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2015年10月31日 (土)

文芸同人誌「澪MIO」第6号(横浜市)

 本号の石渡均氏の取材インタビューをもとにした特集「人生の最後を看取る、訪問介護の実態!」は、「暮らしのノートITO」で紹介している。大資本の新聞や雑誌ではあまりやらない視点での、自由なジャーナリズム精神を感じさせる。
【詩「二千十五年のヴォーカリーズ~できればラフマニノフの『ヴォーカリーズ』を聞きながら」田村淳裕】若かりし頃の安保騒動の終焉。1970年代を共に過ごし、海外にわたってから帰国した友人Sへの葬送詩であろう。人は時代のかけらをかかえて去って行く。
【評論・映画監督のペルソナ「川島雄三論Ⅵ最終回」石渡均】
 川島雄三の足跡を追って下北半島まで出かけて、彼の映画製作の精神を追うというか、忖度する余地を作り出していく、という姿勢が独創的に感じられた。その点で、とくに前回と今回は興味深かった。
 川島は山本周五郎原作の「青べか物語」を映画化しているようで、シナリオと小説の一部を引用しているのが、面白く読めた。細部にふれているときりがないが、映画ファンでなくても、それぞれに想いを持たせるものがある。
【評論「ポーの美について(ノート)Ⅴ最終回」柏山隆基】
 「ワーズワースの『序曲』(特色、コールリッジによる評価、政情への幻滅と魂の不滅)、ポーとワーズワースの両者のプラトニズム、ポーの本領、など」とある。いわゆるロマン派の話で、ポーとの関係がどのようなものか学べる。
【「最後の洞窟」柊木菫馬】
 「君」という人称で書かれているので、二人称小説と思わせる。しかし、次第に、交通事故で死者となった「わたし」が、同じ事故で生き残った友人を君をとして語っているのだとわかる。凝った手法である。母親との近親愛の相関関係などを絡めて、お話として成功させているように思える。
 森の木や雑草など植物を風景描写に取り込んでいるのが効果的。3人しか登場しない作品世界でのちょっと変な話に、説得力を持たせている。車谷長吉に傾倒しているそうであるが、たしかに、妙に肌にまとわりついて惹きつける文章運びには、その影響があるのかもしれない。
発行所=〒241-0825横浜市旭区中希望ヶ丘154、石渡方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2015年10月30日 (金)

エンタメ小説月評10月(読売新聞)「特別」ではない者の覚悟

いくら努力を重ねても手の届かぬものがあると知る一方で、それを易々やすやすと手に入れる才能を持つ他人と出会えば、己の無力さにうつむきたくもなる。《エンタメ小説月評「特別」ではない者の覚悟
 自分には何もない――。宮下奈都『羊と鋼の森』(文芸春秋)の主人公の青年も、そんな思いを抱いていた。北海道の山あいの集落に生まれた外村は、新米のピアノ調律師。17歳まではピアノに触れたこともなかったのに、ある出会いから、この道を選んでいた。

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2015年10月29日 (木)

「群系」35号の概要と活動状況=外狩雅巳(投稿)

 評論を中心とした文芸同人誌「群系」35号は、250頁余となりました。執筆者は33名です。500部を印刷したとそうです。評論主体の同人誌として広く知られています。同人(候補含む)は約百名です。
 文芸交流会(事務局担当・外狩雅巳)の関係では私と小野光子さんが作品を掲載しています。
  寄贈先は作家・評論家など百名。図書館・新聞社など30に及びます。
  同人誌関係では文芸思潮の五十嵐編集長を始め各地の同人誌に送りました。
  評論家では加藤典洋氏・河村湊氏・柄谷行人氏・綾秀実氏・勝又浩氏他多数。
  作家・詩人では古井由吉氏・馬渡憲三郎氏・黒井千次氏・坂上弘氏等々。
  マスコミは朝日新聞社・図書新聞・文学界・文芸同志会・旺文社他を網羅。
  図書館等は近代文学館・国会図書館・和泉書院・国文学資料館他全国図書館。
  このように文芸・出版・報道関係各社と個人の132の寄贈先を選んでいます。
  永野悟編集長は自らも15頁に及ぶ作品を執筆し、率先して会の発展を支えています。
  文芸同人誌は主宰者や編集者・著者等の一部の人達の頑張りで継続しています。
  特に群系誌は知名度も高く評価されている事を維持する努力は、驚異的だと思います。
  年二回刊の五百部の印刷費等経費は配布された報告書では150万円を超えているとされています。
  執筆者は掲載費として一頁3300円を納めますが33名もの参加がありました。
  全国各地の会員にはこの他にも会報や通知も送られて来ます。莫大な労力でしょう。
  今号の印刷費は75万円以上とブログに発表されています。発送費は7万程との事です。
  また今年は記念のパーティも行います。盛大な前回・前々回の模様はネット《参照:「群系」サイト》に出ています。
  ネットでは掲示板により刻々の情報も出しています。多数の会員などが書き込んでいます。
  会組織が大きすぎて作品合評会が発行毎に一度しか開催されていないのが難だと思います。
  私たちの「相模文芸の会」では月二回の開催で親睦と作品合評会で討議の深まりを追求しています。
  町田の「文芸交流会」も月例会を持ち頻繁に顔の見える関係を構築中で「群系」にも期待しています。
  会合が少なくても「群系」はこんなにも多くの人達を引きつける全国的な同人会です。
《参照:外狩雅巳のひろば》  


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2015年10月26日 (月)

文芸同人誌「季刊遠近」58号(川崎市)

 特集「私小説千年史」がある。勝又浩氏の「梶井基次郎まで」は、読み応えがある。日本語における曖昧さのなかでの、含蓄に満ちた表現の可能性をもつ日本語の特性を、短いなかで明瞭に提示。わかりやすく説く。後半での梶井の「冬の蠅」や「闇の絵巻」における主客一体の文章については、文学的であるということは、どういうことかについて、強い示唆を感じさせられた。しまりのない文章を当然のように受け入れている自分に、鞭を入れられたような感じがする。
【「不協和音」難波田節子】
 社内結婚で、社宅生活をする美樹。子供ができ普通の生活をしている。高校時代の同級生の女友達の紅子は美大に進学、画家になっている。もうひとりの友人奈緒美は、大学の英文科に進み現在も商事会社に勤めている。美樹は家が貧しかったので高卒で就職し、主婦生活を送る。
 それぞれの人生の在り方を、美樹は比較してしまう。当初は、友人の生活ぶりに劣等感をもっていたが、子どもができると、自分の生活に自信をもってきている。描写の多くを画家の紅子が個展を開催した会場の雰囲気に費やす。それに出席した美樹には、アーチストとして華やかな社交の世界に入り、生き生きとしているように見える。それを読みどころとした作品か。読みようによっては、普通の生活者の美樹から見た、個性を発揮するアーチスト紅子への羨望とも、あるいは充実したように見えても、実際は紅子の社交界での軽薄で虚しい世界のようにも受け取れる。
 美樹の普通の家庭人であることの重みを理解しないであろう、友人たちの感覚との違和感を描いたのであろう。平凡生活の満足感。読者も納得するでしょう。ただ、リアリズム中心主義で、作者の気配りの良さがわかるが、小説的なロマン、作り話の面白さに欠ける気がした。読みどころの個展会場での描写も、過去においてはともかく、現代ではそれほど粒だっていない気がする。
【「母の記憶」浅利勝照】
 生れてはきたものの、母親からは歓迎されず、他人に預けられて育った男。すでに父親でない男と家庭をもった母親に、成人してから一度だけ会いに行った思い出を語る。小説として、ぎぐしゃくしたところもあるが、その辛くて複雑な情念は伝わってくる。
【「優しさが傷」花島真樹子】
 夫は優しいのであるが、妻や家庭と同等に自分の係累にも優しい。結果的にそれが、妻には優しいということになるのか、というジレンマを描く。外でいい人は、そのために家人には悪い人になってしまうことが多い。もすこし小説的なアクセントが強ければいいのにと思わせる。世間でよくある面白い題材だった。
発行所=〒215-0003川崎市麻生区高石5-3-3、永井方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

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2015年10月25日 (日)

詩人囲碁の会に参加して

 詩人で文芸評論家の郷原宏氏が世話人をする「詩人囲碁の会」に参加してきた。スナップ写真は「詩人回廊」にあります。もともとは、ほかの自由な詩人たちの囲碁の会があって、会員の紹介で、参加していたら、「詩集の一冊くらい名刺がわりにだすべきだ」という人がいた。そこで、小説教室から派生した「グループ桂」の伊藤桂一先生に、作品を見せたら「いいよ。詩集になるよ」と出版社を紹介してもらい、タイトル「有情無情、東京風景」(土曜美術社出版販売)とし、解説までいただいた。碁がしたくて詩集を出した珍しい人よくいわれる。「詩人回廊」を編集するうえでの主張は、この詩集に反映されている。
 現在は、なぜ日本の高度経済成長に貢献した高齢者と、若者との間に文化的な断絶ができたのか、その要因考えている。おそらく世界中で世代間断絶が起きているとすると、国家間の感情的な印象なども2面性生があるのではないかと思う。
 現在の政治問題でも、高齢者の受け取り方は、国会での安倍首相の答弁は答弁になっていない。答えを決めているので、答弁しないという風にはっきりわかる。「早く質問しろよ」(答えは決まっているので、同じだ)という意味なのである。しかし、世代がちがうと、あれで答弁になっていると思えるのである。
 自転車を危ない二人乗りをしているので「危ないよ」というと、二人乗りしているのに「してねえよ。どこが危ないんだ」と、目の前の事実を否定する。そうすることで、なにか自分たちの言い分正当らしく見えるとおもっているらしい。そんなことはないのに、そう思える世代とのギャップが理解できない時代になった。

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2015年10月24日 (土)

「自由と民主主義のための必読書50」ジュンク堂が中断

丸善ジュンク堂書店(東京都中央区)は23日までに、「MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店」が開催していた販売促進フェア「自由と民主主義のための必読書50」が政治的に偏っているとの批判を受け、フェアを中断した。選書の見直しをして再開するという。
 フェアは9月20日から、安全保障関連法に反対する若者団体「SEALDs(シールズ)」の関連本をレジ前に集めて開催。今月19日になって従業員とみられる人物が「ジュンク堂渋谷非公式」を名乗り、ツイッター上で「夏の参院選まではうちも闘うと決めました」と発言したことをきっかけに、このフェアが偏向していると批判が出ていた。
(共同通信)10月24日(土)より

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2015年10月22日 (木)

文学のジャンル拡大!ジャーナリストのノーベル賞作家登場で

作家・ジャーナリストのスベトラーナ・アレクシエービッチがノーベル賞を受賞した。日本では、村上春樹の授賞を期待しているファンもいるようだ。個人的な見方だが、ノーベル文学賞は、地域性や政治性を考慮する傾向があるので、世界標準的な、マックやコーラのような味付けイメージ中心の村上作品は、今後の作風に変化がないかぎり可能性はないような気がする。
 その点、アレクシエービッチ作品は、ドキュメンタリー的な、事実を根拠にしたものが多く、メッセージ性が強いらしい。それを「文学ジャンルの拡大」と評価したところが興味深い。《暮らしのノートITO参照》
 これらは、主にソ連邦の社会主義制度への批判に向けられている。
 その社会主義も資本主義化している。そして資本主義の日本や米国は全体主義的な統制を強めている。イラク戦争など大義なき戦争への参加、日本の追従。そのための異論封殺、マスコミ統制、まるで独裁国家なみである。
 ただ、最近は世界の資本主義化で、経済まで地球規模でその概要が島されるようになった。
 たとえば、国際通貨基金(IMF)の10月情報によると、2015年の世界成長見通しは3.1%増と、前回7月分の3.3%増から下方修正。2016年は7月分こそ3.8%増で据え置いたものの、今回は3.6%増へ引き下げた。IMFは、1)中国における内需主導型経済への移行、2)商品先物価格の下落、3)米国の利上げ見通し——を指摘。先進国、エマージング国そろって見通しを下方修正している~~という。
 世界経済は毎年成長してきたのである。そのなかのロシアであり、米国であり、日本なのである。文学の社会性を考えるときに、その変化の多くの現象は、これらの世界の動きに連動してしてきたのではないか、と考えている。
 先日、世界の人口が、1600年~2000年のうち、特に20世紀後半、世界の人口が2.4倍に増加したこと。世界経済は、年率3・9%の高成長を遂げたことーーを教えられた。20世紀後半というのは、現在の日本の団塊の世代前後の時代である。「詩人回廊」の「工場と時計と細胞と(仮題)」はその時代の証言として読めそうだ。

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2015年10月20日 (火)

なぜ外狩作品か?に思う――外狩雅巳より

 文芸同志会通信で北一郎こと伊藤昭一氏が幾つかの外狩作品論を掲載中への説明を書いている。
 七十年代の青年期に幾つかの職場での体験を下敷きにした作品が対象になっているようです。
 同年代の伊藤氏が重視する経済成長期の一端が読み取れるのも作者がそこに拘っている為です。
 工場労働者として自覚し階級闘争を学びました。青春の日々は作業現場に置き忘れたままです。
 労働者階級の展望を学び信じました。共に未来を切り開こうと呼び掛け組織した日々でした。
 拭い去れない過去。セガエンタープライゼス社などでの労働組合結成を検証する作品です。
 半世紀後での文章化・作品化は単なる回想にはしたくないのです。しっかり検証したいのです。
 七十年代に民主連合政府を勝ち取る。発達した資本主義国での政権奪取の道筋。
 労働者階級の輝く未来を導く日本共産党をまぶしく見つめた一人が青年時代の私でした。
 天皇制軍国主義反対。社会主義国支持。学習不足でどこまで理解したのか未熟な私でした。
 作品「この路地抜けられます」では過激な学生運動に加わった時期も少し書いて見ました。
 六十年安保闘争。七十年安保闘争。体験した世情は激動の時代を感じ変革を期待しました。
 読書が好き歴史も好きでした。パリコミューンの底辺庶民たちの勃興に心踊らせました。
 過激な学生運動を短絡的に職場に持ち込み孤立し失敗した事もありました。
 懲りない私はべ平連にも関わりました。若者達に大田べ平連代表に祭り上げられたりしました。
 半世紀後の今。若者のデモ行進の盛り上がり。そして共産党の国民連合政権の提唱もありました。
 しかし、組織労働者の行動は鈍く職場は能力主義で分断されています。当時とは情勢が違います。
 労働者組織の中に不抜の党建設をと煽られたあの頃。左から更に極左へと揺れた青年期のわたし。
 その私の歩んだ職場活動の検証です。日本は働く人が主人公の国に変えられるのだろうか。
 朝鮮半島の分断化を認めかねない共産党代表の訪韓。現実路線とは言え様変わりした今。
 私に出来る小さな事は青年期の職場体験を書き検証する事と思いました。
 人生の終章を単なる回想記の創作に終わらせたくないと思っています。
 伊藤昭一氏がどのように読み解説するのか楽しみです。
《参照: 「詩人回廊」外狩雅巳の庭

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2015年10月19日 (月)

文芸同人誌「星座盤」9号(岡山市)

【「ポテトサラダ」三上弥栄】
 身辺雑記とは、異なる視点での生活感のある小説。「私」のどちらというと庶民的生活環境がきちんと描かれ、家族関係、金銭上の具体的なところを明らかにしている。両親に「努力もなく降ってきたものを当たり前として受け取ることなんて、お金はある方が出せばよいなんて、絶対ダメと厳しく厳しくいわれつづけた。」その私の価値観と現状との葛藤。すべて自己責任で生活せざる得ないでいることへの、もやもやとした不満。かといって確信を持った生活信条になるほど、自己確立できていない自分に対する苛立ち。そこに周囲の空気を読みながら、自分の生活の不都合があると周囲のせいにする梢さん。そこに自信をもった生活できていない自分の影をみてしまい、身勝手な梢さんに切れてしまうのである。軽妙な筆さばきの部分では、苦笑させられてしまう。自分の決断すべきことを他人に、ゆだねる人っているよね。書き方次第では、もっとパンチがきかせられそうであるが、それなりに面白い。
【「金魚島」濱本愛美】
 婚約者の都合で、結婚式を延期させられる。準備した結婚式の予約や参席者の準備がすべて無駄になり、失意の若い女性が一時的に故郷の金魚島に帰る。祖母の住んでいた家がまだ残っている。都会生活とはまったく異なる生活環境が、懐かしいような感覚で表現されている。良質な自己表現的作品。
【「きぬぎぬの」水無月うらら】
 長い小説で、読み終わるまで時間がかかってしまった。どんな作品かといわれても、一言でいいあらわせない。真夢という女性が飼っていた「くしろ」という猫が、普通の人間に姿を変える。まだ若いらしい。それが再び猫にもどったり人間になったりする。超常現象であるが、そのことについては、当然のごとくうけ入れられて、出来事が語られる。理屈を超えた猫は、その不思議さの割には、理屈をいったりする。
 読むほどに、作者の幻想的な世界観のなかを歩かせられるのだが、万華鏡のレンズを覗いてミニチュアの舞台を眺めるように、作者の感性を観賞できる。リアルな存在感や切実間を回避して、感性を抽象化する手法かも。文章が巧いというか、読むのを続けさせる表現力が強みであるが、趣味といえば趣味の世界の文学である。読みかけの途中で、同じ作者の前号での「きみから見える世界」が「三田文学」122号の評で、雑誌「文学界」の同人雑誌推薦作になったことを知った。やはり表現技術に優れているのであろう。
発行所=701-1464岡山市北区下足守1899-6、横田代表。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2015年10月18日 (日)

「日曜作家」12号の解説の一部訂正しました。大原正義作品は「酩酊船」

 文芸同人誌情報の『同人誌紹介「メタセコイア」12号と「日曜作家」12号=外狩雅巳』の文中に「日曜作家」12号の大原正義作品を「酩酊船」を伊藤が「酊船」と誤記しましたので、お詫びして訂正します。

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2015年10月17日 (土)

同人誌紹介「メタセコイア」12号と「日曜作家」12号=外狩雅巳

◎読書の秋です。文芸交流会宛に大阪から二つの同人誌が届きました。いずれも第12号です。
☆「メタセコイア」(大阪市東住吉区南田辺2-5-1 多田正明)・メタセコイア同人会。
 先ず「メタセコイア」。大阪文学学校の岡チューターの元に生徒が集まり作り上げたという事です。
編集後記が面白い。ここに十枚と言ったのがここ、二十枚と聞いたとの問答が挙げられている。
日本語・句読点の問題に立ち入り最後に若い人のメールにも句読点が無いと結んでいる。
昨年の11号は「三田文学」と「文芸同志会通信」に作品評が出たと全文紹介している。
 128頁だが美装重厚な見栄えは手に取りたくなる。頒価千円も気負いが見えて好感を持った。
 当方への宛先は番地が無い。郵便局で番地の付箋を付け配達してくれた。
 これまでも相模原市相生外狩方・文芸交流会宛で郵便物が何度か来た。全国的に認知されたようだ。
 ☆「日曜作家」(大阪府茨木市上野町21番9号 大原正義)日曜作家編集部。
次いで「日曜作家」。ISSN番号取得が表紙でわかる。規約も日曜作家賞規定も掲載されている。
  季刊なので三年間でここまで発展している。大原代表の気負いが具現されていて素晴らしい。
 掲載名簿は会員15名・賛助会員32名だが同封書簡には10月11日現在は会員16名となっている。
日々躍進する気鋭の文芸グループである。内容も従来と遜色が無いと書簡で自認している。
編集後記では情勢に触れその中で文学には何が出来るかと戦意高揚作品等を挙げ書き連ねている。
巻頭には創刊の辞を再録し職に就かず文作一途の知人の個人誌の名称を引き継ぐ事が明かされる。
大原正義「酩酊船」は30枚の歴史小説。遣唐使についての阿倍仲麻呂秘話的な語り調作品。
大和調停内での藤原氏勃興と阿部氏零落の内紛話が基調で大陸との関連も視野に書かれている。
 
   ※文芸交流会には文芸同志会も参加。伊藤代表が出席している。到着した雑誌はすべて手渡ししている。彼のジャーナリスト視線での文芸知識は人気がある。
   相模原・町田・秦野・大田区等からの参集者が、熱意をもって同人雑誌交流の月例会を続けている。
   小規模の文芸同人会では作品合評会も行えないが交流会として全体で読みあっている。
   また、交流会宛に送付される同人誌も「相模文芸」の会合などでの観覧に回すこともある。
   全国から寄せられる同人誌は交流会を窓口にして多数の読者が存在している。
   今回のような関西での同人誌活動も関東に広めたく、ここに紹介しました。
   顔の見える月例会で同人誌作品への外部よりの考察が深まる事を追求します。
   町田文芸交流会事務局担当・住所〒252-0235神奈川県相模原市相生2-6-15、外狩雅巳方。《参照:外狩雅巳のひろば


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2015年10月16日 (金)

著者メッセージ: 竹内明さん 『マルトク 特別協力者』

  今月初め、日本人が中国当局によって身柄拘束されたことが明らかになりました。私は『マルトク 特別協力者』の校了直前、この事件の背景を取材して、手元の原稿と酷似していることに驚愕しました。日中・日朝の諜報戦、脱北者、中朝国境、残留日本人……そして国家の冷酷さ。いまだ拘束されている方がいる本稿の執筆時点で多くは明かせませんが、これらは、日本人拘束事件と拙著の共通のキーワードです。
  私は本来、記者として情報を生業としています。TBSの夕方の報道番組「Nスタニューズアイ」のキャスターをしながら、新刊『マルトク』を執筆しました。前作の『背乗り』に続き、主人公は警視庁公安部を追われた元エ
 ース捜査員・筒見慶太郎。前作では中国諜報機関との死闘を描きましたが、今度の相手は北朝鮮工作員です。
  執筆にあたっては、実際に使われている警察用語などを用いたリアリティーの演出以上に、取材を通じて「生」の公安捜査官の世界を知る者として、彼らの思考、論理、空気感をリアルに描こうと努めました。真実を描くのは
 ノンフィクションだけではない――。すべての真実を明かすことのできない、諜報戦の場合、実はフィクションこそが、生々しい真相を伝えることもあると考えています。私の目標は、取材によって得た現実の諜報戦の一端を、「スパイ小説」という形で明らかにしていくことです。
                             (竹内 明)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2015年10月15日号より) 

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2015年10月12日 (月)

なぜ外狩作品か? 日本資本主義の体現と証言にこだわる

  現在「詩人回廊」外狩雅巳の庭で、「工場と時計と細胞と」(仮題)を外狩雅巳氏が連載している。よく、文芸同志会がなぜ、外狩会員に重きを置くのか、という疑問を投げかけられる。これはたまたま、日本の資本主義の歴史のなかで、外狩雅巳の年代において、(それは団塊の世代をふくめて)制度的な長所の発揮された黄金時代であったのではないか。という見方をしているからである。この時代の日本の高度成長のシステム参考にして、韓国、中国が成長を遂げてきた。ある意味で、原料を輸入して加工して価値を増やし、そこに収益を得るという資本パターンの成功例を示したのである。
 それはモノ作り国家のひな型になった。その先端を走った日本は、現在はサービス産業がそれにとって代わっている。資本の動きも変化した。この間において、社会的思想の背景として、労働者と資本家という階級意識のなかで、外狩雅巳の体験にどんな文学的な意義が見いだせるのか、その問題意識にこだわっているのである。
 現在、北一郎こと伊藤昭一は、その解説の糸口を構築している。社会の形を反映しない文学はない。問題なのは、どの国の社会も世界を駆け巡る巨大資本の活動と無縁ではいられないことだ。
 ノーベル文学賞とて、スベトラーナ・アレクシェービッチ氏という一地域の特性ある文学者を選んだ。世界共通の意識をさぐりあてた、村上春樹氏ではなかった。タンポポは、やむを得ず種の落ちた場所、しかもその存在が許される特殊な場所でしか生きられない。この特殊性こそが文学の根本だと思うのである。

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2015年10月11日 (日)

鼎談「新 同人雑誌評」 「三田文學」秋季号2015.11.1

評論者=浅野麗氏、佐藤康智氏、水牛健太郎氏
《今号で取り上げられた作品》
・中田重顕「海の見える風景」(「文宴」123号、三重県松阪市)
・江竜喜信「もう一人の力道山」(「別冊關學文藝」50号、大阪市中央区)
・小森由美「竜の舟」(「弦」97号、名古屋市守山区)
・青井奈津「過去や」(「火涼」70号、三重県鈴鹿市)
・森泉「きつね山公園で」(「樹林」605号、大阪市中央区)
・阿部千絵「犬が鳴く」(「彩雲」8号、三重県浜松市)
・堀井清「未遂」(「文芸中部」99号、愛知県東海市)
・山咲真季「遺品」(「八月の群れ」60号、兵庫県明石市)
・鯉渕昭平「荒野に満る声」(「雲」201号、東京都千代田区)
・山本洋「落とし物」(「短篇集 そして」12号、神奈川県三浦郡)
・剣見順「漂えど沈まず」(「蠍」54号、長野県諏訪市)
・間山三郎「三回忌」(「ちょぼくれ」71号、群馬県前橋市)
文芸同人誌案内掲示板:「mon」飯田さん 投稿より》

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2015年10月 8日 (木)

文芸月評10月(読売新聞)他者を拒みつつ求める

  加藤秀行さん(32)の文学界新人賞受賞第1作「シェア」(文学界)も、目新しい題材の中に人物が生きていた。ベンチャー企業の社長と離婚した女性は、海外発のウェブサービスを使い、法律の境界を突くように余った高層マンションの部屋を旅行者に貸す。
 怪しげなホテル業を一緒に始めた国費留学生のベトナム人女性は、少し類型的にも映るが、前向きでかわいらしい。五輪に向けて高層住宅の建設が続く東京には、ミニバブルの空気も漂う。その風に踊らず、軽やかに吹かれる若い世代の像が縁取られている。
 現代詩花椿賞を受けた詩人でもある最果さいはてタヒさん(29)の「死ぬほど未満の17歳」(すばる)は、生と死の実感が持てない少年少女のデジタルな世界を刻む。谷崎由依さん(37)の「幼なじみ」(群像)は、事実婚から4年になる女性の話。奇妙な小学校の同級生の出現により、未来への不安をあらわに意識させられる。方言の会話に血が通う。
 一方、大ベテランの筒井康隆さん(81)が発表した「モナドの領域」(新潮)は、法外な器の長編だ。ノーベル賞作家、川端康成の短編「片腕」を本歌取りしたような、女性の腕そっくりのパンを焼く美大生の挿話から始まり、美大教授に取りつく「GOD」と名乗る者が現代に降り立つ。
 話を聞こうと人々が押し寄せ、裁判は開かれ、テレビ番組も放送される。ドタバタ劇と哲学の蘊蓄うんちくを織り交ぜたGODの弁舌に引き込まれる。
 モナド(単子)とは、ドイツの哲学者、ライプニッツの唱えた概念だ。世界は、個々のモナドの集まりで構成されるとする。翻って小説が「世界」の写し絵とするなら、登場人物や場面など各々おのおのの「モナド」を言葉で形作り、ある調和に導く作家は、「GOD」に似た存在なのかもしれない。『創作の極意と掟おきて』で昨年、自らが体得した小説技法を説いた著者は、その実践とも言える本作を通し、作家の仕事を祝福している。
 最後に、いしいしんじさん(49)の連載「よはひ」(すばる2013年5月号~)が、完結した。お話好きの父親に育てられている小さな「ピッピ」が、5歳になるまでの物語だ。お話と現実の世界に境がなかった子供は、次第に言葉を覚え、二つの領域にはっきりとした区分が出来る。その言語以前の薄曇りの世界を、作家の夢の絵の具で描き連ねた。(文化部 待田晋哉)
文芸月評(読売新聞)他者を拒みつつ求める

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2015年10月 7日 (水)

文芸同志会の第21回文学フリマ東京の展示販売本予定

  文学作品の展示即売会「第二十一文学フリマ東京」(11月23日・開催)の参加展示販売本を「文芸同志会のひろば」にて紹介しました。運搬の都合次第では、外狩雅巳本を展示する予定です。

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2015年10月 6日 (火)

第三回大阪文学フリマ「ブースコンテスト」結果「兎角毒苺團」が人気

  第3回大阪文学フリマ(事務局通信サイトに写真掲載)の「ブースコンテスト」結果が発表されている。
•投票者数: 68名
•1ポイント以上投票されたブース数: 100
ブース・出店名・ポイントは次の通り。
C-56 兎角毒苺團 22
B-33 COS部 12
G-8 マスクねこ 12
B-48 うく椅子 11
C-52 おとといあさって 10
G-6 団地愛好家集団『Team4.5畳』 10


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2015年10月 5日 (月)

西日本文学展望 「西日本新聞」2015年9月30日朝刊/長野秀樹氏

題「語る、語らない」
平野宏さん「虹の下」(第七期「九州文学」31号、福岡県中間市)、北原政典さん「宮本さんの部屋」(「詩と眞實」795号、熊本市)
「照葉樹」第二期8号(福岡市)より藤代成美さん「春のひとひら」・竹井侑子さん「ヤツカ」・水木怜さん「CALL」、「九州文学」より山東崇昇さん「石切場のある風景」・八重瀬けいさん「聞き屋リリィ」、井本元義さん「パリ スフロ通り」(「詩と眞實」)
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2015年10月 4日 (日)

著者メッセージ: 矢野隆さん 『我が名は秀秋』

 ヤンキーの中にも、良いヤツがいる……。思えばそれが、私が“レッテル”という物に疑問を持ち始めた端緒であるような気がする。世の中で不良と呼ばれている者の中には、根が純粋で曲がった事が嫌いだからこそ、思春期に大人の現実に触れ、疑問や怒りを感じ、それを素直に表出してしまう故にレッテルを貼られたヤツ等も多い。真面目なヤツより、真正面から大人たちや仲間と向き合うからこそ、問題も起こすし、不良とも呼ばれる。でも実際に接してみると、結構人情に篤く義理堅いヤツが多いのも事実だ。ヤンキーだからと言って全てが悪いヤツだという訳 ではない。
 なにが言いたいかというと、レッテルほどあてにならない物はないのだ。安易な言葉で誰かを一定のイメージに固着させるという行為に他ならない。だから私は大嫌いである。
 今回、日本史の中でも特に悪辣なレッテルを貼られた存在にスポットを当てて、小説を書いた。小早川秀秋である。
 太閤秀吉の親戚であったが故に、幼少の頃から甘やかされて育ち、愚鈍であるが故に、関ヶ原の戦いで重臣たちの勧めに従い三成を裏切って家康に付いた稀代の裏切り者……。愚か、優柔不断、未熟などなど。
 秀秋のイメージは悪しきレッテルのオンパレードだ。こうなると私のレッテル嫌いのアンテナが、ビビビと震えだす。秀秋は優秀だ!
 最初は決めつけのみで企画をスタートさせたのだが、調べれば調べるほど「別に優秀でも筋は通るじゃないか!」という結論に至った。愚か者だと仮定した方が辻褄が合わないような事実もある(関ヶ原の戦いの前日の行動なのだが、気になる方は是非作品をチェック!)
 とにかく秀秋のレッテルを引っぺがしたいという一念で書いた作品である。愚か者の中にも、切れるヤツはいる……。(矢野隆)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2015年10月1日号より)

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2015年10月 3日 (土)

著者メッセージ: 西尾維新さん 『愚物語』『掟上今日子の遺言書』

 西尾維新です。  『愚物語』並びに『掟上今日子の遺言書』が出版の運びとなりましたので、ご挨拶させていただきます。
  十月三日からアニメ版のファイナルシーズン第二弾である『終物語』が始まる物語シリーズと、翌週十月十日からドラマ版が始まる忘却探偵シリーズの最新作を、同時に発売することができてとても光栄です。
  ぜんぜん雰囲気の違う二冊なので、読み比べていただくのも一興かと。もちろんどちらから読んでも問題のない二冊となっておりますので、なに とぞよろしくお願いします。      (西尾維新)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2015年10月1日号より)

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2015年10月 2日 (金)

文芸時評9月東京新聞(9月29日)佐々木敦氏

筒井康隆「モナドの領域」最高傑作をうたう真意/赤坂真理「大津波のあと」歴史的に主題に迫る力業
《対象作品》筒井康隆「モナドの領域」(「新潮」10月号)/赤坂真理「大津波のあと」(同)/文学界10月号特集・
鼎談・柴崎友香、島本理生、村田紗耶香「酒とつまみと小説と」、村田紗耶香「日本酒女子会」/同特集・二十七名によるグラスを傾けながら読みたい名文・角田光代、池内紀、菊池成孔、坪内裕三、島田雅彦、山田詠美/同特集・極上小説つまみ・戌井昭人、藤野可織/すばる10月号特集・<国民のための新しい道徳教科書>瀬戸内寂聴・巻頭言。中島京子と姜英淑、小野正嗣の講演、松浦理英子のインタビュー、小説・高橋源一郎「Mのこと」/谷崎由依「幼なじみ」(群像10月号)。
 筒井康隆「モナド領域」について、佐々木氏は「「この小説に登場するのは全知全能の「神」である。(中略)ラストシーンは、長年の愛読者ならば涙を抑えることができないだろう。私もそうだった。」と評する。
 
SF作家から純文学雑誌に掲載の場を移してきたユニークな作家の状況の変化が、現代日本文学の姿をしめしているようだ。

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2015年10月 1日 (木)

文芸同人誌評週刊読書人」(2015年9月4日)白川正芳氏

《対象作品》 峰岸菜々子「さくら」(「法政文学」11号)、桐生久「ヘルパー 道徳さんのボランティア」(「矢作川」30号)、評論では小松たえこ「渡辺昇(ワタナベ・ノボル)という名前-村上春樹と安西水丸」(「高知文学」41号)、「吉村昭研究」第30号記念号より柏原成光「吉村昭が描いた津村節子」、太田文夫「吉村先生最大の功績とは」、桑原文明「純文学の幅をひろげた氏」、村木一貴「吉村昭記念文学館の開設に向けた準備状況について」
鈴村和成「詩5編」、倉橋健一「今、思うこと」(「イリプス」16)、牛島富美二「長左と彦左」(「仙台文学」86号)、林香織「灰色の電車」(「全作家」98号)、久保輝巳「本籍地」(「龍舌蘭」189号)、小林広美「姿勢」(「AMAZON」472号)、小沢正人「河北省南宮市後底閣遺跡出土唐代如来座像の特質とその背景」(「成城文芸」230号)
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