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2015年3月30日 (月)

4月号 図書館という「鏡」 早稲田大学教授・石原千秋

 酉島伝法「三十八度通り」(群像)は奇妙な小説である。どうやら近未来で、町ではヘンなことばかりが起こる。実は、「私」は38度の「微熱」に見舞われているのだが、38度が政治的な数字であることは冒頭から明らかにされている。ところが、末尾がこうなのだ。「『おい、聞いたか。平熱が三十八℃に引き上げられたって』/誰かがそう話すのを聞いた。」それならば、政治的な38度も無意味になる。あるいは、政治的な38度が当たり前になる。どちらにしても人を食ったような末尾で、これこそ文学の仕事である。
 栗田有起「抱卵期」(文学界)は、大学受験を控えた女性が、他人の卵子を子宮に入れて育てる仕事を請け負うことになる。この設定に生殖技術へのなにがしかの批判が込められていることはわかるが、これだけ特異な設定だとあとの展開が苦しいだろうなあと思いながら読み進めると、案の定、設定以上のものは何も出てこない。羊頭狗肉である。上田岳弘「私の恋人」(新潮)は、何人もの「私」が人類の歴史を横断する。しかし、末尾がいかにも「小説してます」といった感じのオープンエンディングで興ざめ。これは尻すぼみと言うべきか。小説を終えるのは難しいものだとつくづく思った。《産経新聞:4月号 図書館という「鏡」 早稲田大学教授・石原千秋

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2015年3月29日 (日)

「批評メディア論」大澤聡・近畿大講師

人物中心思考は、無名の人々の議論をつかめず、同じ議論の繰り返しになりがち。日本の論壇が、文士をスターにして消費する文壇をモデルに成立したからで、日本特有の病だという。
 大澤氏はさらに、「同じシステムを後生大事に80年以上使い続けたら、制度疲労してくるのは当たり前」として、活字メディアの苦境を招いた一因でもあると指摘する。「これからは、専門外の論者や新しい論者を、積極的に登用し、論理で勝負するような言論空間も確保しないと、言論が危機に陥った時に困るのでは」
 その一方で、批評の歴史には、現状変革につながるヒントもある。「当時の雑誌や新聞には、いい意味でのいい加減さや開き直りがあった」ことだ。連載が突然終わったり、記事の形式やタイトルが急に変わったり、“トライ&エラー”が常に繰り返されていた。
読売新聞3月27日《「批評メディ論」大澤聡・近畿大講師

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2015年3月28日 (土)

外狩氏(会員)と個人誌「草」と「新しき村」などについて

一人雑誌「草」(発行所=〒350-0463 埼玉県毛呂山町前久保南4-36-4-104、小島真樹方)について、《外狩雅巳のひろば「武者小路実篤と新しき村」小島思想の今!=外狩雅巳》で紹介されている。こういうのを孤高の存在というのであろう。感銘を与える情報である。

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2015年3月24日 (火)

言壺便り~赤井都さん

▽目次▽
■新作『大和言葉の練習』販売のお知らせ
■100作るということ
■春のイベント予定
■言壺便りについて《参照:赤井都「言壺」 》
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■新作『大和言葉の練習1』販売のお知らせ
『大和言葉の練習1』フラッグブックを豆本がちゃぽん・有隣堂厚木店地階で本日から販売開始です。
東京堂神保町店の豆本がちゃぽんでは、4月から販売予定です。
豆本がちゃぽんでは、4作家の豆本がそれぞれカプセルに入り、一球100円です。税込価格(消費税導入以前の機械です)。お花見がてら、どうぞ本屋さんへおでかけ下さい。
メールマガジン読者様に、特別に本日から通販受付します。通販は、メールにリプライでお申込み下さい。
がちゃぽんでは何が出てくるか選べないものなのですが、通販では作品指定できてしまうので、一冊300円となります。
去年から作ってきた「語学の練習1」シリーズは、これで全3巻となりました。
『ポルトガル語の練習1』『イタリア語の練習1』も併せて揃えたい、という方へ各300円で販売します。
『イタリア語の練習1』はメルマガ通販したことがありますが、『ポルトガル語の練習1』通販は、ご案内は今回が初めてです。
通販ではカプセルはつきません。お一人様合計3冊まで。配送料手数料は、3月中なら特別価格100円でお届けします。
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■100作るということ
 今回、がちゃぽん豆本を、100冊作りました。20作り終えた時の気持ちは、「まだこれだけ…」
50作っても、まだ楽にならない。「たったこれだけ…」80作った時、何か壁を超えます。「もっと作りたい」という
気持ちが湧いてきます。
100作ると、達成感。「もうしばらくいい」というくらいの達成感があります。増し刷りは、もういいでしょう…。
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■春のイベント予定
2015年4月 単発のワークショップを計画中。2015年5月7日~27日「そっと豆本、ふわっと活版、ほっこりお茶」
名古屋丸栄あーと・すぽっとhttp://sottomamehonfuwattokappan.com/
2015年6月5日~14日
香港ブックアートフェスティバル招待参加
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■言壺便りについて
最近、体調はとてもいいです。だから豆本100冊作れました。
ここであと10年作り続けるつもりで、のれんを架け替えたりオリーブの木を置いたりしたら、暮らしやすくなりました。
作業場も整理して使いやすくなって、効率が上がっています。仕事がさっさとできるようになったぶん、他の時間をゆったりと過ごす楽しみができました。

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2015年3月22日 (日)

外狩氏(会員)が各論的な同人誌活動の最新情報を強化へ

 町田文芸交流会の事務局長でもある外狩雅巳氏が、交流会活動で得た、各グループの活動最新情報を発信してくれている。多くの文芸同人誌の同人も自らの所属するグループ以外のことは、よく知らないこともあるのではないか、ということで、その現状を外部発信してもらえることは文芸同志会の運営思想に合致するので助かる。
《参照:外狩雅巳のひろば
 当会は、あくまで会員の情報発信の協力を得て、その社会的な意義を追及することに主眼があり、やっているうちに、ほかにない独自の活動になっているらしい。会員にはこれまでに、その骨子となる運営方針を伝えてきたが、どうも理解し難いものがあるらしい。主催の伊藤は、文芸同人誌という形態の存続は「カラオケボックス」が存在するように存在するし、たとえ「カラオケ」がなくなっても、同人誌は存在することの理論は「「なぜ「文学」は人生に役立つのか」で論証しています。問題はどのような形になるかでしょう。それについても「詩人回廊」(文学フリマ物語消費)で触れています。

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2015年3月20日 (金)

読者評をコンピューターが書く時代に

 書き手はいるが読者がいない。これがアマチュア作家の現状で、なんとか読者の評がえられないか、あるいは作れないかというのは、現在と将来にわたる課題である。すでにコミックや大衆小説の創作には、骨格をコンピューターがつくるシステムが出来ている。大塚英志「キャラクター小説の作り方」などは、その思想が色濃く反映されている。書き方は違っても作り方は同じということだ。文学フリマでも700超えるグループがあるが、そこの希望は、批評して欲しいというのが一番多いはずだ。
 そこで、コンピューターで読者評ができないか、ということになる。
 小説ネット公開システムひとつに「インターネット文芸誌『クランチマガジン』」(今村友紀氏運営)のケースがある。ここでは約二千五百人が作家登録し、投稿作品は四千超という。
 ここでも、課題は文芸同人誌作品と同じで、読者の不足である。書き手が多いが読者がいない。その対応策について、東京新聞(三月一七日・朝刊・中村陽子記者)に「小説解析プログラム」で記事化されている。
――「結局、一番足りないのは読者なんです」と今村さん。今度は小説レビューを自動で作成する「読者マシン」の実用化を進めている。「投稿者は、誰かから評価されたり、話題として取り上げられるたりすることをすごく求めています。」
「読者マシン」は、解析プログラムで文章の特徴を捉え、投稿ページに具体的なコメントを残す仕組みだ。「分かりやすい言葉で書いているね」と指摘したり、たとえば「村上春樹の『○○○』と似てるね」などのコメントも付く。評価が高ければそれを参考に読む人も
出てくる。「人間の読者」との出会いの可能性も高まるという。―――
 コンピューター知能による小説制作はすでに、大衆読み物のハレクイーン小説に導入されている。そこで次の段階として、コンピューター読者評としての機能を追求する時代に入っているのである。

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2015年3月16日 (月)

著者メッセージ: 五木寛之さん 『五木寛之の金沢さんぽ』

  ここにおさめられた文章は、たとえ短いものであっても、その時どきの私の本音を写している。これはいわゆる観光案内のハンドブックではない。
 金沢という街の背景に隠された艶やかな気配を、わずかでも読者にお伝えできたら、と、ひそかに願っている。
  この一冊が、金沢という閉ざされた街の扉を開く鍵とならんことを。(「まえがき」より)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2015年3月15日号より) 

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2015年3月15日 (日)

「文芸中部」第98号(東海市)

「『杉浦明平の日記』のことども」三田村博史】
 多忙な文学活動の日々の記録。表題の杉浦明平の敗戦前後の日記の抜粋を読ませていただいたが、その小冊子を作成するまでの経緯。同人誌「海風」発表のものと、その元原稿の入手に杉浦家を訪れた話がある。とにかく戦争に負けることはわかっていて、国民は「もうやめようよ」と言いださないのか、言い得ないのか。その時代の本音に触れているので、公表したものと原文とは差があるのだという。自分も秋葉原の電器屋の店主たちなど、戦時中は、低周波と高周波の情報は聴いていたので、戦況はすべて知っていたという話をきいていた。要するに知っているだけ、わかっているだけでは、どうにもならないのである。三田村氏も、世界の時代の流れが帝国主義の覇権争いのなかで起きたこととして指摘している。また、国際的な視点の第二次世界大戦と日本人にとっての大東亜戦争意識とは差がある。現在の安倍内閣はその意識のずれを浮き彫りにしているーー。そんなことを考えさせられた。
【「時の欠片」朝岡明美】
 小枝という高齢女性の体験と過去の時間の意識のよみがえりを追う。町を散歩しながらというか、彷徨うというか、その時々の記憶が意識の中で実在してることを描く。同居している息子夫婦からすると、一時、行方不明ということなっていたという話。落ち着きのある安定した平常心を反映する文章。「季刊文科」にも作品が転載されるなど、ただ巧いというだけでは言いたりないような、もの静かな表現をする。
【「時のゆらめき」堀井清】
 会話に括弧を使わない、特有の文体をもつこれもまた、安定した平常心をもちながら、俗世間を蒸留した表現力。友人の葬儀によって、まじかに迫った死を強く意識させる題材に、さまざまな晩年過ごす人物像を浮かびあがらせる。どこかにユーモアと皮肉を含んだ話運びで面白く読める。
【「彫師」本興寺 更】
 江戸の読み本は、版木に文字を彫って印刷していた。その文字の彫師の世界を版元や作者とのとの関係を描く。面白いし、味がある。最近は、時代小説の書き下ろし文庫が流行っているが、自分はいくつか読んだが、興味がわかず面白いと思ったことがない。本作は、それらのように骨格のある構成はないが、読む頁ごとが面白かった。
【「音楽を聴く(68)マックス・ブルック『スコットランド幻想曲』」堀井清】
 音楽再生装置というのは昔はステレオ装置といい、レコード再生装置とレコードに関しては作家の五味康介が音楽を文章表現していた。その後、団塊の世代が、外国音楽に熱狂し、再生装置も高度化しそれらをオーディオと称するようになった。オーディオ専門店が全国に発生し、名古屋ではどういうわけか、お相撲さんの絵を看板にした「ナゴヤ無線」という店もあった。その頃、音楽的雰囲気を文章でわかりやすく説明できるコピーライターが不足していた。なんでもオーディオメーカーが大手広告代理店に頼むと、「メカなら任してください。私はスポーツカーのコピーライト専門です」という人が来たとかで、メーカーから「あんたはどう思う」ときかれたものだ。ここではマーラーの気分を表現しながら、平野啓一郎の文学論、そして存在論まで及ぶ。エッセイの名品に思えた。
発行所=〒477-0032東海市加木屋町泡池11‐318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2015年3月12日 (木)

文芸同人誌評 「週刊読書人」(15年02月27日)白川正芳氏

秋沢陽吉「寺山修司、母地獄」(「駱駝の瘤」通信8,福島市)
季刊詩誌「舟」157号より吉原彩子「声」
「緑雨」創刊号(発行 日本大学藝術学部文芸学科)より加藤友里「鎌倉探訪」
尾高修也「傍観録」(「私人」83号)、登芳久「あしたの天気」(「空とぶ鯨」15号)、牛島富美二「翻案 秋色柳落葉」(「仙台文学」85号)、永瀬葉子「彼女と私」(「とぽす」57号)、吉永ケイト「耳」(「TEN」104号)、和田ヒロミ「暗い旅」への旅」(「風紋」3号)
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2015年3月10日 (火)

文芸同人誌「R&W」17号(愛知県)

 自分は同人誌をカバンに入れて、電車やバスの待合や車中で読むことが多い。だから雑誌が到着すると、妙にそこで読んだことのある場所が浮かんでくる。「R&W」の初期はなぜか青山1丁目のビルの喫茶店で読んだ記憶がある。小説教室で学んで、さまざまな工夫が創作姿勢に感じられたものだ。それ以来、編集者の渡辺氏や装丁は変わらないが、書き手の様子は変化している気がする。書かれたものが、娯楽物と読めるものが多いが、中にはよく判らないながら文体が面白いのもある。読んで、ああそうですか、と済ませるのが妥当な気がするが、一応感じるところを記してみた。
【「SMOKIEの薄目見聞録」茅ナオミ】
 猫が語り手の連載物だが、語りの文章が面白くて、もしかしたら純文学になるのかな、と思わせる。
【「火の煙」萩田峰旭】
 呪術が使われる古代というか、昔の話で綬延という呪術使いの不思議な話で、自在な肩の凝らない文体と出来事が一風変っているので、面白く読んだ。
【「アンロック」長月州】
 未来小説で、小型無人飛行機ドローンが、空を飛びかい人間やロボットを監視コントロールする世界。若者の男女の、シュミレーション社会に置かれた状況を描くものらしい。
 若者の意識による世界からの視点で、非常に狭い空間域を右往左往する活劇描写は、書きなれた安定感がある。アニメ風の題材を小説化したような感じ。活劇小説のなかにも、社会機構に主体性を奪われた現代の窮屈な雰囲気を反映しているように思えた。
【「事故」松本順子】
 交通事故にあって意識を失った状態の女性の独白体というスタイルで、意識の流れを描く。事故を起こしたという加害者は、同じ場所で前にも同様の事故を起こしていたということが分かるが、それが謎めいていて因果関係がはっきりわからなかった。リアルな生活意識から抜け出したお話を作ろうという意欲が感じられる。
【「『足』考―人間は考える足である」渡辺勝彦】
 エッセイなのであるが、歩く存在としての人間について考察をしている。これが本誌の他の娯楽小説より面白く、娯楽になる。
 誰もが、自分の関心事を題材にして書くのであるが、読む方にしてみると疲れた。
 小説は、他人のどんな名作を読むより、凡作でも自分が書いた方が面白いと説いたのが菊池寛の「作家凡庸論」である。その論を基点にして、読者側の満足感と執筆者側の満足感の基本的な相違を指摘したのが「何故文学は人生に役立つのか」(伊藤昭一・文芸同志会)であるが、それを書いて、なぜそうなるかを明らかにしておきながら、読者側に回る自分に思わず笑ってしまうところがある。
発行所=480-1147愛知県長久市市が洞1-303、渡辺方。「R&W」編集室。
 紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2015年3月 9日 (月)

高齢化が進む同人誌クラブの対策を外狩雅巳氏が語る

 文芸同人誌の書き手の高齢化が進む。世間話を横で聞いていたら、我が町の文化講演では、医師が高齢者の自律神経の安定には3行でも4行でも、日記をつけることがよい効果を生む。頭がしゃっきりして長生きするそうである。たしかにものを書くということは、無心に考える感覚を客観化させるようだ。同人誌サークルに詳しい外狩雅巳氏も独自の体験をもっているようだ。《参照:同人高齢化の傾向と「相模文芸クラブ」の工夫

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2015年3月 6日 (金)

著者メッセージ: 樋口卓治さん 『天国マイレージ』

 泣いている人には、
 ハンカチよりも
 ユーモアを。
 
 「もし子供に何か残せるのなら、何を残すか?」
 自分にそんな質問をしてみた。
 色々思考してみて辿り着いたのが、ユーモアだった。
 スキルではなく、その精神を残したい。結論ではなくプロセスを見せたい。
 それがこの小説を書いた動機だ。
 「ボクの妻と結婚してください。」の続編として上梓したものだが、構想は「ボク妻」より前にできていた。
 父と息子に流れる時間を小説にしたい。真っ正面から書くと照れてしまうので「もしも~だったら」というバラエティ番組の手法を使うことにした。
 もしも生前の善行がマイルとして貯まっていたら、もしも放送作家が小学生になったら~
 そんなファンタジーをベースにしたお陰で、面と向かって言えないことが書けた。
 父親が人生で培ったものを息子に託す。
 修治が残した遺産は資産ではなくユーモアだった。
 「ボク妻」同様、三村修治は息子のために奔走する。たった六日間を死んでいるのにも関わらず思いっきり生き抜く。すべては家族に楽しい未来を残すために。
 修治が自分の天国行きをさておき息子のために頑張れるのは、やはり愛する妻・彩子がいるから。死してもなお修治は彩子を愛していた。
 そんな七転八倒のお父さんストーリー、心ゆくまでお楽しみください。 (樋口卓治)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2015年3月1日号より)

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2015年3月 4日 (水)

「みなせ文芸の会」の集いに見学参加して=外狩雅巳

 三月一日の日曜日に行われた「みなせ文芸の会」の会合を見学しました。
 この会は神奈川県の秦野市を中心にした文芸等の愛好家の集まりです。
 年に四回発行の会誌「みなせ」を17年近く継続している活発な会です。
 発行毎の会合は、今回は小田急線渋沢駅近くのスナックでおこないました。
 今回の65号への作品掲載者9名中市内在住4名が参加した小会合です。
 同じ秦野市の同人会「普恋洞(フレンド)」代表の小野光子さんと二人で見学参加しました。
 男女三名ずつの和やかな会合は飲食しながら歓談や作品合評を行いました。
 合評は最初に作者の説明を行った後に、全員からの感想を出し合います。
 巻頭から順に行い二作以上掲載の場合は最初の作品を取り上げます。
 見学者も参加して全員がのびのびと発言出来る雰囲気の良いひと時でした。
 私も「文芸同志会通信」で紹介した《「みなせ」作品評》を配布し追加感想を交わしました。
 事務局の岡森氏が精力的に編集や運営を行い三か月毎の発行を維持しています。
 会員からは創刊以来の苦労話や経過等も出され、その現状が良く理解できました。
 関東一円に二十人の会員を抱え毎回二百頁もの雑誌発行を続けています。
 年会費千円での運営。Ⅰページ三百円での安価製作等の実態も知りました。
 掲載作品も小説以外に詩歌・時評・ノンフィクション・レポートなど多彩です。
 毎回150枚もの掲載を行う会員もいます。旺盛な表現意欲に圧倒されます。それを編集発行する岡森氏は事務連絡等の運営全般も行う苦労人です。
 自身の作品もユニークな時事解説等を百枚も掲載する活躍を見せています。
 会員達の語る苦労話を聞くと地域に根を張る同人誌の逞しさを理解出来ます。
 飲み放題の中での談笑は本音が出て、この会の実情が判り親近感を持ちました。
 今後も「町田文芸交流会」で出会った近郊の同人会等の見学を報告してゆきます。内部に篭る文芸同人会の相互交流を続ける意義を探って行きます。《参照:外狩雅巳のひろば

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2015年3月 3日 (火)

読みたくなる書き方のコツ=穂高健一

【読者を引きこむ書き出し】
 ① 動きのある描写シーンから書く(映画を見るように)
 ② 最初の一行で、次が知りたくなる。二行目で、さらに次が知りたくなる
 ③ 思わずエッセイ空間に引き込まれていく。(同じ体験の境地にさせる)
 ④ 私の履歴、家族の説明、初めから結末がわかる(退屈感を与えてしまう)

【巧い結末のつけ方】
 ① 最後まで、糸がぴんと張っている。
 ② 続きがあるように、後方は思い切って切り捨ててしまう。
 ③ 言いたいことは書き切らず、腹八分目で留める。
 ④ 形を整えて締め括ると、「作品よ、さようなら」読後感がない印象を与える。
穂高健一ワールド

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2015年3月 1日 (日)

西日本文学展望 「西日本新聞」15年2月26日、朝刊・長野秀樹氏

題「あやふやさ」
榎並真一郎さん「世界再生の歌」(「龍舌蘭」188号、宮崎市)、斉藤てるさん「霧の道」(「詩と真実」788号、熊本市)
「龍舌蘭」よりみやまそらねさん「ギドラ」・仁志幸さん「月が山に、山から月が」、岡林稔さんの連載「『龍舌蘭』の旧作を読む(二)」、「邪馬台」193号(大分県中津市)より勢隆二さん「今に集う」
「詩と真実」金子靖さんの追悼特集より今村有成さんの追悼文や遺稿
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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