続・自分説話解説◎六十年代後半について=外狩雅巳
時系列に従わず鮮明な想い出の列記としてこの時代を回想風手記で《「詩人回廊」外狩雅巳の庭》に掲載中です。62年に二十歳になったので二十代とも重なり多感でも未熟な青年期でした。
続・自分説話(7)に掲載の「わかもの」サークルについては少し説明も必要かと考えました。検索をされる方は私より詳しい情報を持った上でサイト閲覧しているのでしょう。
とは言え、閲覧者の検索に頼って説明無しで手記を連ねるのはまずいと思いました。
ぬまやひろしと言う人名が唐突に出ました。これは西沢隆二と言う人の筆名です。
この人は当時の共産党の徳田球一書記長の娘婿として実力者でした。「グラフわかもの」と言う雑誌を発行し青年層にアピール中でした。若者よ体を鍛えておけ~と言う出だしで知られる歌の作詞者です。
世界情勢の中で日本革命を推進中の共産党の方針は揺れていました。徳田球一が戦時中の中国逃避体験から毛沢東思想に影響されたのでしょう。
共産党の方針と合わず毛沢東盲従派と呼ば党籍剥奪になりました。しかし、青春の発揮としてサークル活動に熱中した私はそこが無理解でした。
革マル派の先輩学生と行動した過去も払拭出来ず行動指針が持てませんでした。
紆余曲折の二十代の終わりに中央労働学院に出会いました。
多少の理論学習を元にセガエンタープライゼスで労組作りをしました。
そして、学院仲間とは文芸同人誌「未知」を発行し続けました。
28歳の時に七十年安保闘争とかかわります。その先は、また今後の自分説話で綴ってゆきます。
《参照:外狩雅巳のひろば》
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