« 文芸同人誌評 「週刊読書人」(15年02月27日)白川正芳氏 | トップページ | 著者メッセージ: 五木寛之さん 『五木寛之の金沢さんぽ』 »

2015年3月15日 (日)

「文芸中部」第98号(東海市)

「『杉浦明平の日記』のことども」三田村博史】
 多忙な文学活動の日々の記録。表題の杉浦明平の敗戦前後の日記の抜粋を読ませていただいたが、その小冊子を作成するまでの経緯。同人誌「海風」発表のものと、その元原稿の入手に杉浦家を訪れた話がある。とにかく戦争に負けることはわかっていて、国民は「もうやめようよ」と言いださないのか、言い得ないのか。その時代の本音に触れているので、公表したものと原文とは差があるのだという。自分も秋葉原の電器屋の店主たちなど、戦時中は、低周波と高周波の情報は聴いていたので、戦況はすべて知っていたという話をきいていた。要するに知っているだけ、わかっているだけでは、どうにもならないのである。三田村氏も、世界の時代の流れが帝国主義の覇権争いのなかで起きたこととして指摘している。また、国際的な視点の第二次世界大戦と日本人にとっての大東亜戦争意識とは差がある。現在の安倍内閣はその意識のずれを浮き彫りにしているーー。そんなことを考えさせられた。
【「時の欠片」朝岡明美】
 小枝という高齢女性の体験と過去の時間の意識のよみがえりを追う。町を散歩しながらというか、彷徨うというか、その時々の記憶が意識の中で実在してることを描く。同居している息子夫婦からすると、一時、行方不明ということなっていたという話。落ち着きのある安定した平常心を反映する文章。「季刊文科」にも作品が転載されるなど、ただ巧いというだけでは言いたりないような、もの静かな表現をする。
【「時のゆらめき」堀井清】
 会話に括弧を使わない、特有の文体をもつこれもまた、安定した平常心をもちながら、俗世間を蒸留した表現力。友人の葬儀によって、まじかに迫った死を強く意識させる題材に、さまざまな晩年過ごす人物像を浮かびあがらせる。どこかにユーモアと皮肉を含んだ話運びで面白く読める。
【「彫師」本興寺 更】
 江戸の読み本は、版木に文字を彫って印刷していた。その文字の彫師の世界を版元や作者とのとの関係を描く。面白いし、味がある。最近は、時代小説の書き下ろし文庫が流行っているが、自分はいくつか読んだが、興味がわかず面白いと思ったことがない。本作は、それらのように骨格のある構成はないが、読む頁ごとが面白かった。
【「音楽を聴く(68)マックス・ブルック『スコットランド幻想曲』」堀井清】
 音楽再生装置というのは昔はステレオ装置といい、レコード再生装置とレコードに関しては作家の五味康介が音楽を文章表現していた。その後、団塊の世代が、外国音楽に熱狂し、再生装置も高度化しそれらをオーディオと称するようになった。オーディオ専門店が全国に発生し、名古屋ではどういうわけか、お相撲さんの絵を看板にした「ナゴヤ無線」という店もあった。その頃、音楽的雰囲気を文章でわかりやすく説明できるコピーライターが不足していた。なんでもオーディオメーカーが大手広告代理店に頼むと、「メカなら任してください。私はスポーツカーのコピーライト専門です」という人が来たとかで、メーカーから「あんたはどう思う」ときかれたものだ。ここではマーラーの気分を表現しながら、平野啓一郎の文学論、そして存在論まで及ぶ。エッセイの名品に思えた。
発行所=〒477-0032東海市加木屋町泡池11‐318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

|

« 文芸同人誌評 「週刊読書人」(15年02月27日)白川正芳氏 | トップページ | 著者メッセージ: 五木寛之さん 『五木寛之の金沢さんぽ』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 文芸同人誌評 「週刊読書人」(15年02月27日)白川正芳氏 | トップページ | 著者メッセージ: 五木寛之さん 『五木寛之の金沢さんぽ』 »