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2016年1月31日 (日)

がん患者としてのドクター中松氏の生き方

 発明王で、都知事選挙では立候補していたドクター・中松氏は去年から、がんとの闘病とその生活対応を、記者会見で語ってきた。昨年は、医師から2015年12月までの余命と宣告されたそうである。「得意の発明でさまざまな治療法を開い発していたという。それが効果があったのか、今年も延命したことを示す記者会見があった。《参照:がん闘病のドクター中松氏、2016年まで延命達成会見
 昨年から車いすであったが、今年はそれより少し体調が悪化したらしく、顔色もあまり優れない。中松氏は「サー中松博士魂の会」というグループを結成していて、黙っていると会費を取られる。会見に食事会をするようだ。自由報道協会員のジャーナリストで会員ではありませんといっておくと、記者席に案内される。
 中松氏の前立腺導管がんという難病だそうである。それがどんなものかは知らない。私自身、58歳で前立腺がん診断され、手術を1回、そのごの再発の要検査で1回入院生検を行っている。3か月に1回のPSA検診を行ってきた。
 中松氏の説明はよくわからないが、がんを宣告をされた人間の、生き方の実例のひとつとして、注目している。こうした話題を提供する基本思想に、健康保険制度とTPPの関係に結び付ける狙いがある。TPPと健康保険の関係について、情報は公開されていないが、場合によっては日本の社会に激変をもたらすという予感がある。

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2016年1月30日 (土)

「日曜作家」13号&「仙台文学」87号の着眼点=外狩雅巳

  文芸交流会に早くも一月に発行されたばかりの同人誌が二冊届きました。「日曜作家」13号と「仙台文学」87号です。
 それぞれに歴史を題材にした作品があり読み比べて見ました。雰囲気も時代背景も主題も異なっていて面白く読みました。

【日曜作家】
 「日曜作家」(大阪府)の大原代表は同好会や老人会ではなく、本格文芸誌を目指し向上する事を力説しています。
 編集後記で-ちまちまとした同人誌ではなく、中央文壇で注目されるような文芸誌に発展させたい-と意気軒高です。以前文芸同志会通信でその紹介を掲載したら早速全文を再掲載してくれました。
 ☆13号作品 「野に遺賢あり」大原正義=楊貴妃を愛した玄宗皇帝の唐の時代が背景です。宰相や忠臣が繰り広げる対立が書かれています。
  出世争いで次々に蹴落とされる大臣。蹴落として成りあがる大臣も凡才。国を憂い、直言する臣下の意見が科挙に繋がる。
  中国の「科挙」制度で、在野の人材活用が叶うまでの経過紹介と読みました。古書から取った題材を脚色している作品です。作者の言葉が有ります。現代は右傾化していると書き為政者の思惑どうりにはなりたくないと動機を述べています。

【仙台文学】
  「仙台文学」(仙台市)の牛島さんは東北学院で教鞭を執っていたそうです。私の父親とは年の離れた同僚だそうです。以前に文芸同志会通信に作品紹介した時にその旨の私信を頂きました。姓は「ごとう」さんと読むそうです。私も仙台市出身です。地方色豊かで文芸雰囲気も香る異色の仙台文学が毎号届くのが楽しみです。
 ☆87号作品・「戊辰の港-仙台維新譜⑫遺聞-」牛島富美二= 連続掲載中の作品ですが、一話毎に独立した筋があります。 明治維新に不服で抵抗する東北地方への新政府軍征伐の戊辰戦争を仙台からの視点で書き続けています。
今回は原釜港が舞台です。ホラ藤の仇名のある藤右衛門と言う怪力の港湾人夫の活躍が綴られています。
入港した船には江戸相撲の一門が居ます。大相撲の前身の本格相撲取りが見世物共興で儲けに来ました。
その主力力士の岩木山を投げ飛ばすホラ藤の挙動や怪力での振る舞いが面白く読み進めて引き込まれる。
討伐軍参謀・世良修蔵の前で力技を見せる事に成ります。以前にホラ藤に負けた岩木山の恋人も同席します。
酌婦として世良に取り入り恨みをぶつける女と、ホラ藤との顛末も良く出来た話として感心して読みました。
紹介者=町田文芸交流会事務局長《参照:作家・外狩雅巳のひろば

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2016年1月29日 (金)

文芸時評1月(東京新聞1月28日付)佐々木敦氏

宮内悠介「半地下」不思議な感触の小説
戌井昭人「ゼンマイ」剛胆なキャラが魅力
《対象作品》第百五十四回芥川賞・滝口悠生「しんでいない者」(「文学界」12月号)/本谷有希子「異類婚姻譚」(「群像」11月号)/羽田圭介「コンテクスト・オブ・ザ・デッド」(「群像」2月号)/宮内悠介「半地下」(「文学界」2月号)/戌井昭人「ゼンマイ」(「sばる」2月号)。

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2016年1月27日 (水)

第22回文学フリマ東京の出店申込みは2月8日までー当会参加

 第22回文学フリマ東京(東京流通センター)《公式サイト》のへの文芸同志会の出店申込みをしました。2月8日まで申し込み受付をしています。今年の当会は、作品発表発行物を知ってもらうためのニュース化について、トライするジャーナリズム手法について、こだわってみたいと思います。文学ウリマの百都市構想が着々とと成果を上げ、そのノウハウも伝達し、自ら地域フリーマーケットを開催する動きがあるようです。これらをコンテンツ産業ととらえた視点での評論も考えています。
参考事例《聖地会議》=本誌第5号には望月倫彦事務局代表と柿崎俊道イベントプロデューサーのフリーマーケット対談があります。近くその内容について紹介するつもりです。

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2016年1月26日 (火)

「群系」(東京)合評会の参加レポート=外狩雅巳

  「群系」(東京)の合評会が1月24日に開催された。その概要を「外狩雅巳のひろば」サイト《「群系」(東京)の合評会》で記した。さらにその詳細についてレポートします。 
 当日の討議は(内向の世代)の文学を巡り主要な時間を費やしている。結果、後半が端折られ小野由貴枝さんの作品論は深まらなかった。
 前半は「地下室人)の思考と対話」と題した草原さんの作品が論議を盛り上げた。副題に秋山駿と後藤明生を持ち出した解説的論でした。
 草原克芳さんは内向というネーミングが表層的だから深まらず今に引き継がれたとのスタンスでロシア文学と比較しながら論を進めている。
 高橋和己の日常性の掘り下げを書く文学と言う処を冒頭にしての書き方がレトリック使用等で上手いので読者を誘い論議が湧いたのです。
  論の中でドストエフスキーと後藤明生の距離を解明している。中村光夫の風俗小説論等も視界に入れての進め方は大変読みやすい。
 そして後半に小林秀雄の作品が欲しい、楽屋話はいらないが作品が楽屋話になっている、との一文を引用し内向の世代の作品を纏めている。
 最後は小説の終焉か?と問いかける中で佐藤春夫が小説は花も実もある嘘八百と言った事を紹介しながら小説の行く末を予測している。
 地下室の無い作品は華やかなページェントに過ぎず、地下室だけの作品は私的ノートに過ぎない。の箇所等は草原さんの文章に感心した。
 参加者が文書発言で風俗小説論との比較が弱いと提起した。小説以前のゲル状思考の発露作品の価値を巡る討論も盛り上がった。
 この論議は二時間近くに渡ったため後半は一時間程度に圧縮された。その中で私の古山高麗雄論も十五分近くも割いて論じてくれた。
  小野さんの作品はもう時間切れなので私が主人公の経歴紹介的な部分を読めばわかると締めくくったため、本人は多少の不服があったようだ。 司会者が会長ファイルと言う題を持ち出しファイルと言う名の小説として終
了した。遠方からの作者には徹底討議を行いたかった。
 開会前に永野悟主宰に雑誌「相模文芸」は一冊に月二回で計十回も合評していると話したら、今後は数回の合評会を持ちたいと言ってくれた。
 読みの達人ばかりの討論なので拝聴は勉強に成ります。論の巧みさが話し方にも現れていて草原さん荻野さん永野さんには感銘を受けました。
 今後は所属する「相模文芸」での討議にも地下室論は参考に成る。作品から地下室の濃淡を読み取り作者を励ましてゆくつもりです。
 また、文芸同人会の将来像も示唆された。文芸交流会の進行にも役立てます。







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2016年1月24日 (日)

文芸同志会の活動情報をより充実へ

 発足以来、十数年して、事務所活動(響ル-ム)も停止したことのビジネス面での整理もつき、文芸ジャーナリズムに力点を移すことができます。とりあえず「文芸同志会のひろば」での活動情報もこまめにすることにしました。
 響ルームの活動のうちの、60歳直前でフリーライター、ジャーナリストになり、70歳で実質的に本当のフリーにあなるまでのいきさつと社会情勢の変化について、かいてもいいのかな、とか、まだ早いのかと考慮中です。現在のフリライター事情はよく訊かれるのですが、それがどれだけ、文芸の社会性について結びつくのか、疑問をもっています。

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2016年1月23日 (土)

町田文芸交流会1月の会合で議論白熱=外狩雅巳

 町田文芸交流会が1月22日に、町田公民館で開催されました。10人の出席があり、和気藹々のなかで、白熱した討論を繰り広げました。12月は開催しませんでしたので二カ月ぶりでの顔合わせです。
 取り上げた作品は「相模文芸」31号の横山緝子「この町」と外狩雅巳「アナログ人間」、および習作「工場と時計と細胞(第1部」)です。ネットサイトで掲載中のものですが、作品への助言も頂きました。
 少人数なので討論を工夫して絞った応答で深まる様に努めています。個々人の感想が一巡したら作者を交えての論議で核心を探りました。今後の習熟が鍵でしょう。多様な論点・疑問等の扱い方が難しい事でしょう。
 今回の会合で、発言を作品感想に絞り話題を逸らさない事の合意は取れたと思います。
 来月は「文芸多摩」8号(町田市)。三月は「みなせ」69号(秦野市)を予定しています。さらに、「普恋洞(フレンド)」が完成すれば四誌が出揃います。今年も順調に行きそうです。
 多種多様な文芸同人誌を巡り「文芸同志会」の伊藤代表を含めて論議します。
 文芸同人会独自の合評会とは趣の異なる広範な討論を行いたいと思います。作者が所属する同人会での感想以外を希望するなら是非交流会においで下さい。
 2月の会合は、29日(月)Iの午後二時より町田公民館で行います。見学参加希望者の連絡もお待ちしています。町田文芸交流会事務局長・外狩雅巳《参照:外狩雅巳のひろば




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2016年1月22日 (金)

「淡路島文学」第11号(兵庫県)

去年の夏の発行なのに、だいぶ日が経ってしまった。紹介したと思い込んでいたらしい。
【「米と懐中時計」藤井美由紀】
 小説はどう書いても良い、とはいうものの、できるならすんなりと物語のなかに引き込まれたいものだ。内容は戦時中に朝鮮人の李が、のどかな島にたどり着き、島の人情に触れる話。読みだしから安心して話に入っていける巧い小説である。
【「ぼくの帽子」宇津木洋】
 何かを書かなければ、と思うものの、さて何を書こうか、と思案した作者は、かつても試したように、インターネットを開いて、その情報の宇宙から、素材を見つける。情報がありすぎる中で、ここではたまたま手元にあった西条八十の「僕の帽子」を素材にする。「母さん、ぼくのあの帽子 どうしたでせうね」のあの詩である。
 こういう試みは、読者を感性でどこまで楽しませるか、表現力で勝負をするようなところがあるので、大変有意義に思うものである。今回は、森村誠一の「野生の証明」を書いたいきさつを語った談話の方が力強さあった。言葉の強さに性質の違いがあるが、力を抜いた文章でも、完成度を上げることはできると思う。
【「梅雨の晴れ間」北原文雄】
 これも方の力を抜いた文体で、隠居的の農作業の細かい体験と文学の文化的精神にあふれた話を淡々と描く。枯れたといえば枯れた作風ではある。
【「白球は死なず」大鐘稔彦】
 野球のスカウトマンの主人公が、東大の剛腕投手の活躍ぶりを描く。六大学野球の中でも、現在は負けがほとんどの東大が現実だが、ここでは優秀なピッチャーが、その進路を巡って迷う姿を追う。昔、そのようなモデルになる選手が実在したと、後書きにある。長く真面目に丁寧に書いてあるが、読み終わるとなぜか疲れた。
【「インターン制度廃止闘争始末記」三根一乗】
 当時の経緯がよくわかる話で、善かれと思ってしたことで、不遇になる人もいる。社会性をもっているので、報告書的になり、読んでいて長い感じがしたが小説でないと思えば仕方がないのかも。
【「受験奮闘記」鈴木航】
 あまり成績優秀ではない高校生の大学受験の記録で、これは身にしみて興味深かった。とくに夢にまで見るところにその気分がよく表現されている。
【「父の詫び状」樫本義照】
 父というのは主人公のことで、自分は障害者施設で働き、結婚し子どもができるが、夫婦の間に溝ができ、妻は実家の料理屋の女将の役を継ぐため、別れてしまう。夫婦喧嘩をすると子供が心を痛める様子など、しみじみとするものがある。こうした結果になった要因に、世間の目という日本社会特有の目に見えぬ圧力があったのではないか、という視点を入れるなど、味わい深いものがある。
発行所=〒656-0016兵庫県洲本市下内膳272-2、北原方。淡路島文学同人会。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年1月21日 (木)

鼎談「新 同人雑誌評」「三田文學」冬季号・2016.2.01発行

評論担当=浅野麗氏、佐藤康智氏、水牛健太郎氏
《今号で取り上げられた作品》
・小畠千佳「雨やさめ」(「あるかいど」56号、大阪市阿倍野区)
・緋原燎「混沌」(「飃」99号、山口県宇部市)
・大西智子「ぱちぱち」(「カム」13号、兵庫県西宮市)
・津木林洋「お国のために」(「せる」99号、大阪府柏原市)
・三上弥栄「ポテトサラダ」(「星座盤」9号、岡山市北区)
・島尾伸三「夢を見ました」(「タクラマカン」53号、神戸市東灘区)
・北原政典「宮本さんの部屋」(「詩と眞實」795号、熊本市南区)
・浅利勝照「母の記憶」(「季刊遠近」58号、川崎市麻生区)
・種谷昌子「鳶と烏」(「ペン」10号、富山県富山市)
・久保順子「サバイバルゲーム」(「いずみ」2号、東京都三鷹市)
・林絹子「ハレー彗星」(「木木」28号、佐賀県唐津市)
・飯村桃子「マリアへ捧ぐ眼」(「法政文芸」11号、東京都千代田区)
文芸同人誌案内掲示板:「mon」飯田さん 投稿より》

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2016年1月20日 (水)

第154回「芥川賞」滝口氏&本谷氏、「直木賞」は青山文平氏

  文芸界も情報化が進む。話題の文学賞のニュースで、早わかりなのかオリコン《第154回「芥川賞」滝口氏&本谷氏のW受賞 「直木賞」は青山文平氏『つまをめとらば』
 ホームページがあってもそこに読者を惹きつけるのが大変。そこでニュースを流すことで、その存在を広めることができる。ネットではニュースを流すことで、採算がとれないのが現状であろう。ネットポータルサイトの課題であるが、突破口はどこかにあるのだろうか。

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2016年1月19日 (火)

同人雑誌季評「季刊文科」67号=谷村順一氏

「文学の効用」
《対象作品》鶴陽子「福音」(「小説π」第12号(さいたま市)/小畠千佳「雨やさめ」(「あるかいど」第56号(大阪市)本号に作品転載あり/奥端秀彰「ルストロ」「孤帆」25号(横浜市)/長沢とし子「夜空には笑う月」(サボテン通り」15号(函館市)//河原治夫「花のいろ殺人事件」(「漣」創刊号(静岡県)/西沢しのぶ「聖ペテロの魚」(「文芸中部」第99号(愛知県)。

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2016年1月18日 (月)

著者メッセージ: 西村健さん 『光陰の刃』

  三池を日本最大の炭鉱町に育て上げ、三井財閥の頂点まで上り詰める男、團琢磨。
  長年の悩みから解放される術を法華経に求め、テロリスト集団『血盟団』を率いることになる男、井上日召。
  光と影。陽と陰。あまりにも対照的な半生を送って来た二人の運命が交錯する時、悲劇は起こる。日本は破滅への路を転がり落ちていく。
  私もまた運命に導かれ、この作品を手掛けることになった。取材の途中、執筆の最中、最初からこれを書くよう定められていたのだ、と何度も感じた。
  面白い読み物に仕上げることができた、という強い手応えがあります。
  我が国の行く末を憂え、打開の路を探し求めた二つの魂。激動の時代を駆け抜けた両者の生き様を、心行くまで堪能していただけたら書き手としてこんなに嬉しいことはありません。  (西村健) (講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年1月15日号より)

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2016年1月17日 (日)

危険地取材ジャーナリストの最新状況

 先日、危険地取材ジャーナリストのシンポジウムを聴いてきた。《参照:“危険地報道”のあり方を考える!シンポジウム開催=東京》。
 普通の場合、我々は気持ちの重くなる中東の情報よりも、人気アイドルグループのことを考えた方が気持ちが軽くていられる。また、人気アイドルグループのことを知っていた方が世間で話題にたねなる。
 しかし、中東の紛争じ情報では、何が悪くてこうなるのか、はっきりしない。答えがないのである。
 答えのないまま宙ぶらりんの概念をそのままにすることは疲れる。いいのか、悪いのかそれはいつ解決できそうなのか。目安がないと、問題意識として、記憶しにくい。ただでさえ本が売れない時代に、危険地紛争のレポートはなかなか売れない。
 ただ、物書きとして、危険地を取材したものは本にしやすい。中東を取材し、それをもとに記事を自費出版本にすると、それが実績になって、物書きを職業とする道が開けることもある。
 

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2016年1月16日 (土)

「あるかいど」第57号(大阪市)

 今号もそれぞれ、面白い試みをしたものや、手堅い手法の作品など、充実していて、読むのに時間がかかる。同人誌ばかり読んでいるわけにいかないので、よみ逸らすものが多い。今号は全体に、同人雑誌に書く作家的な立場を活かした作品が、いくつかあって、同人誌作家文化という空気を強く漂わせいるという印象が強い。
【「風にすべてを委ねたら」赤井晋一】
 語り手の「僕」は、通勤の途中で、高いビルから人が落ちるのを目撃する。しかし、その現場にかけつけると、そのようなことがあった気配はなく、通行人も何事もなく、行き来している。そういうおかしなことを経験するのが、たびたびである。アンチリアリズムのものにしては、いかにもありそうな妄想として、面白く読める。その原因が、自分が両親に望まれて生まれたわけでない、という幼児期の記憶にあり、自己存在の根拠をもてないでいるというところにあると受け取れる。「僕」は「彼」となって自分を第三者的に眺めるようになる。人称が入れ替わっても、同じような自己存在の浮遊性を描いたように読めた。
【「蝉の声」南遥】
 素子は、小学一年生の塁が、水遊びの最中に水死してしまう。その喪失感が、ちょうどその時、素子が夫や周囲に内緒である若者とデートをするために待ち合わせをしていたことに罪悪感を持っている。順次に段取りをもって丁寧に書いているため、かなりの長さになっている。テーマの割には長くなってしまったのは、本来の表現したいところになかなか到達できなかった、というのがひとつ要因かも知れない。作者自身の認識が固まっていないのかも知れない。長所と短所が同居した作品。
【「渓流」高畠寛】
 定年退職後の男の生活の課題である、仕事で結びついていた社会との関わりをどうするか。健康であれば、まだ20年もある人生をどう生きるか。こうした問題意識に触れながら楽しき読ませられた。かなり長いが、説得力をもった話運びで、深刻ぶらずに面白く読ませる。妻とは疎遠になるが、若い女性との接触もある、男のロマンを満たす羨ましいような、心楽しませるところのある作品。主人公は同人誌作家であることが、洒落者のように描かれているのが、本誌の雰囲気をよく表している。安定した創作力に、一歩抜きんでたものを感じさせる。
【音楽紀行「ライプツィヒの背骨」木村誠子】
 散文精神に満ちた表現力で、さりげないなかに味わい深いものがある。一つの文学な形式として、楽しく読める。エッセイはこうありたいと、思わせる。
【「同人誌評(文校関係誌)」善積健司】
 関係する同人誌の作品を批評的、感想的な読後観察記にしている。同人誌には同人誌世界でのジャーナリズムがあって良いと思う。それを確立させるためには、質量における個性的なジャンルにしてゆく必要があるのではないか。
 発行所=〒536-0016大阪市城東区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年1月15日 (金)

著者メッセージ: 荻原規子さん 『エチュード春一番』

  このたび講談社タイガにお招きいただき、新シリーズが出ることになりました。新刊のタイトルは『エチュード春一番 第一曲 小犬のプレリュード』です。
  カタカナの多いタイトルながら、中身は八百万(やおよろず)の神が出てくるお話。ただし、神の姿はペット犬のパピヨンなのでした。このギャップに主人公の美綾もとまどうのですが、神様のほうは現代に同調する気まんま
 んです。これから下界で人間になって過ごす計画を立てているくらいですか ら。
  美綾は、大学に合格したての普通の女の子で、日本の古い伝統には縁のない家庭に育っています。そのため、なぜ自分の元に八百万の神が現れたのかあれこれ怪しみながら、次第に犬との会話に慣れていきます。
  私はデビュー作で「古事記」をモチーフにし、和風ファンタジーを書いてきましたが、今回の試みは「神様という存在は人間とかけ離れているゆえに、人間が望むほど人間を理解していない」というスタンスをとってみました。
 下界の生命を総体でとらえているであろう神々にとって、人間同士の感情や暗黙のルールは、一番理解しづらいのではないか、と。
  パピヨンの名前はモノクロです。白黒毛並みだからです。巻を追うごとにモノクロに可能なものごとが増え、一人と一匹の関係も変化していく予定な ので、そのあたりを読んでいただけると嬉しいです。 (荻原規子)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年1月15日号より)

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2016年1月14日 (木)

物書きとパソコン

 朝、パソコンを起動したら、またインターネットが接続できないという表示になった。じつは先週も不通で、仕方なく業者に電話。パソコンが本体の故障でないないか、調べてルーターがおかしいので交換ということになる。それで半日かかる。きのうまでなんでもなかったモデムが急に交渉するのがおかしい。一日おいてもモデムを交換するのに半日。故障とされたモデムを宅急便返却作業。それでおちついたと思ったらネット不通。また電話して、モルーターに問題がなく、モデムが故障でないか、またあれこれパソコンん操作。長時間で耳鳴りがし、あたまがくらくら。午後もまたプロバイダーに電話し、3時までどこが悪いか調査。さんざんいろいろやって、その担当が、ふと、モデムの電源を外して再起動してみてくれますかという。そうしたら、みごとつながった。よくわからないが、システム以外の外部要因のときにこうすると直ることがあるのですという。これで納得。4時になって、テレビニュースを見始めたら眠っていた。長電話で疲労困憊したらしい。
 ものを書かずに電話とパソコンに費やすことに飽き飽きした。こんなことをする時間があるなら、町をぶらぶら散歩した方が、自分の人生は充実してると思う。win10に切り替えを進める表示。だれがそんなものするものか、と思う。

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2016年1月12日 (火)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2016年1月1日)白川正芳氏

《対象作品》=井久保ゆかり「四人の子育ての記憶(三一)」(「女人随筆」136号)、「詩と真実」1800号記念特集号より高木護「同人修業」・星永文夫「一日感懐」・井上智重「『詩と真実』八百号によせて」、「VIKING」780号より伊藤由香子「七七九号例会記」、「虚空」49号より「同人後記」高麗真澄
新井深「過客」(「未定」20号)、とうやまりょうこ「新月」(「孤帆」25号)、須佐知行「木歩へ、私の一歩」(「虚空」49号)、坂本良介「小説教室」3(「土曜文学」10号)、『情念の文学と10年 ときめきの旅』(「小檜山博文文学を読む会」)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2016年1月11日 (月)

「労働者文学」78号に秋沢、黒古、登各氏が執筆=外狩雅巳

 「労働者文学」78号が発行された。 同人誌扱いには出来ない文芸雑誌なのだが前号もここで紹介しましたのでその形で続けます。小説「2015年秋、フクシマ」の作者・秋沢陽吉さんのお手配で送られて来たものです。
 この小説の内容は、六十代の布木子は夫の死後も種苗店を切り盛りしながら自然農法野菜漬けの仲間と活動中である。 福島第一原発から60キロ地点での商売と漬物作りの仲間達「花風会」活動を書いた作品です。
 秋沢さん自身も福島県須賀川の方で労働者文学会の中心的な書き手として活動を続けている。
 今回の作品も問題意識を書き込んでいます。当誌は百頁足らずですが読み応えのある雑誌です。
 黒古一夫氏の「もう一度、(労働者文学)について」という一文には大いに考えさせられた。
 「労働者の組織的戦い」が書かれていない事を指摘する前回の意見を再度深めた作品です。
  ―労働者の基本的な在り方や意識の意識の所在についてどれだけ自覚的であるかーとマルクスの宣言文から引用し会員の作品の階級的立場を問う文体は迫力がありました。
 長い歴史を持つこの雑誌も曲がり角にきているようです。定点観測をする必要がありそうです。
 同誌の編集メンバーの一人である登芳久さんとは三十年来の友人です。
 文芸同人「慧の会」で知り合い中心的な書き手として活動し会を支えてくれました。
 相模文芸クラブにも参加してくれて15年に渡り作品掲載と会合出席を行っています。
 現在は文芸家協会での活動や文学学校講師など多忙すぎる行動の日々をこなしています。
 登さんも労働者文学に毎号掲載を行っています。掌編小説特集号にも参加しています。
 こうした縁も深い雑誌として今後も出来るだけ紹介を続けたいと思います。
《参照:労働者文学会(文京区本郷 3-38-10 さかえビル2F 小川町企画気付)》
《外刈雅巳のひろば》


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2016年1月10日 (日)

思想と芸術は賞味期限が超長いから文芸評論にあらわれる

 詩人回廊では、続「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一を、のんびりと連載しています。前編は「文学フリマ」だけで売っている(結果的に)。なにしろ菊池寛というと、考えが古いと思われがちだが、内容に関してはまったく古くない、と考えて続編を書いてる。ここに地球規模の歴史が取り上げているが、哲学もまた賞味期限が長い。最近、文芸時評に哲学者や社会学者がおおくなったのっも、いくら表現の多様化がすすんでも、人間性の共通意識から論じることに普遍性があるからではないだろうか。

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2016年1月 8日 (金)

典型的な人間像の内面と社会という外部

 外狩雅巳氏の「詩人回廊」「工場と時計と細胞と」第2部が連載されている。かつては、文学では外部社会の出来事と人物の内面が一対一で対比したスタイルの小説が可能であった。というより、読者が大いに興味をもって読んだ。しかし、現代では、普通のサラリーマンの典型を描くことに、読者は納得させられない。技術的な進歩、専門性がそれぞれ多彩であるためだ。外食チェーンの店員と、自動化された工場マシンのオペレターのどちらを描いても、それがサラリーマンの典型とは言えないからだ。しかし、それを非文学的な切り口で、どちらも自分の労働を時間単位で商品として売って生活している人という視点でとらえると、共通性がある。
 しかも作られた商品の需要と供給の関係が、労働力商品だけが、人間が生きるための手段であるため、商品が売れないと、生きていけない。物のように廃棄して受給調整ができない。そこまでは、前回も書いた。
 資本主義社会のなかで、マルクスはこれを矛盾ととらえ、とりあえず、いつでも働けて失業のない社会の必要性を考えた。それが労働組合の根拠である。その外部事情と、個人の内面をどうとらえているかが、この外刈作品を読む前提になりそうだ。

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2016年1月 7日 (木)

文芸同人誌「文芸多摩」第8号(町田市)

 戦後70年を総括する2015年12月発行。この年にふさわしいと思える。執筆者たちが戦前の軍国主義社会と、戦中・敗戦と、そして平和国家を信じてきた末の現代までの生活体験を記録しているからだ。これらの世代の生活記録がしっかりと表現されている。編集後記などによると「民主文学」の同人誌で、社会思想に傾斜したグループなりの意見の相違がでているようだ。ただ、社会は段階的に発展し、その時代を、一人一人の思想と行為によって支えられるという、個人存在への確信が、無気力やニヒリズムからの脱却を実現しているといえるであろう。
【「地図から消えた町」大川口好道】
 沢村英二は小学校六年生まで住んでいた池袋の町を訪ねた。その町名は、今はない。昭和二十年の米軍機の空襲で焼け野原になり、敗戦後は町名が変わったのだ。東北の疎開先から上京したが、生活に追われ訪ねる機会がなかった。焼けた氷川神社は、戦後再建されたため、小ぶりで威厳もこじんまりしている。その近くの箪笥屋に、可愛い少女がいたが、その家も今はない。懐かしさもそこそこに、疲れて帰ろうとすると、路地から自転車に乗った美少女が、さっと道を横切り消える。見間違いか、幻影か? 情念の生み出す個人的意識の流れを美的に表現して、巧みな技を見せる。
【「新しい門出を求めて」高橋菊江】
 牧子は、20代の初めから「鬼畜米英に負けるな」というスローガンの下で軍国教育を受けてきた。そして大平洋戦争敗戦後、休校していた東京のN大学から授業再開の知らせを受ける。しかし、女性の地位向上に関心のない旧い慣習に従う父親は、不機嫌である。さらに、卒業後ジャーナリズムの道を歩むことを志望していたのに、担当の教師から、成績がよくないので、別の優秀な学生を推挙するという。そうした困難な未来を目の前にしながら、果敢に自分の道を歩もうとする、その時代の女性像を描く。
【「今が一番だ!」佐久健】
 八十代半ばを過ぎた夫婦ふたりの生活をする恵介。現在は多摩丘陵の自然に囲まれた健康の良い環境に住む。三度の食事がおいしく食べられる現在の幸福を感じながら、ここに至るまでの過去を振り返る。その一部を引用する。
「恵介は昭和四年(1929年)生まれ二年後には中国東北部への戦争(満州事変)がはじまっていた。小学二年生の7月には、中国全土への侵略戦争(支那事変)が広がり、恵介が小学校(国民学校)六年生のとき、米、味噌、醤油など配給制になった。徳島のように比較的食べ物の余裕のあった地方でも、食べ盛りの子どものお腹が満たされることはなくなってきた。《欲しがりません勝つまでは》という標語が国をあげて張り巡らされており、食べもの限らず、ものが欲しいということは公には言えなくなった」
 この現象を経済政策面でいうと、一般民間人消費を抑制し、その生産力を軍事産業に特化させたのである。軍需産業とその従事者は儲かった。しかし、国の経済は、無駄使いで疲弊する。人々が食うものも食わず無料奉仕した富が税金となり、税金に保障された軍部と官僚だけが、その味をせしめた。その経験は、現代でも生かされ、どんな不景気がきても、税金からくる金が売り上げに充てられる企業と、官僚だけが潤うシステムが生きている。
 この戦前戦後の時代を生きぬいた作者は当時にくらべ「今が一番だ!」というのである。そこに一片の皮肉を込めながら。
【「小さな勇気」木原信義】
 小学校の教員を三十八年勤めて、定年退職。町内会のめんどう見役をする主人公。国の教育政策が現場の教員を苦しめてきたため、その現場から離れてほっとした面がある。社会意識は旺盛で、その後も日比谷公園音楽堂の集会に参加したり、憲法9条を守る思想のNPO団体の行う安倍政権安保法案への意見シールアンケートなどを手伝ったりする日常が描かれる。そして、一人ひとりの意見活動の集まりが社会を動かすことを確信する。
 発行所=〒194町田市金森東2-26-5-111、民主主義文学会、東京・町田支部代表、大川口好道。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2016年1月 5日 (火)

保坂スクール系作家の傾向

~東京新聞(12月22日)文芸この1年(下)~では、佐々木敦氏が「保坂スクール」という表現をして、作家の傾向を語っている。《参照:2015年文芸時評で読むー佐々木敦氏&倉本さおり氏評(下)
それでは、保坂和志氏の作家精神は何を考えているかーーネットサイトで読めた。(早稲田大学講演会録 於:早稲田大学大隈小講堂・2000.11.29)
 長いので、恣意的にピックアップしたのが、下記。
 ―ーそうやって文学が衰退してくると、気の効いた人が小説を書かなくなってしまうんですね。それがもう一つの小説の衰退の理由になってきます。ただ小説というのはまだ、かなりみんなに幻想がありまして、『Shall we ダンス?』の周防正行とか芝居の三谷幸喜なんかも、自分の映画とかドラマをノベライズしている。つまり、彼らの中にも小説を書きたいという気持ちがあって、それは単に幻想だと思うんですよ。別に周防は映画を撮って映画で評価されれば十分なはずなんだけど、どうして小説を書きたいのかというと、それは小説に関わる幻想だろうな、と。それが一つ小説が支えられている理由なんです。だから僕はこの幻想を「ありがたいもんだ」と思っています。
 まだ今は小説というのはそれなりの幻想があるんで、小説を1作か2作だけ書いて、とりあえず小説家で有名になってから他の世界に行っちゃえば良いという考え方をしてくれる方が、もうちょと小説が活性化するんじゃないかと思うんですよね。そうやって人生を生きている人が石原慎太郎とか田中康夫みたいな人です。そういう射幸心のある人が小説の世界に参入して来ないと、小説はかなりヤバイんじゃないかと思うんですよ。射幸心っていうのは悪いことじゃなくて、それが全然なかったら狭い世界で先細っていく一方なんです。 ーー
《参照:早稲田大学講演会録

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2016年1月 4日 (月)

著者メッセージ: 松田公太さん 『愚か者』

  新年あけましておめでとうございます。参議院議員の松田公太です。といっても、皆さんには「タリーズの松田」とのイメージの方がまだ強いかも しれません。
  タリーズコーヒージャパンを起業し、経営していた私が政治の世界に飛び込んで、早いもので6年目を迎えます。そんな私を単に「成功した人」と思われている方もいることでしょう。しかし、実際はまったく違います。
  タリーズでは理想の経営を追求した結果、敵対的買収のターゲットとなりました。日本を少しでも良くしたいと挑戦することになった政界では、所属していたみんなの党が解党してしまいます。そして自ら立ち上げた新党「日
 本を元気にする会」は今、存亡の危機に直面している始末です。挑戦と失敗を繰り返してきた私の人生を、今回の自伝で振り返ってみました。タリーズ買収の真実から魑魅魍魎が跋扈する政治の実態まで赤裸々に書いています。
 これほど現職の国会議員が正直に内情を明かした本は他にないはずです。
  現状から一歩を踏み出すべきか迷っている人、挑戦の最中でもがいている人、失敗して落ち込んでいる人・・。そんな人たちに本を手に取ってもらい、「愚か者」と呼ばれながらも信念を曲げず走り続けてきた私の生き方から何かを感じ取ってもらえたら嬉しいです。
  最後になりましたが、皆さんにとって新しい年が素晴らしい1年になるようお祈りしています。(松田公太)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年1月1日号より) 

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2016年1月 3日 (日)

著者メッセージ: 坂上琴さん 『踊り子と将棋指し』

  『踊り子と将棋指し』で、第10回小説現代長編新人賞をいただいた坂上琴です。よくペンネームの由来を訊かれるのですが、琴というのは、我が家の愛犬(ヨークシャーテリア、雌、5歳)の名前なんです。私が自宅で執筆し
 ていると、膝の上に上がって、じゃれついてきます。可愛いもんですねえ。
  うちの琴は、作品中でも、踊り子の飼い犬として全国を旅する設定になっています。「マイ」という犬のモデルです。大阪・天満の劇場や、南紀白浜のストリップ小屋の楽屋で、踊り子の姐さんたちから可愛がられます。琴がいなかったら、小説は書いていなかったかもしれません。主人公の三ちゃんと踊り子の聖良、そしてマイのロードムービーならぬロードノベルです。
 大人のファンタジーという側面もあります。書いているうちに今まで出会ったストリッパーのお姐さんたちが、浮かんできて、頭の中を村下孝蔵が歌う「踊り子」の曲がグルグル回り始めました。
 聖良に特定のモデルはいませんが、SMショーを演じてくれたお姐さんに感 謝です。
  三ちゃんは私自身かもしれません。将棋はあまり強くないので、そこだけ は三ちゃんとは違いますが、アルコール依存症でのたうっていた日々は、私自身の実体験です。依存症になっていなかったら、小説は書いていなかったでしょう。
  受賞は、依存症のおかげという面もあるのですが、やっぱり、お酒が飲めた方が、絶対にいいですよ。人生楽しめなくなるし、周囲の人に、余計な気を遣わせてしまいます。「今度、飲みに行こう」と誘うのはだけは、やめて
 くださいね。  (坂上琴)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2016年1月1日号より) 

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2016年1月 2日 (土)

文芸総括2015年の5冊(東京新聞)より

  東京新聞では12月21日に文芸この1年(上)、同22日にその(下)を佐々木敦氏(1964年生まれ。批評家、早稲田大学教授。著書に「ニッポンの音楽」「あなたは今、この文章を読んでいる――パラフィクションの誕生など」)と倉本さおり氏(1979年生まれ。書評家、ライター。「週刊金曜日」書評委員。「週刊読者人」文芸時評担当)の対談を掲載している。
 まず、両氏が選んだ今年の5冊は次の諸作品である。
☆佐々木敦氏=円城塔「呪文」(「プロローグ」(文芸春秋)/磯崎憲一郎「電車道」(新潮社)/筒井康隆「モナドの領域」(同)/福永信「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」(「すばる」7月号)/滝口悠生「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエエンス」(新潮社)
 ☆倉本さおり氏=星野智幸「呪文」(河出書房新社)/村田沙耶香「消滅世界」(同)/古川日出夫「女たち三百人の裏切りの書」(新潮社)/又吉直樹「火花」(文芸春秋)/滝口悠生「死んでいない者」(「文学界」12月号)。
《参照:2015年文芸時評で読むー佐々木敦氏&倉本さおり氏評(上)》

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2016年1月 1日 (金)

<謹賀新年> 文芸交流会事務局=外狩雅巳

 今年も宜しくお願いします。
 昨年末に「クレーン」37号(〒371-0805前橋市岩神町 3-15-10 わだしんいちろう方  前橋市文学伝習所)
と「白雲」41(横浜市港南区港南 6-12-21 岡本高志代表)が届いています。
 いずれも一月の発行日ですが手際よく年内に完成し配布たのでしょう。
 両誌とも馴染の同人誌で毎号確実に発行し会内の充実ぶりが良く判ります。
 かって、関東同人誌交流会が定期開催を続けていた時に懇意になった会です。
 「白雲」の岡本代表はいつも積極的に発言し会合を盛り上げてくれていました。
 俳句中心の会として21年間継続していますが近年は散文も充実してきています。
 会員15名で月例会と吟行会の月二回の会合を開催する活発な活動を行なっています。
 今号は70頁で毎号500部の発行で各地の俳句同人会への送付等に使用しているー との紹介文があります。 
 「クレーン」の和田さんも関東交流会で中心的な発言者として活躍していました。
 井上光晴の文学学校である文学伝習所の雑誌としての長い歴史を持っています。
 車座になり井上光晴の講義を聞く写真を見ました。若い和田さんが正面でした。
 四十年も前から和田さんは前橋文学伝習所のリーダーとして活躍していたのです。
 この二誌以外にも関東交流会以来の雑誌交換同人会は多数あり継続しています。
 そんな文芸誌交流会の歴史をを絶やさないように町田交流会を続けています。
 今年も月例会を継続するつもりなので是非一度見学に来てください。
 《参照:外狩雅巳のひろば


 

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