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2016年1月 7日 (木)

文芸同人誌「文芸多摩」第8号(町田市)

 戦後70年を総括する2015年12月発行。この年にふさわしいと思える。執筆者たちが戦前の軍国主義社会と、戦中・敗戦と、そして平和国家を信じてきた末の現代までの生活体験を記録しているからだ。これらの世代の生活記録がしっかりと表現されている。編集後記などによると「民主文学」の同人誌で、社会思想に傾斜したグループなりの意見の相違がでているようだ。ただ、社会は段階的に発展し、その時代を、一人一人の思想と行為によって支えられるという、個人存在への確信が、無気力やニヒリズムからの脱却を実現しているといえるであろう。
【「地図から消えた町」大川口好道】
 沢村英二は小学校六年生まで住んでいた池袋の町を訪ねた。その町名は、今はない。昭和二十年の米軍機の空襲で焼け野原になり、敗戦後は町名が変わったのだ。東北の疎開先から上京したが、生活に追われ訪ねる機会がなかった。焼けた氷川神社は、戦後再建されたため、小ぶりで威厳もこじんまりしている。その近くの箪笥屋に、可愛い少女がいたが、その家も今はない。懐かしさもそこそこに、疲れて帰ろうとすると、路地から自転車に乗った美少女が、さっと道を横切り消える。見間違いか、幻影か? 情念の生み出す個人的意識の流れを美的に表現して、巧みな技を見せる。
【「新しい門出を求めて」高橋菊江】
 牧子は、20代の初めから「鬼畜米英に負けるな」というスローガンの下で軍国教育を受けてきた。そして大平洋戦争敗戦後、休校していた東京のN大学から授業再開の知らせを受ける。しかし、女性の地位向上に関心のない旧い慣習に従う父親は、不機嫌である。さらに、卒業後ジャーナリズムの道を歩むことを志望していたのに、担当の教師から、成績がよくないので、別の優秀な学生を推挙するという。そうした困難な未来を目の前にしながら、果敢に自分の道を歩もうとする、その時代の女性像を描く。
【「今が一番だ!」佐久健】
 八十代半ばを過ぎた夫婦ふたりの生活をする恵介。現在は多摩丘陵の自然に囲まれた健康の良い環境に住む。三度の食事がおいしく食べられる現在の幸福を感じながら、ここに至るまでの過去を振り返る。その一部を引用する。
「恵介は昭和四年(1929年)生まれ二年後には中国東北部への戦争(満州事変)がはじまっていた。小学二年生の7月には、中国全土への侵略戦争(支那事変)が広がり、恵介が小学校(国民学校)六年生のとき、米、味噌、醤油など配給制になった。徳島のように比較的食べ物の余裕のあった地方でも、食べ盛りの子どものお腹が満たされることはなくなってきた。《欲しがりません勝つまでは》という標語が国をあげて張り巡らされており、食べもの限らず、ものが欲しいということは公には言えなくなった」
 この現象を経済政策面でいうと、一般民間人消費を抑制し、その生産力を軍事産業に特化させたのである。軍需産業とその従事者は儲かった。しかし、国の経済は、無駄使いで疲弊する。人々が食うものも食わず無料奉仕した富が税金となり、税金に保障された軍部と官僚だけが、その味をせしめた。その経験は、現代でも生かされ、どんな不景気がきても、税金からくる金が売り上げに充てられる企業と、官僚だけが潤うシステムが生きている。
 この戦前戦後の時代を生きぬいた作者は当時にくらべ「今が一番だ!」というのである。そこに一片の皮肉を込めながら。
【「小さな勇気」木原信義】
 小学校の教員を三十八年勤めて、定年退職。町内会のめんどう見役をする主人公。国の教育政策が現場の教員を苦しめてきたため、その現場から離れてほっとした面がある。社会意識は旺盛で、その後も日比谷公園音楽堂の集会に参加したり、憲法9条を守る思想のNPO団体の行う安倍政権安保法案への意見シールアンケートなどを手伝ったりする日常が描かれる。そして、一人ひとりの意見活動の集まりが社会を動かすことを確信する。
 発行所=〒194町田市金森東2-26-5-111、民主主義文学会、東京・町田支部代表、大川口好道。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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