合評をするそうだ。
 三月に一度の発行を保障する運営関係を持ち続ける事は非情に安定した組織だと思う。
 148頁に男女五人ずつの十人が作品掲載し、講師も特別寄稿をしている。それも連載28回目である。
 編集発行を担う4名中の三人が女性である。その一人が編集後記を書いている。
 -わたしはこの教室に十年以上通っていますからーとあります。続けてー尾高先生の<小説の作法>を
 読んで勉強しなおしますーとあるのでまだまだ通い続けるのだろう。中央文壇への進出を意識した書き手のグループなのかも知れない。
 頒価千円とあるが実費は回収できないだろう。印刷も良好で読みやすい。表紙にも主張がある。
 受講生であれば誰でも投稿することができ作品は教室で合評されますと送付書で案内している。
 朝日カルチャーセンターの受講料で賄うのだろうか。私の加入する「群系の会」は1頁3500の自己負担だ。
 文芸同人誌では発行費用が大きな課題である。200頁程度の冊子なら五十万近く必要だろう。
 「みなせ文芸の会」ではパソコン活用で十万円程度に抑えているが作業担当の負担が大きい。
 行動力が衰えた高齢者の趣味として文芸活動・同人誌発行は各地で行われている。
 負担能力にも差が有り高額負担者ばかりではない。カルチャーセンターの同人誌は、授業料のほかに、発行費はかなりの負担であろが、作家になるためのチベーションの継続には必要なのかも知れない。
 文芸同人誌には作家と志向者と、生きがいのために書く過程を楽しむ人の二通りがあって、その読みわけが】難しい。
 (外狩雅巳・町田文芸交流会事務局長《外狩雅巳のひろば》)

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2016年3月21日 (月)

文芸同人誌「文芸中部」101号(愛知県)

【評論「杉浦明平の立ち位置と北川朱美の詩人論集」三田村博史】
 記録文学作家の杉浦明平(1913年6月9日~2001年3月14日)については、野間宏に関連した人物ぐらいにしか、知らない。ただ、家業が東京湾でのノリソダ漁民であったので、多少の関心はあった。今回本号の附録のような形での100号・101号抜き刷り冊子「杉浦明平『敗戦前後の日記』を読む」(三田村博史)も合わせて読んだ。戦後のB29の空襲の様子など、自分は3歳ほどであったが、防空壕の水浸しの話など、妙に東京での被災の記憶と重なった。とにかく、緊迫感が文章ににじみ出ている。これは題材が、敗戦記録であるからであるから、とばかり言えないように思う。書き手のセンスが出ている。おそらく三田村氏も事実に立脚して、それ以外は書いていないのに、よくも悪くも、当時の社会制度、日本的慣習の特徴が描出されていることに注目したのであろう。受け取り方はさまざまであろうが、みんながそうだったということへの同調精神の結果として、現代にもまだ根を張っている国民の官僚支配精神に対する無批判傾向が、言わないながらも敗戦前夜と敗戦後の記録に描かれていると感じた。文章の強さのなかにそれがある。
帝国主義、軍国主義はよくないとはいいながら、敗戦国家としての自由は、支配される国の歴史と、支配国に従属することになる日本の立ち位置をも考えさせられた。なぜか70年前の世情の様子が、現在の世相精神にまだ根強く残っていることが見える。
発行所=愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年3月20日 (日)

総合文芸同人誌「岩漿」(伊東市)

 総合文芸同人誌「岩漿」は、静岡県伊東市を本拠地に「岩漿文学会」が平成9年に発足。平成27年まで継続して「岩漿」を発行。本号で二十周年記念号になる。200頁の迫力がある。力作揃いで読み応えがあった。
  作品は、「夏つばき」 椎葉乙虫、「現姥捨(いまうばすて)」馬場駿、評論「シベリアに抑留された伊豆の作家」 桜井祥行などのほか、エッセイや詩作品がある。
 巻末に「今号の作家と作品」と題した解説紹介があるので抜粋する。二ページ随筆作品にも言及している。
 【「老いの悲しみ」日吉睦子】
  老いはいつか人から様々なものを奪っていき、その過程で人は悲しみに出会う。そうした心情をとてもリアルに表現しているー 等々と各作品を三四行で確実に掌握していて感心した。
 【「現姥捨」馬場駿】は胸に迫る小説だがその解説は次のようになっている。
 -明日にも起こり得るこの不幸な世界にあって、そこにのたうつ命の物語。読み終えた後、誰もがきっと命の意味について考えるだろうー。
  この頁以外にも同人追悼頁や巻頭詩や映画評等々の一頁を随所に据えてある。詩歌も多く幅広い文芸同人誌だが編集の上手さで取り付きやすいのも感心した。
 【「爬虫類と暮らす」桂川ほたる】も面白い。解説文はこうなっている。
 -小さな動物へ寄せる想い、そのちょっぴり茶目っ気を含んだ優しい雰囲気が、読んでいて快いー
 編集上のユーモア感覚も優れている。シーラカンスって、美味いのかね?で終わる作品の次に珍魚の調理を書いた作品を続けていて笑いながら読み耽った。
 ちなみに「現姥捨」は作中の悲惨な老夫婦の心中場面が胸に迫り強く残っている。
 粗筋は、出版社員が老人悲劇を取材する話だ。老人は社会の弊害とする姿勢なのだ。
 きわどい記事に同情せず書け売り上げ至上だと強いられる記者を狂言回しにしている。
 挿話の老人心中に動揺した。70才の妻と年下の夫。痴呆の妻と山で死ぬ話しだ。
 薬を飲み妻の乳房を吸いながら眠りに落ちる。で、夫は生き返るのだ。
 この挿話も全体が過剰な狂言風な早口展開の中で記事として売り上げに貢献する。
 記者の目線の上に作者の意図を置いて読み物風に仕上げる力量はすごい。
 伊豆に根を張る同人誌の意気込みを読ませてもらった。
発行所=〒414―0031伊東市湯田町7‐12、リバーサイドヒグチ306、木内方、 岩漿文学会。
紹介者=外狩雅巳・町田文芸交流会事務局長(外狩雅巳のひろば

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2016年3月19日 (土)

第一回文学フリマ京都が2017年 1月22日(日)に開催へ

  文芸同人誌の即売会である「文学フリマ」。その2017年の第一弾が、「京都」から始まることになった。商業雑誌の販売衰退で、小部数化していくなかで、相対的に販売を広げる場としての「文学フリマ」の意義が高まったと思う。《文学フリマ公式サイト
 また、政府による言論圧迫に商業誌は、資本力的な弱さがあるが、同人誌は自費出版であるから、それが強みである。オピニオン専門の同人雑誌「新式・文芸春秋」のようなものの販売ルートとして期待できる。
☆第一回文学フリマ京都
 開催日 2017年1月22日(日)
 開催時間 11:00~16:00(予定)
 会場 京都市勧業館 みやこめっせ 地下第一展示場(京都市・岡崎)
 募集出店者数 通常出店300ブース
 出店料 1ブース4,000円(1出店者につき2ブースまで申し込み可)
 主催 文学フリマ京都事務局
 共催 一般社団法人 北近畿コンテンツポート
 【出店者募集期間】 2016年8月~10月末ごろ予定
 文学フリマ事務局の望月代表のインタビューをする自費出版雑誌も登場しはじめている。《参照:文学フリマ物語消費(19)新販売ルートの「百都市構想」》
 文芸同志会では、これからの同人雑誌の存在拠点はこの文学即売会になると予測している。

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2016年3月17日 (木)

著者メッセージ: 栗山圭介さん 『国士舘物語』

 装丁を目にするだけで漂ってくる、あの思い。1980年代の国士舘は、泣く子も黙る学校だった。鼻息を荒らげ、体育学部に入学した者たちは、その伝統に押し潰されまいと、もがき、苦しみ、肉体に痛みを刻みながら、永遠に続くと思った一年を経験する。二年生になった彼らは、理不尽なまでに浴び続けた拳を、“伝統”と称して新一年生に与えるのだろうか。三年生となり体罰やシゴキから解放された彼らに、本当の自由は訪れるのだろうか。そして四年……。
 国士舘大学体育学部の特別な四年間は、絶対に負けられない戦いの連続だった。いつの日も、小さなプライドを胸に拳を握った。時が経ち、生温くなった時代にあくびをしていたら、あの頃の自分に胸ぐらを掴まれた。「過去に恥じる生き方していないだろうな」と。俺たちはあの時代の延長線上に生きている。青春を過去のものにしたくなければ、そっと拳を握ればいい。握った拳の中には決して失くしてはならないものがあるはずだ。それがある限り男の、おやじたちの青春は終わらない。(栗山圭介)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年3月15日号より)

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2016年3月16日 (水)

長嶋公榮「鮮やかな記憶」を穂高健一氏が取材精神で評価

 同人誌「グループ桂」の長嶋公榮さんが、「鮮やかな記憶」を発表。 それを読んだ作家の穂高健一氏が、「穂高健一ワールド」の作品紹介サイトに全文公開した。「鮮やか記憶」は、町内会がの老人が捨てたゴミを拾って、自宅に置くということをするので、自治会ではゴミ屋敷ができてしまうのではないか、と心配して、そういうことをしないで欲しいと、抗議にいくのである。
 すると、女性の老人は、太平洋戦争での本土空襲で米軍が、市民を虐殺した時の生き証人で、そのときにどれだけの人が、飢えとモノ不足にあえいだかを鮮やかに記憶し、その詳細を語るのである。横浜大空襲の時、横浜駅でB29の大規模な空爆に遭う。
  この場面が長々と描かれるが、これは体験談ではない。作者が現地の人や資料をもとにまとめたものである。調べたが故の迫力。それを取材をして小説化するタイプの穂高健一氏が納得したことによるであろう。彼は地元新聞に小説を連載をしているが、材料はその地元を取材して、さまざまな人たちに話を聞いて、そこから話をつくる。農家のひとに取材しても、彼は農民出身でないので、農具の名称などさっぱりわからず、こりゃ困ったと、とまどってしまうそうである。その分、地域で埋もれた話を掘り起こすので、地元に知られる人気作家になるのであろう。
 彼のところには、身の上話を小説にして欲しいと、するひともいるらしい。作家と称すると、そういうのが取材できるらしい。ところが、ジャーナリストと名乗ると、警戒されることが少なくない。やりにくい。そこで、まったくくメモをとらないで、世間話をして、物書きであることを忘れるようにして、話を聞きだす。業界内の機関紙に経営者の話を載せる取材を頼まれた時、話を聴いていたら「あんた、ちっともメモをとらないけど、大丈夫かい」といわれたこともある。事前に調べてあって、なまなましいところをつかみ取るのに会っているだけでなので、心配はないのであるが。

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2016年3月14日 (月)

同人誌評「図書新聞」 (16年03月12日)たかとう匡子 氏

 小説・評論《対象作品》 「全作家」第100号(全作家協会)=中村春海の「西瓜」/類ちゑ子「シャワー」/「北奥気圏」第11号(北奥舎)=「寺山修司生誕八〇年」特集/「青磁」第35号(青磁の会)=定道明「続杉堂通信/
 「じゅん文学」第86号(じゅん文学の会)=猿渡由美子「幽明境」。
 詩《対象作品》「潮流詩派」第244号(潮流詩派の会)=清水薫「伏見川」。
《「図書新聞」 2016年03月12日、評者・たかとう匡子》より。

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2016年3月13日 (日)

福島原発事故と甲状腺がんの因果関係解明がなぜ必要か

  福島原発事故と甲状腺がんの因果関係を政府や東電は考えにくいとしている。3・11原発事故後、子供が甲状腺がんになった家族が、5家族あつまり、同じ境遇になった家族たちで仲間づくりはじめた。《参照:孤立化から脱却を呼びかけ!311甲状腺がん「家族の会」
 国際的な原発推進組織IAEAでは、チュエルノブイリの原発事故で、白血病、子どもⅠ型糖尿病(成人の生活習慣病とちがい、先天的のような現象であるらしい)、心臓病など、多種類の病気人がでたが、そのうち甲状腺がんだけは、その因果関係を認めた。しかし、その他の病気は、放射能恐怖のノイローゼであるとして因果関係を否定している。
 現場では、犬も放射線病にかかっているので、犬も放射能の存在を知っていて、恐怖を感じているらしいー。という話をしているという。その後、ソ連邦から独立したベラルーシでも、因果関係を否定して、言論封殺しながら、治療施設を充実させている。
 放射能由来の病気があることは、みんな知っている。しかし、公的なところでは、うそと知りながら、それを否定する。事実を公言することは、社会的に良くないこととする社会に従属し、もっともらしく嘘をいうことは悪いことではない。当然である。だから、病気になった家族は、それが放射能のせいではないか、思っても口に出せない。どういう訳か、人間は事実に反していることを言ったりすることを、変に感じる感性もっている。
 事実を語ることは悪いことであるという、社会の風潮に違和感を覚える。こうした人間性の状況を細部にわたって追求できるのが文学というジャンルではないか。

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2016年3月10日 (木)

「戯曲の要件」菊池寛と小説の視点

  小説では、私が述べる一人称形式と主人公を彼などとする、多視点による第三人称形式がある。書いていて、苦心するのは、作品の主人公と作者の距離が出し方が難いことであろう。ただ、語り手が私であると、語りやすいが、その分、全体を俯瞰する話は、語りが難しく表現がわかりにくくなる。その点、登場人物ごとに、視点を移して書くと、ストーリーの展開が楽に書ける。その意味で、菊池寛の戯曲論は参考になる。《参照:春風亭小朝が菊池寛の短編を噺に独演会
 松本清張も小説を覚えるのには、菊池寛を読んで学んだと述べている。実際に、日本の小説は、三人称形式でありながら、実際は距離が取れていないのが多い。そのため物語的展開が表現できす退屈なのが多い。

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2016年3月 9日 (水)

高橋菊江さんの作品が「民主文学」でも好評=外狩雅巳

 雑誌「民主文学」のサークル同人誌作品評論の担当は、須藤みゆき氏である。「支部誌・同人誌評」と名付けられたコーナーの執筆担当として六頁に渡り評文を書いている。
 「他者の痛みに寄り添う感性」と題して閲読した三十程の紙誌から抜粋した作品評となっている。
 この抜粋評価作品の中に「文芸多摩八号」の高橋菊江「新しい門出を求めて」の評が出ている。
 「戦後間もない時代の女性の自立の困難さについて書かれた作品」と紹介。
  粗筋紹介の後、主人公の牧子が自立を求めた回想部分で父母の言い分に言及し母親の描かれ方等も指摘している。
  娘に女性の自立という考えを根付かせたと書き受け継がれる目標として作品に仕上げた事を評価している。
 この作品は 戦後三か月経過している時点の状況が背景になっている。
 大学生の牧子が敗戦に衝撃を受ける戦争観から導入されている。
 牧子は講演会での沖野教授の敗戦を侵略戦争の結果と糾弾する思想を聴く。翌年公布の日本国憲法の「主権在民」条文への期待を語った。
 そのことに感動し師事して来た牧子は就職依頼をする。教授は手紙で拒否し美貌の才女である美智ならば良いと書いた。
 女子寮を出て自立する矢先の牧子衝撃と前途の不安に揺れる様が良く分かり、その先を読みたい作品だとしている。
 この作品を掲載した「文芸多摩」は民主文学町田支部の支部誌です。大川口支部長は文芸交流会の常連。熱心な方で毎回出席され、会を盛り上げています。
八号は昨年末に発行され、交流会のメンバーにも送付されました。作品合評会は2月29日に町田中央公民館で行いました。
執筆者全員の4人が出席し、前記の高橋菊江さんの作品には、主人公の牧子の今後が読みたいと多くの感想が出ました。作者も苦心した最新作だと説明しました。
戦後七十年の現在は90才になる作者の労作は11人の参加全員が感想を寄せました。出席者の半数の五人が女性です。
交流会は主に五つの団体から集まって月例会を続けて来ました。会員内部の感想とは一味違う外部評を交わしています。
その一つに文芸同志会の伊藤昭一氏は今回の4作品の作品紹介をしています。
 町田文芸交流会の出席者には事前に送付し当日の参考として使用しました。
その後に「民主文学」四月号で大きく取り上げられたことで、町田支部にとって追い風になり九号も充実すると思います。
交流会の三月会合は「みなせ」69号の感想会です。秦野市のみなせ文芸の会の作品集です。年四回刊行の旺盛な同人会です。
交流会宛に送られてくる全国の同人雑誌は回覧して注目作品は文芸同志会内のサイトで紹介しています。
近郊の方は是非とも見学に来てください。遠方の方は作品を送ってください。
《参照:外狩雅巳のひろば






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2016年3月 8日 (火)

評論誌「群系」で36号向けアンケート中

 いしかわけんたろうさんよりのお問い合わせの回答です。評論誌「群系」の永野編集長は掲示板の管理者でもあると思います下記の
 「群系」掲示板
のサイトの管理人が永野さんだと思います。そうでないとしても、この掲示板で連絡をとれるのではないかと思います。お試しください。

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2016年3月 7日 (月)

文芸同人誌「季刊遠近」第59号(川崎市)

【「盗撮」逆井三三】
 冒頭で男女間格差における男に都合のよい社会システムを肯定する論を述べる。光一は、結婚生活での伝統的な家庭生活というものになじまない人間である。しかし、結婚は社会的な慣習に従うので、生活がしやすいとと考えて美人である麗美と結婚する。そのうちに、結婚生活の退屈さから抜け出すために、妻の麗美の日常を隠しカメラで盗撮し、それを秘かに観て楽しむ。しかし、妻はそれに気づいているようだ。以前から、光男は麗美が浮気してもかまわない、と彼女に言っていたので、それを意識したのかも知れない。通常の結婚生活は、夫婦愛で安定した家庭をつくるが、光男はまず麗美の様々な姿、肢体を見つめていたいという、欲望と愛情をつなげるという性格をもっている。
 構造は、谷崎潤一郎の「痴人の愛」に似ていないこともない。それよりも現代的なのは、男の欲望を中心に夫婦関係を作ろうとすりる男の試みを描いていることであろう。
 ドライな文章であるが、それなりに問題提起を含んだ人間性追求を試みた小説のように読めた。
【「忘れられた部屋」花島真樹子】
 長寿の女性が、若いときのフランス滞在中の怪奇的な体験を語るが、子供たちは、それは彼女の作り話であると説明する。読んだあとも、話がうそかまことは、わからないという、独白体の特徴を活かした物語。文体を意識しているので、創作意識が進化しているように思える。
【「遠きにありて」藤民央】
 癌を言い渡されて、都会から故郷である南方の離島の先祖の墓参をする様子を描く。癌を患うため、どこか死の視線があるらしく、その言わざる雰囲気が最後まで、読ませる。熱心に書いているのが伝わってくる。
【「婚活小説――地震のあと」森重良子
 大震災を素材に入れて、現代的な面白い話になっている。欲を言えば、婚活への情熱をもっと強く打ち出さないと、スリリングな味が不足ししまうように思う。エネルギーの出方で、作者の身体的な運動不足なところが文章にでているような気がする。
【「家宝について」難波田節子】
 なんでも現在の天皇ご夫妻が英国をご訪問した際の、英国人出席者が持っていたレセプションの式次第のパンフレットを入手した話。その事情は、持ち主の英国人男性が、奥さんを失くされ、子供たちがそれを大事にしてくれるかどうか、わからないので、日本人である作者の娘さんに提供したということらしい。そこから、一般論で人生の晩年にあたって、持ち物を整理する立場からの、いわゆる断捨離に直面した身内の芸樹家の作品の保存などの心配に話が進む。芸術家でない自分は、いかに残さないかという課題に関心があるので、反対の意味で興味深かった。
【「私の幻想小曲集よりーノーサイド」安西昌原】
 大人の童話とでもいうべきか。ラクビ―の話だが、カナカナ仙人共和国のヨコハネ市とか、シオシオシ先生など、架空の名称の付け方が面白く、なるほどと思った。
 発行所=〒215-0003川崎市麻生区高石5-3-3、永井方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

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2016年3月 6日 (日)

文芸同人誌評「週刊読書人」(16年02月26日)白川正芳氏

久慈きみ代「寺山修司『私』への遡行-原風景をさぐる」(「北奥気圏」11号・特集、<寺山修司生誕八〇年>)、藤吉佐与子の詩「水」(「文芸きなり」81号)、須藤みゆき「春への手紙(「民主文学」2月号)
『「作家特殊研究」研究冊子5 青山七恵』(法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻発行)、「全作家」100号の掌編小説特集、水野あゆち「聞く 見る」(「原石」44号)、難波田節子「家宝について」(季刊「遠近」59号)、尾高修也「連載・傍観録」(「私人」87号)、井本元義「偽手紙」(「海」第二期15号)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年3月 5日 (土)

文芸時評3月「団塊が去りゆく時代の本」早稲田大学教授・石原千秋 の運命

「葉」としての人間を書こうとしたのが山崎ナオコーラ「美しい距離」(文学界)だ。末期がんの妻を看病するために介護休業を取る生命保険会社に勤める夫。皮肉な設定だ。「来年は、一緒にお花見をしよう」という言葉が、やさしく妻を傷つける。妻はほかに言いようがないことがよくわかっているから。彼は、義母を妻の死に目にあわせることができなかった。しかし、義母は「本当にありがとうございました。娘は幸せだったと思います」とだけ言う。妻の葬儀を終えたのち、彼は「これからは離れていくことを喜ぼう」と思う。僕の遠い親戚の話。義母が亡くなったとき、その死に顔を妻を含む娘3人に見せずに火葬場へ送った。そして、3人に手をついて詫(わ)びた。「苦しんだ顔を見せたくなかった」と。娘3人はそれを受け入れた。そんなことを思い出しながら涙ぐんだのは、還暦を迎えたせいだろうか。秀作。《文芸時評3月号 早稲田大学教授・石原千秋 団塊が去りゆく時代の本の運命

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2016年3月 4日 (金)

女性・少女のアダルトビデオ出演被害者調査の会見から

 NGOヒューマンライツ・ナウが「女性・少女のアダルトビデオ出演被害者調査書」の発表記者会見があった。《参照:女性のアダルトビデオ被害者の救済を提言HRN(NGO)
 東京の弁護士会館での会見で、原発由来の訴訟裁判の弁護士説明とかでしか行かないので、あまり大規模なものではないと漠然とイメージしていた。少人数の記者たちだろうと、なんとなく思っていたら、これは大手メディアも居てカメラがずらり。話は、かねになりとか、女優になれると思って、プロダクションと契約したら、AVの女優をやらされた。2回目を断ると契約違反や家族に映像をばらすとか、脅されてAV地獄に陥ったことが調査書であきらかになった。言わずと知れるが、この問題は需要と供給の関係に、やっかいなものがある。小説の題材にはなりそう。

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2016年3月 2日 (水)

著者メッセージ: いとうせいこうさん 『我々の恋愛』

  何年も虚構が書けず、都合十六年ほど経った頃、南の島でハタと思いつい たのが「どうせ書けないならいっそ複数の作品を同時に書いて心理的負担を 減らす」という方向で、しかもそれを「ブログの中で自由に締め切りもなく 始める」ことにしたのだった。
  結局百枚くらいまで公開して挫折したままとなったのが今回の『我々の恋愛』で、基本的な構造(二〇〇一年に国際的な恋愛学会の大会が開かれ、“二十世紀を代表する恋愛事例”が表彰されるという仕掛け)は変らない。
  この“恋愛”が間違い電話で始まり、携帯電話のない時代に燃え盛ることは当時から決まっていた。相手に容易にはつながれないからこそ心がとらわれてしまう恋、誤解を含むがゆえにゆっくりとしか進まない愛。そうした
 男女一組の人間関係すべてを、世界中の恋愛学者が取材分析する。
  日本の平凡なカップルがどう深く結ばれるかのユーモラスな大長編は長い時間をかけてようやく出版される。
(いとうせいこう)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年3月1日号より)

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2016年3月 1日 (火)

文芸時評(東京新聞2月29日)佐々木敦氏

堀江敏幸「足の組み替え」企画の冒険、成功。
萩世いをら「私のような軀」変だけど面白い。
《対象作品》
芥川賞受賞第1作・滝口悠生「夜曲」&インタビュー。江南亜美子「死んでいない者」作家論(「文学界」3月号)/吉田大助「本谷有希子インタビュー」(同)/堀江敏幸責任編集「足の組み替え」=山下澄人「浮遊」、マンガ家・小林エリカ、方言ケセン語専門家・山浦玄嗣、加藤典洋たち「創作」(「早稲田文学」春号)/鼎談・奥泉光、島田雅彦、高橋源
一郎「30年後の世界―作家の想像力」(「群像」3月号)/故・津島佑子「半減期を祝って」(同)/古川日出夫「列島、ノラネコを刺すノライヌ」(同)/谷崎由依「黒板」(同)/吉村萬壱「コレガーレスギル」(同)/萩世いをら「私のような軀」(同)/(「すばる」3月号)/同「筋肉のほとりで」(「すばる」2010年12月号)

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