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2015年1月 9日 (金)

書くモチベーションとしての場

 穂高氏からは、日ごろから、題材がなかったら、穂高健一ワールドをリンクしたら、そんなに的外れでないと思うよ、と言われていたが、たしかに趣味の教室の講師に新年会があるとは、気が付かなかった。文章教室でも小説部門とエッセイ部門と別れているらしい。どれも書くモチベーションとしての場で、習って覚えるものではないようだ。それが見えるのが穂高ジャーナリズムである。
 自分も「グループ桂」に書いてきたのは、伊藤桂一師にのみ読んでもらうためにであった。そのために商業娯楽雑誌向けのものも発表してきた。同人仲間からは、なぜこんなものを書くのか、と今でも評価は低い。それでも気にならない。自分が17歳の頃に指導を受けた作家の先生には、読まれなくても書きたいというものと、読まれないと意味がばいものと、明確に区別して書くことを指導された。いまでもその考え方の影響から脱するつもりはない。暮らしのノートの「文芸と思想」で西村賢太氏を書いているが、これは読まれなくても、書いて置くであろう研究資料である。ただ、すべてを書くつもりはない。本質の部分はノートに残して置こうと思う。ここで「素材」とあるのは、書く対象としての自分でである。

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