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2016年2月20日 (土)

文芸同人誌「火の鳥」第25号(鹿児島市)

 本誌は、どれも人間の普通の生活のなかの営みを題材にして、文章表現がなされている。事件性もないし、スペクタクル性もない。ここにある杉山氏の触れた散文精神や散文芸術としての方向性を持ったものという印象がある。
【「僕の行く道」稲田節子】
 大学を出て、しばらくサラリーマンをしていた信彦が、思うところがあって、会社をやめる。実家を出て、恋人の多江の住まいに転がり込む。しばらく職探しをするが、合格しても、勤める気が起きない。それから、自分のコーヒーショップを開くことを決める。
 その過程を描く。不思議な現象だが、いかにも女性の筆による男性像でることが出て、主人公の優男ぶりが目立つ。喫茶店の居抜き物件を探すのだが、現実ばなれした環境から良い物件がみつかり、多江とコーヒーショップ経営を楽しむ。
 経営の状態はどうなるかと、興味をひくところで、ちょっとした人間模様が味付けと物語性をもって、店の経営がこれからも順調であることを暗示して終わる。心地よい散文調の作品に仕上がっている。
【「十年日記」本間弘子】
 日常生活を文学色に染めて、繁栄させる散文詩的流れをつくっている。物語性をなしにして、断片的だが、楽しく読める。ヴァージニア・ウルフに愛着を示すところがあるが、十年日誌なので、密度が薄いのは必然か。
【随筆「のどかな日々(全八編)」鷲頭智賀子】
 日々の過ごす様子を丹念にピックアップする。「朝のしあわせ」という話のなかに「この幸せがいつまでも続きますように」とある。端的に平和な日常が壊れやすいことへの不安を表している。これは巻頭作「僕の行く道」にも漂う空気である。
 人間の社会生活の構造には、変化をさせるという要素があるために、同じ状態が続くことはない。したがって、幸せが続くことはあまりないものらしい、と感慨を呼び起こす。「萬壽友屋とは」が、資金繰りのための公庫借り入れの算段工夫の話がダントツで面白い。
【評論「俊寛幸福論―菊池寛、芥川龍之介の『俊寛』像」上村小百合】
 これは日本近代文学期の菊池と芥川との作風のちがいを、テーマの取り方、設定のちがいで比較したもの。当時から、人間の倫理的な標準として「真・善・美」の哲学が問題されたらしいが、「美」に傾倒した芥川と「善」を最優先した菊池の作風がよく分析されている。
【「日本人に平和の思想は根づいたか」杉山武子】
 戦争拒否の感覚的な気持ちを持ち始めた作者の思春期の体験から、社会的な傾向としての戦争を取り込んで行こうとする気分とのずれ。そこから、作者の北村透谷や、トルストイの翻訳家であったという北御門二郎という人の紹介、さらに広津和郎の散文精神から散文芸術論まで、読書遍歴と文学論にまで評論の筆をのばす。文学的な表現による日本人の平和思想の形を、個人の読書体験と照合させている。
 現代における平和思想は国際的動向と密接にかかわり、グローバルなものなってきている。「憲法九条のノーベル平和賞を」の鷹巣直美(実行員会共同代表)さんが、この運動をひとりで立ち上げた時に、誹謗中傷を受け、挫折しそうになった時、それを支援したのは、高齢の年寄りたちだったという。世代間の感覚の違いを感じさせる。文学志向の強い平和論として個性的である。
発行所=鹿児島市新栄町19-16-702、上村方「火の鳥社」。
 紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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コメント

「火の鳥」第25号のご感想を詳しく書いていただき、ありがとうございました。
お忙しい時間を割いていただき、恐縮です。

主婦ばかりののんびりした同人誌ですが、励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: | 2016年2月29日 (月) 21時51分

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