村上春樹『職業としての小説家』評・岡ノ谷一夫(東京大教授)
たとえばヘミングウェイは、戦争に行ったり狩りをしたり闘牛を見たりした。非日常の素材の強さで小説を書いたのだ。一方村上さんは、きちんと朝早く起き、走り、料理もし、規則正しい暮らしをする。日常を素材として想像力によって小説を書く。素材が日常だから、多様な読者が自分の読み方をできる。スパゲティをゆでていると電話がかかってくることは、確かにありそうだ。女性から「いやなやつ」という書き置きをもらったことはないが、もらってみたい気もする。まわりには突撃隊みたいな極端な奴やつはいないが、あれに近い変人はいる。慣らされているうちに、羊男やリトル・ピープルみたいな存在が不自然ではなく思えてくる。日常+想像力の強さである。ありえたかも知れない世界を描き出し、普遍性につながるのではないか。
本書の題目は、いやでもマックス・ウェーバーの「職業としての学問」を連想させる。ウェーバーの本は学者として生きる上での参考になるが、村上さんの本は、あくまで村上さん自身のやり方・考え方を書いたものだ。しかしどんな職業の人であれ、プロであるとはどういうことかを本書は伝えてくれる。プロには精神のタフさが必要で、それを支える肉体の鍛錬が必要である。このことは形を変えて何度も出てくるから、村上さんの心の声なのだろう。僕を含む多くの読者にとって、村上さんの創作が産まれてきた背景を知ることは、たまらない喜びだ。
読売新聞《評・岡ノ谷一夫(生物心理学者・東京大教授) 『職業としての小説家』 村上春樹著》
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