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2015年11月13日 (金)

文芸同人誌「メタセコイア」第12号(大阪市)

 今号は先号のライフスタイル小説集のような傾向に対し、純文学的精神に触っている感触の創作がいくつかあった。
【「神の水溜り」水上ヤスコ】
 印象を先にいうと、深読みの可能な良質な小説である。精一という男が、一人暮らしをしている伯母の民江を訪ねる。民江は、新興宗教の教祖的な霊媒体質をもっていて、ある事件を起こしている。近所からの異変通報で、民江と同居していた叔父と従姉弟の雪枝が白装束のまま餓死しており、民江が衰弱したまま、そこで倒れていた。警察は責任能力をとえないとして、彼女を釈放する。 その間に精一と民江の関係、近所付き合いのこまごまとした逸話がある。自己表現中心的で、作品的には説明不足。よく原因はわかないが、人的な災害かなにかで民江が死んでいるのを発見して終わる。このような終わり方ならば、前半部からもっと緊張感をもたせた書き方が適当に思えるが、そうでないところが関西風なのであろう。そうした不完全性とは別に、民衆の生と死、新興宗教、高齢者、災害と、日本の現代の縮図のような雰囲気をよく描き出している。寓意性を持たせるという視線があれば、もっとまとまりのある作品になったのではないだろうか。
【「鉄路の先に」櫻小路閑】
 これもかなり面白い。語り手の「僕」は、区役所の職員で、決まりきった仕事のなかで、意欲的でない仕事ぶりをしている。内密に各種資格試験をとって、次の事態の変化に備えてはいる。時刻表と首っ引きで、鉄道乗りを楽しむ。僕の愛読書は、ドストエフスキーである。日常生活の単調な暮らしのなかへ、異常な非日常性の物語をぶち込む体質のドストエフスキーを読む。ドストエフスキー日常性への憎悪の裏返しとして、平穏な生活者の私がそれを皮肉っている意味にも受け取れる。ほんとうは人間の社会性への、批判的な凄みをもつ精神があると思わせるのだが、引きこもり的な、さりげない表現なのは、やはり関西風なのか。
「がんもどき」多田正明】
 70歳を超えて、胃がんになって手術する。それまでの経過と、その後の身体の状況を、実に手際よく整理して書いている。そうなのかと、読んで役立つ手記風物語である。なにがあってもおかしくない年代層の手術や抗がん剤治療への疑問を持ちながら、周囲との流れで、手術し胃を摘出する。その経過が冷静に記録されている。高齢者にはおすすめの一文である。
 〒546-0033大阪市東住吉区南田辺2-5-1、多田方。メタセコイアの会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。


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