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2015年1月11日 (日)

西村賢太「夢魔去りぬ」における素材と純文学作品化の時間

 西村賢太の最新作「夢魔の去りぬ」(「新潮」2014年11月号)について《暮らしのノート「文芸と思想」》に書いているが、この出来事は、2011年のテレビ番組出演にしたことが契機になっている。それが私小説の文学作品として発表されるまでに約2年の時間がかかったことになる。ただの出来事報告なら、こんなに時間がかかるはずはない。作品は、熟成しており、小説の素材としての自分が、内面の動きと社会的存在の意味について熟慮し、文学的な趣向としての夢魔のイメージへ結びつける。形式が美しく整っている。特に、私小説の「私」は、素材として未来のことはないし、過去ばかりである。それをただの思い出話にならないよう、のっぴきならない時間のなかの存在として描く必要がある。そこに作文と小説のちがいが出るのではないだろうか。

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