すべてがサブカルチャーになると
「詩人回廊」外狩雅巳の庭「工場と時計と細胞と」を連載してきた。これは、われわれが慣れ親しんできた経済成長社会の一現象の記憶であるらしい。編集人の伊藤は、これを労働力の商品化が、自然な成り行きとして認識された、一時代の反映とみる。これを文学的に重視した作品化するか、社会変革の過程を分析した評論にするか、作者の意向をきいて著作にすることを提案することになるであろう。
労働力の商品化で何が問題かというと、失業がその関係の矛盾を強めるということである。失業率が高いということは、労働力が商品として売れ残り、過剰な在庫として積みあがっているということ。大根やキャベツなどの物が過剰になると、保管費用がかかるので、ブルトーザーでつぶして、商品の過剰を解消できる。
しかし、労働力は過剰になっても、もとは人間であるから、消滅させることができない。失業問題が、世界の資本主義国家の最大の悩みなのである。
経済が高度成長でいる間は、人手不足で失業が少ない。その時代の特徴を再認識することは、現在のうんくさい社会体制への、比較検証となるであろう。
これらの問題意識は、文学や評論がサブカルチャーに一部になるなかでは、やはりサブカルチャーとしてのジャンルになるのであろう。すべてがサブカルチャーになると考えることで、表現の新しい道が開けるのではないか。
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