文芸誌「法政文芸」第11号(東京)
法政大学の国文学科の別冊である。読みどころは「暮らしのノートITO」で紹介した。文芸コースから大学院の文芸創作プログラムに進んだ修了生・くぼ田あずさ氏が、第9回小説宝石新人賞を受賞したという。基礎的な文章表現力では、洗練されていて当然だが、娯楽物系への対応性も見せるというのは興味深い。
【「マリアへ捧ぐ眼」飯村桃子】
主人公の学生「私」は、モスクワに短期留学する。現地での教会のマリア像の詳細なイメージと、生々しい存在感と美。「私」は、宗教に詳しくない、とあるのでクリスチャンではない。そこで見たキリストか、とも想わせる汚れにまみれた男との出会い。この観察的な表現と、心象イメージの拡張は何なのか。孤独と不安の実存的なイメージが感じられる。そして、帰国すると認知症になってしまった祖母。きめ細かい感覚の表現力は読ませる。具体的な生活上の細部でてくるが、それで「私」の実存的な存在感が高まるかというと、そうでもない。存在の危うさや孤独への内面的追及性が軽くなっているような気がする。
とはいえ、人間の実存的な存在感の表現にせまろうとした作品に読めた。ちょっと、形でいえばリルケの「マルテの手記」を感じさせるところも。
【「群青の石」北吉良多】
東武東上線の沿線の埼玉のどこかに家族と共に住み、東京の大学に通い、池袋にあるのかどうかはっきりしないが、中学生塾の講師をする主人公。就職活動は、うまくいかず、すこし焦りがないでもない。恋人がいてお泊りなどもするが、彼女と結婚することは考えていない。
塾の生徒に、周囲から浮いて孤独な女子中学性の井崎がいる。ほかの講師仲間は、扱い難いと彼女を敬遠するが、主人公は内向的な彼女を気にはするが、それほど苦に思わない。
井崎はその孤独な生活から、学校ではいじめを受けているらしい。そこで、東京に出ると言いだす。環境の変化への挑戦である。なんとなく生活し、就活をする主人公の自分自身への不満、未来への不安とそれが重なる。
主人公は「心理学」を学んでいるが、現代の大学生性のなかで、自宅通学型の典型的学生生活状況がなかなか面白い。「心理学」では、職業選択での志望企業に茫漠としたものがあるのであろう。その茫漠さに主人公は不満をもって変わりたいと思う。「僕は真面目に生きたかった。狂った歯車を正すことはそんなに簡単ではない」と思う。就職すれば、日本的ビジネスカルチャーの社会的役割演技に適応するために奔走するのであろうが、大学生活のモラトリアム性への違和感への表現と読めた。
発行所=法政大学国文会。発行人・勝又浩、編集人・藤村耕治。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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