文芸同人誌「季刊遠近」58号(川崎市)
特集「私小説千年史」がある。勝又浩氏の「梶井基次郎まで」は、読み応えがある。日本語における曖昧さのなかでの、含蓄に満ちた表現の可能性をもつ日本語の特性を、短いなかで明瞭に提示。わかりやすく説く。後半での梶井の「冬の蠅」や「闇の絵巻」における主客一体の文章については、文学的であるということは、どういうことかについて、強い示唆を感じさせられた。しまりのない文章を当然のように受け入れている自分に、鞭を入れられたような感じがする。
【「不協和音」難波田節子】
社内結婚で、社宅生活をする美樹。子供ができ普通の生活をしている。高校時代の同級生の女友達の紅子は美大に進学、画家になっている。もうひとりの友人奈緒美は、大学の英文科に進み現在も商事会社に勤めている。美樹は家が貧しかったので高卒で就職し、主婦生活を送る。
それぞれの人生の在り方を、美樹は比較してしまう。当初は、友人の生活ぶりに劣等感をもっていたが、子どもができると、自分の生活に自信をもってきている。描写の多くを画家の紅子が個展を開催した会場の雰囲気に費やす。それに出席した美樹には、アーチストとして華やかな社交の世界に入り、生き生きとしているように見える。それを読みどころとした作品か。読みようによっては、普通の生活者の美樹から見た、個性を発揮するアーチスト紅子への羨望とも、あるいは充実したように見えても、実際は紅子の社交界での軽薄で虚しい世界のようにも受け取れる。
美樹の普通の家庭人であることの重みを理解しないであろう、友人たちの感覚との違和感を描いたのであろう。平凡生活の満足感。読者も納得するでしょう。ただ、リアリズム中心主義で、作者の気配りの良さがわかるが、小説的なロマン、作り話の面白さに欠ける気がした。読みどころの個展会場での描写も、過去においてはともかく、現代ではそれほど粒だっていない気がする。
【「母の記憶」浅利勝照】
生れてはきたものの、母親からは歓迎されず、他人に預けられて育った男。すでに父親でない男と家庭をもった母親に、成人してから一度だけ会いに行った思い出を語る。小説として、ぎぐしゃくしたところもあるが、その辛くて複雑な情念は伝わってくる。
【「優しさが傷」花島真樹子】
夫は優しいのであるが、妻や家庭と同等に自分の係累にも優しい。結果的にそれが、妻には優しいということになるのか、というジレンマを描く。外でいい人は、そのために家人には悪い人になってしまうことが多い。もすこし小説的なアクセントが強ければいいのにと思わせる。世間でよくある面白い題材だった。
発行所=〒215-0003川崎市麻生区高石5-3-3、永井方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。
| 固定リンク
コメント