小林多喜二の拷問最期を伝える書簡 小樽文学館が公開
「蟹工船」などで知られる秋田県出身のプロレタリア文学作家、小林多喜二(1903~33年)が特高警察の拷問を受けて死にひんした様子を伝える書簡が発見され、北海道小樽市の市立小樽文学館で公開が始まった。期間は決まっていない。
文学館によると、書簡は東京の築地警察署に収容されていた生物学者の石井友幸が、小説家の江口渙に昭和37~42年に送った原稿用紙5枚とはがき1枚。栃木県那須烏山市にある江口の旧宅で遺品整理中の研究者らが発見し、文学館に寄贈したという。
石井は多喜二の隣の房にいたと明かし、拷問を受けた多喜二が「口もきくことができないほどに危篤状態になつていた」「苦しさでたゞうなつているだけで、ひとことも口をきかなかつたように思います」とつづった。
多喜二の最期については「容体がおかしいことがわかると(中略)警察医が来て、しばらくのあいだ人工呼吸をしていましたが、そのあいだに恐らく息をひきとつたのでしよう」と記述している。
文学館の玉川薫館長は「2月20日は多喜二の命日。死亡直前の様子を具体的に伝える貴重な証言をより多くの人に見てほしい」と話している。
(.産経新聞2015.2.23)
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コメント
小林多喜二を拷問した取調官は誰なのか、戦後、それを追及しようとした複数の人間がいたが・・・
そんな小説を書いてみたいと思ったことがある。
ところが、当時の資料があまりにも乏しくて、実際に着手しようとして、匙を投げてしまった。
そんな物書きの話を書く以外にない、のだが・・(´;ω;`)ウウ・・・
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2015年3月11日 (水) 20時00分