小説と評論「カプリチオ」(東京)
本号は、「はたして『檸檬』は――爆発したか? それぞれの梶井基次郎」という特集があって、同人がその評論を発表している。現代人に梶井作品がどう読まれているかがわかって面白い。
【「葛につかまって」荻 悦子】
詩人として「るなありあ」誌を発行して、詩はわかったり、わからなかったりするが、小説を読むのは初めて。奈緒という家庭の主婦は、年頃の娘がいて、夫は出版社の役員で忙しそう。奈緒が文章投稿の採用が縁で、乃木坂に行き占い師に合うところから話がはじまる。
奈緒の趣味や好みの話が出て、それが「問題なのか」と思うと、そのことに気持ちが動いたということらしく、問題の所在は横滑りをしていく。娘が海外留学を希望している話がでる。夫は賛成のようだが、夫の仕事でしばらく米国滞在の経験がある奈緒には、積極的に賛成する気分でない。それらの成り行きが、心を揺らす要因のひとつで――感じることを中心に奈緒の感覚の好みの横風に流して語られる。そのように意識の流れることが、主婦の存在感となって示される。夢見る女性の微妙な心理が伝わってくる。この風変りで独特の表現法でないと語れない気分と主張があることを納得させられる。
あっと驚くような新しいものに出会いたい、としながら「それから、どこへ向かおうか。辿り着けない峰を仰ぐのに似ている。心の中に葛を生やして、しかとは見えない想像の木の枝に絡め、それにつかまって、頼りなく揺れているようだ。」とあるが、こういう精神は、奈緒だけのものでないことが、たしかに見えてくる。
【「星のふもと」夏 余次郎】
妻を交通事故で失った男が、喪失感と憂愁の思いに心をふさがれ、バーやクラブなど街角をさまよう様子が描かれる。落ち着きのある文体に魅かれて読みすすむと、クラブのホステスらしき女性、バーの老人など、みな愛する人を失った悲しみをもっていることがわかる。優雅で重くならない表現力で、しだいに愛するひとを失った喪失感というものをあらためて身にしみるような気がして、余韻に満ちた読後感がある。
【「漆黒のホールの奥にあるもの」門倉 実】
抽象的に見えながら、比喩のどれもが地に足のついた独特の感覚で、現代という時代をリアル感覚に転換いるようで、なるほどと共感し感銘を受けた。
【「秋」斎藤勲】
これは、何月何日に何があって何をしたという生活日誌だが、どういうわけか、じつに面白い。出来ごとの選択の仕方が品性を感じさせる。
発行所=〒156-0044世田谷区赤堤1‐17‐15、「二都文学の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎
| 固定リンク
コメント