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2015年5月14日 (木)

文芸同人誌「あるかいど」55号(大阪市)

【「豚小屋の礼節」木村誠子】
40年前に大学で同人誌「豚小屋を創刊。その文学仲間のその後の生活ぶりを、ぼくが訪ね行く話。40年もすれば仲間たちもそれぞれ変遷の人生を過ごし、運命に翻弄されている。これは村上春樹もどきだなあ、と思って読んでいると、「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」の引用が出て来て、ぼくはその文学に納得するという話であった。引用は、
――そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷とによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を流さない赦しはなく、痛切な喪失を通りぬけない受容はない。――
 村上オマージュで、その作品引用をもって、作品の結論につなげるという、まさにシュミレーション小説である。春樹的比喩こそ不足しているが、この手法でもっても文学的小説になることを証明していて、その影響の受け方の事例として面白い試みに思えた。
 読み物の形式として、訪ね歩いて得た情報を記すというのが有効であるし、ジャーナリズムの取材活動に匹敵する、ということは幾度か述べてきたことである。
【「塩と石」善積健司】
 日本の自衛隊が海外に戦争に出たために、戦時情況となったらしい。中学だか高校だかわからないが、学校の修学旅行が制限され、出雲大社にいくことになる。その引率教師と生徒とのやりとりが長々と続く。近未来の風刺小説的だが、風刺にしては毒がない。登場する生徒たちも個性的であるが、それらの個性が戦時体制とマッチしないのが、面白いといえば面白く、世相の受け取り方のゆるさが、蔓延していることへの風刺にはなっているかも知れない。
 善積健司氏は5月に開催された文学フリマ東京で「大阪文庫」というサークルで出会った。文庫アンソロジー「幻視コレクションー語り継がれる物語の前夜」などに猿川西瓜という筆名で「私のマキナ」という幻視小説を執筆している。どうもこの作者は、うっちゃん(内村光良)のお笑い風刺系コント劇場が合っているようだが、まだ作風への自覚認識が届いていないように読める。才気が空回りしているような気がする。
 このサークルの他の文庫を見てみると、テーマを決めて同人誌仲間が短篇小説アンソロジー文庫にしているようだ。つまり善積名は伝統的な地域文芸同人雑誌を舞台にし、猿川名は、広域文学ファンでの短編小説作家として活動を行っているということになる。ひとつの文学活動の方向性を示すものであろう。
 発行所=545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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