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2015年1月31日 (土)

同人誌季評<小説>10月―12月「毎日新聞」(14/12・21付)古閑章氏

入り組んだ関係の重圧/「母と娘」
≪対象作品≫
「遺言」杉山武子(「火の鳥」第24号)/大原裕・深田俊祐・八谷武子の短篇。鈴木比嵯子「ミッシング」・ミツコ田部「もう芥川賞はいらない(ガランス」第22号)/「花ちゃんの赤い弁当」佐藤文夫/「風は知らない」吉松勝郎(「火山地帯」第179号)/森田高志「はーとふー」(「九州文学」第27号)/「アヒルと防衛(適応)機制と」てらしせいたろう(「詩と真実」第785号)/山村律「お爺捨て山」(「周炎」第54号)/誌名のみ「南風」第36号/「海峡派」第131号/「文芸山口」第317号/「らくだ」第148号/「詩と真実」第784号/「あかね」第99号/「文芸個人史 二十一世紀」。

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2015年1月30日 (金)

同人誌「火の鳥」第24号(鹿児島市)

 はじめてみる本誌だが、女性ばかりの雑誌のようだ。どの作品にも書く喜びが、底流に流れて居て、読んで楽しい気がする。いくつか概要をあげる。
【「桜島を眺めて」本間弘子】
 なんでも50歳を超えて結婚したという主婦が書く。夫の話も出てくるが、溌剌した明るい文体で、面白く読まされて、これはおのろけ話ではないか、と思わされた。この手法は見事。読んでいて、中年青春の黄金の季節的なお話であった。
【「あさきゆめ」「のどかな日々」鷲頭智賀子】
 豊富な人生体験を背景に、老いらくの生活視点から、人間的交流のエピソードを語る。昨日まで元気でいた人が、突然この世から去る。浅き夢のごとき人生の、生きる意味を問いかける。
「遺言」杉山武子】
 本作品は、毎日新聞の「同人誌季評」<小説>10月‐12月(古閑章・鹿児島純心女子大教授・日本近代文学)に丁寧な評があるので、そこから引用する。
――杉山武子「遺言」(「火の鳥」第24号は、遠く離れて暮らす母親の、心に秘めた思いに衝撃を受ける(佐知子)の姿を描く。後添いとして舅や姑に献身的に仕え、夫から愛されているという意識だけを頼りに生きてきた老母の繰り言は、前妻の赤子(異母兄)を姑に取られ、自分では何もできなかったかつての家族制度の理不尽さを目の当たりに照らしだす。
 佐知子と異母兄との間には何のわだかまりもないだけに、実母となさぬ仲の異母兄、今は亡い姑との入り組んだ関係が改めて読み手の心にのしかかる。佐知子の立場からすると、離れとはいえ、一緒に暮らしてくれている異母兄夫婦に負い目がある分、愛娘に甘え、泣き言を並べる老母をむげに突き放させない立場がなおさら辛い。
 作品末尾で、母娘は、老後は島原に別荘を建て、夫婦なかよく暮らそうと計画していた思い出の場所を訪ねて行く。詐欺まがいの不動産業者による別荘計画だったゆえに、土地自体は存在するものの、そこには目も当てられぬ原野に変貌していた。母親は佐知子と別れ際に「自分が死んだら有明海に散骨してくれんね」と、遺言する。夫は先妻とすでにあの世で暮らしているから、自分は死んでからも後妻ではいたくないと訴えたのだ。「ああ、なんてむごい」考えかと佐知子は愕然とする。
 少し呆け始めた老母に向き合う娘の忍耐強さに頭が下がる。短編としての構成もしっかりしており、短くとも中味が詰まった作品だ。ただひとつ、作品末尾に書きこまれた「しっかり歩け」という一文が気になった。これが、梶井基次郎の「冬の蠅」を経由して梅崎春生の「幻化」に継承される「しっかり歩け」を踏まえていることは紛れもない。作者が近代文学研究者研究者という側面を考慮すればなおさらのこと。もし杉山がそのことを意識していなかったとしても、答えはやはり同じで、二番煎じの感は否めない。――
 紹介評については、これ以上のものは望めないであろう。秀作である。ここでの「しっかり歩け」については、作者の口癖のようなもので、あろうか、事情を知らない。
 手際のよいと筋の運びと文章の巧さ。だが、設定は複雑な事実に沿ったとしても、重い雰囲気で深刻ぶらない意図が感じられ、私小説的なものには読めなかった。工夫を凝らして、意識的に軽みをつけたような気がする。
発行所=鹿児島市新栄町19-16-703、上村方。火の鳥社。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2015年1月29日 (木)

読者は前知識で本選ぶ

 私小説作家・西村賢太の記事が雑誌「季刊文科」と東京新聞に掲載されていたので、それを紹介情報にするつもりでいたが、引用が長くなるので「暮らしのノート・文芸と思想」に書いた。5回の連載になった。私小説というのは、作家の人生に前知識があるから、興味がわいて読む気になる。また、村上春樹が前人気があるのも、どういうものか、それなりに何が書かれているか予想できるからであろう。パターンやスタイルが読者に予想できるのである。
 同人誌の作家には、私小説が多いが、作者に関しての情報が少ない。とくにプライバシーを守ると、そうなる。その辺の事情を意識して書いてみた。西村賢太自選作品集を読んだが、その巧みな文章表現力に感心した。同時に現実にあったことに対する観察とそれを操作することで、文芸の肝を抑えているのだなと思った。

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2015年1月28日 (水)

カルチャー誌「リバティーンズ」創刊へ太田出版

 太田出版は5月10日、カルチャー誌「リバティーンズ」を創刊する。本、映画、音楽、店舗、IT情報、人物など-ビジネスマンの間で話題になっている“旬の社会現象”を毎号四〇㌻の特集やロングインタビューで多角的な視点から網羅的・総合的に紹介する。書籍コードで奇数月10日に定期刊行する雑誌感覚の書籍。
 今回の創刊には、菅付事務所の菅付雅信社長と博報堂ケトルの嶋浩一郎クリエイティブディレクターを共同編集長に招聘し、太田出版と編集チームを結成した。固定費削減のため編集室をもたず、外部二人の共同編集長で臨む態勢は、日本で初めてとみられる。  菅付氏は「コンポジット」「インビテーション」「エココロ」の編集長を歴任し、本やレコードジャケットなど同氏が手がけてきた作品集『編集天国』(ピエ・ブックス)も刊行されている。嶋氏は博報堂が発行する雑誌「広告」の編集長を務め、後に「本屋大賞」も立ち上げた一人としても知られている。
 創刊号の特集は「ツイッター 最終案内」。2号目以降は「カルチャーは店舗から生まれる」「アジアがファッションの中心になりました」などを予定。知的好奇心が旺盛な25~35歳を読者層に、書店店頭でバックナンバーの長期販売も視野に入れて特集主義のラインアップを構築していく。創刊号の発行部数は1万5000部。本体900円。(新文化)

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2015年1月26日 (月)

2月「動機」はどこにでもある 早稲田大学教授・石原千秋

 小林秀雄の出世作「様々なる意匠」の執筆動機が〈借金を返すために懸賞金がほしかったから〉だったことは、近代文学史上の常識である。だからといって、この評論の文学的価値は1ミリとて下がりはしない。実生活上の「動機」だろうと文学上の「動機」だろうと、「動機」などどうでもいいことだ。「動機」だの「体験」だのを持ち出した選考委員は、「動機」は何かとか「経験」はあるのかとか聞いてまわるのだろうか。この選考委員は「否定」した理由をきちんと選評に書いてもらいたい。楽しみに待っている。
<産経・文芸時評2月号 「動機」はどこにでもある 早稲田大学教授・石原千秋> その小林秀雄が満洲で行った講演が「発見」されて、西田勝の懇切な解説とともに「すばる」に掲載されている。「歴史に就いて」という講演では、「歴史といふものは決して二度と繰り返すことがない」と言い切り、この自分の講演の「一回性」を「論理的に証明」するためには「僕といふ人間といふ厄介なものを先づ物質と見做す必要がある」と述べている。量子論に関心を持った小林秀雄らしい発想である。

 東浩紀へのインタビュー「批評を持続させるために」(同)は、自作解説か自己弁護を傲慢に語ったような趣で読後感はよくないが、終わり近くの「今の学者たちは、この国では文学や哲学や思想や、いや芸術でさえ、地味な布教からはじめないとそもそも存在し得ない、という残酷な条件がわかっていません」という発言には深く共感する。

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2015年1月25日 (日)

鼎談「新 同人雑誌評」「三田文學」第120号・冬季号・15.02.01発行

「三田文學」第94巻 第120号・冬季号・2015.02.01発行
鼎談「新 同人雑誌評」伊藤氏貴氏・水牛健太郎氏・浅野麗氏
《今号で取り上げられた作品》
小倉哲哉「海の終わりに」(「ignea」5号、大阪府三島郡)/塚田源秀「夏中さん」(「せる」96号、大阪府東大阪市)/みずきいりひ「時の器」(「青の時代」40号、北海道函館市)/田原玲子「千代ちゃん」(「私人」82号、東京都新宿区)/蒔田あお「遠望」(「流浪」1号、滋賀県大津市)/谷山淳彦「民族の祭典」(「たまゆら」96号、滋賀県東近江市)/佐々木信子「棚田」(「九州文学」27号、福岡県中間市)/大城定「おかわり」(「澪」4号、横浜市旭区)/崎浜慎「灰色の高い塔」(「四の五の」1号、沖縄県那覇市)/高橋駘「遡上」(「札幌文学」81号、札幌市手稲区)/森岡久元「寒波」(「姫路文学」128号、兵庫県姫路市)/藤澤美子「ヒューイ、デューイ、ルーイの墓」(「創」8号、名古屋市緑区)/奥田寿子「髪を切る」(「あるかいど」53号、大阪市阿倍野区)
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2015年1月24日 (土)

文芸的であることと日常生活記録との違い

 桂城和子氏の作品は、平凡な日常生活のなかの異常性というか、作者が非日常性を作り上げることによって、成立していることが多い。多彩な生活様式から、それを選び取る感性がある。記憶ちがいでなければ、かつて「北日本文学賞」を受賞した実績をもつ。その、なかなかだなと思わせる文章が「待つ女」という作品にも出ている。結局は、それが文学的文章表現力で、<「グループ桂」のひろば>に引用しているような、「三田文学」119号の「同人誌評」の対象になったのだと思う。わかりにくい微妙なところを描けるのである。
 この同人誌には、北一郎「はこべの季節」が掲載されているが、これは過去の一時代の若者の社会人生活を描いたもので、鋭い感性による文章に縁遠いもので、ほとんど文芸的な価値を感じさせない。表現も19世紀的である。これはそれだけのことで、平俗的で、感性によらないから、誰にでも理解できる。ある時代の形を標準サンプル的に描いたという記述として自分ならではのものと本人は自己満足している。歴史的に過ぎるのではあるが。
 文芸性のものについては、日常性のなかで、感性をもって描く文芸的な文章を書くことができるのは才能である。ただ、それを安定的に実行することは難しい。時代環境に合わせる必要性から、当たりはずれがある。それが弱点といえば弱点であろう。

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2015年1月23日 (金)

「三田文学」同人誌評の桂城和子作品の読まれ方

 遅くなりましたが、「三田文学」同人誌評の119号での「グループ桂」70号発表の桂城和子「待つ人」の評の概要を「グループ桂」のひろば」に掲載しています。長いので上下2回にします。
 この次の「三田文学」冬季号には、桂城和子氏の「遡上する街」が掲載されています。できれば、桂城氏が同人誌向けと伝統のある文芸雑誌と、どう書き分けて分けているかの比較や、文学として評論される作品にはどういう傾向があるか、感じたことを述べていきたい気もします。「待つ人」の主要人物は藤子で、前作にも登場しており、奇矯な行動と、マニアックな偏執性格が巧く印象的に表現されていることでは、認められていました。同人仲間からは「藤子」ものとして馴染みの人物です。
 また、「グループ桂」70号の読みどころは伊藤桂一氏の巻頭詩「蛞蝓」(なめくじ)もあります。

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2015年1月22日 (木)

1月の町田文芸交流会は外狩・小野・伊藤の輪談になる

 1月19日に町田公民館での文芸交流会に出席した。朝から頭痛がひどかったが、引きこもりになっても仕方がないので、頓服を飲んで出かけた。胸がむかつくので水をのんで、胃壁を洗うように仕向ける。
 会合は、体調がすぐれない人がでているようで、外狩氏と小野友貴枝氏との談話が主であった。たまたま外狩雅巳氏が「相模文芸」29号にエッセイ「世間に負けた」を発表しているので、その感想を話し合った。一読して、過去の職業遍歴のある職場体験を、思いつくままを書き置いたメモノートを文章化したもの。
 思い浮かぶイメージを文章化するのには、いわゆる「意識の流れ」を書きとめる手法があるが、それにはそれなりの文体が必要である。本作はまるでプロレタリア詩のように、書いている間に頭に浮かんだ出来ごとを、平俗文体で説明なしで、いきなり持ち出す。
 トルコに行く準備で多忙のせいもあるであろうが、作者の創作の方向の迷いがそのまま出た未完成作品であるという印象を述べた。過去の体験を書く手法は叙事詩と同じで、行替えがない散文なのである。行替えがあれば、この関係なさそうな文節と文節の間に何があるのだろうと、読者は時間をかけて考える。想像力を働かせてもらう機能がある。
 しかし、小説では本筋でなくても、説明をしないと次のところに話題が持っていけない面倒な作業がある。書いている方は退屈で面倒な作業でも、読者のために説明しなければならない。いわゆる「橋」をかける作業である。自分が今、書きたところを書いているのか、「橋」を書いているのかを意識することで、読者を考えていない小説の手抜きパターンを避けることができる、というような話をした。
 小野さんとは、高倉健のイメージに対する評の話から、寅さんの映画「男がつらいよ」にかつて北一郎が評論で、寅さんを批判していることに話題が移った。
 べつに批判しているわけでなく、寅さんだけが、親戚に迷惑をかけていいのか。自分の身内に寅さんが実在したら不愉快になって、笑えない話が基本になっているという説明をした。人間の自由というのは、自分の行為というのを、すべての人がやっても問題がないという範囲でしか認められないーーという哲学的定説の話になった。寅さんは真面目な人がやろうとしてできないことをやって認められている、甘えを懐かしむ人の心に食い込んだものであるという見方を話した。
関連情報<参照:外狩雅巳のひろば》 

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2015年1月21日 (水)

穂高健一氏が「幕末歴史小説を語る」鎌倉図書館講演会2/1

1月20日に同人誌「グループ桂」71号の合評会があり、関係者の動向が話題になった。一つは、伊藤桂一氏門下生である穂高健一氏が、2月1日鎌倉図書館で「幕末歴史小説を語る」の講演があること。それから、三田文学の前号の同人雑誌評で、桂城和子「待つ女」が論評対象になったこと。それから「三田文学」の120号最新「冬季」号に小説「遡上する町」が掲載されたこと。以前も掲載されていたが、桂城和子名義は初めてだそうである。
 伊藤桂一氏の最新動向として、神戸に転居したあとのインタビュー記事が四日市市の「水車」5号に掲載されているので、それを私がネットでそれぞれアピールする成り行きになった。当方も神経痛が頭痛にきたり、関節にきたりで、落ち着いて作業ができない。痛みの軽症なときを見てブログをアップしてゆくつもり。

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2015年1月18日 (日)

小説と評論「カプリチオ」(東京)

 本号は、「はたして『檸檬』は――爆発したか? それぞれの梶井基次郎」という特集があって、同人がその評論を発表している。現代人に梶井作品がどう読まれているかがわかって面白い。
【「葛につかまって」荻 悦子】
 詩人として「るなありあ」誌を発行して、詩はわかったり、わからなかったりするが、小説を読むのは初めて。奈緒という家庭の主婦は、年頃の娘がいて、夫は出版社の役員で忙しそう。奈緒が文章投稿の採用が縁で、乃木坂に行き占い師に合うところから話がはじまる。
 奈緒の趣味や好みの話が出て、それが「問題なのか」と思うと、そのことに気持ちが動いたということらしく、問題の所在は横滑りをしていく。娘が海外留学を希望している話がでる。夫は賛成のようだが、夫の仕事でしばらく米国滞在の経験がある奈緒には、積極的に賛成する気分でない。それらの成り行きが、心を揺らす要因のひとつで――感じることを中心に奈緒の感覚の好みの横風に流して語られる。そのように意識の流れることが、主婦の存在感となって示される。夢見る女性の微妙な心理が伝わってくる。この風変りで独特の表現法でないと語れない気分と主張があることを納得させられる。
 あっと驚くような新しいものに出会いたい、としながら「それから、どこへ向かおうか。辿り着けない峰を仰ぐのに似ている。心の中に葛を生やして、しかとは見えない想像の木の枝に絡め、それにつかまって、頼りなく揺れているようだ。」とあるが、こういう精神は、奈緒だけのものでないことが、たしかに見えてくる。
【「星のふもと」夏 余次郎】
 妻を交通事故で失った男が、喪失感と憂愁の思いに心をふさがれ、バーやクラブなど街角をさまよう様子が描かれる。落ち着きのある文体に魅かれて読みすすむと、クラブのホステスらしき女性、バーの老人など、みな愛する人を失った悲しみをもっていることがわかる。優雅で重くならない表現力で、しだいに愛するひとを失った喪失感というものをあらためて身にしみるような気がして、余韻に満ちた読後感がある。
【「漆黒のホールの奥にあるもの」門倉 実】
 抽象的に見えながら、比喩のどれもが地に足のついた独特の感覚で、現代という時代をリアル感覚に転換いるようで、なるほどと共感し感銘を受けた。
【「秋」斎藤勲】
 これは、何月何日に何があって何をしたという生活日誌だが、どういうわけか、じつに面白い。出来ごとの選択の仕方が品性を感じさせる。
発行所=〒156-0044世田谷区赤堤1‐17‐15、「二都文学の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2015年1月17日 (土)

「文芸多摩」と「民主文学会」の関係を知る為に=外狩雅巳

 日本民主主義文学会は戦後文学の潮流を受け継ぐ文学組織です。
 敗戦直後に宮本百合子の「歌声よ起これ」の呼びかけが起源です。それを受けて結成されたのが全国組織「新日本文学会」です。
 同時期に始まる「近代文学」との二つが現代文学の源流です。
 民主主義文学会は解散した新日本文学会の主旨を受け継いだと称しています。
 全国各府県には支部があり、東京・大阪などは多数の支部が存在します。
 町田支部はサークル誌「文芸多摩」を毎年発行し今年で七号になります。
 月例会を持ち結束の為の通信紙「文芸多摩通信」も10号まで発行しています。
 昨秋には、町田文芸交流会に出席して来ました。2014年12月には第七号を完成させました。
 巻頭の「七年目の帰京」は大川口支部長の青春回想小説です。
 51年春に福島・阿武隈での戦時疎開から東京に戻る時期を切り取っています。
 戦後民主主義の揺籃期の高校三年生が見た物や感じた事が中心です。
 演劇部での反戦劇製作の経験や厳しい山仕事などでの成長記録です。
 ひたすらで前向きな青年の心情とともに時代も良く描かれています。
 読者に民主主義文学会を知らせる良い作品になっています。
 「文芸多摩通信」9号の八嶋直武「里かぐらと秋風」も力作です。
 小説評論の中で「普遍」と「典型」を判り易く解説しています。
 民主主義文学会では平和と民主主義擁護を発展させそしてプロレタリア文学運動の成果を受け継ぎ発展させると唱っています。
 その現状は各地の支部誌や活動に出会う事で理解できるでしょう。
 90頁の「文芸多摩」第七号を読むと実社会と向き合う作品が多く掲載されています。
 エッセイの作中には(悪の根源は絶対主義天皇制)などのベタな表現もあります。
 多様な国民感情中には不同意もあり社会性のある文芸作品の完成度が問われます。
 そのためにも多くの文芸愛好家との交流・討議を行う必要性を感じています。
 民主主義文学会内部の行動から進んで交流会に参加した事を評価しています。
 労働運動などの社会活動経験者がこうした文学での発言は貴重でしょう。
 一般の文芸同人会との対話交流を続け相互理解が深まる事を強く望みます。
<参照:外狩雅巳のひろば》 

 

 

 

 

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2015年1月16日 (金)

同人誌「奏」2014冬号(静岡市)

【「川崎長太郎の文学“私小説家”の誕生まで」勝呂奏】
 川崎長太郎という作家の小説を読んだことがない。ただ、文壇情報のなかに、掘立小屋に住んでいて、私小説を書いている、というようなことを読んだ記憶がある。そのもとが伊藤整の私小説作家論として、この評論で記している。
伊藤整の「逃亡奴隷と仮面紳士」(昭和23年8月『新文学』)において、「<逃亡奴隷>と呼ぶ作家をその代表格として太宰治と並べて川崎を<現代の典型>とする。」その紹介は次のようで――魚屋の2番目息子が、文学に凝って天秤棒をかつぐ奴隷から逃げ出し、女たちを恐れて、2畳間の小屋に暮らしている。実に典型的な逃亡奴隷だ。(略)現世を極端に恐れて「方丈記」の作者然と小田原の海岸に構えこむ――。
 実際は、川崎は長男だそうだ。それはともかく、川崎長太郎が社会主義思想のプロレタリアの視点と、アナーキースト思想の反ブルジョワ的文学作品や評論を書いて過ごしたという事情が詳しく記されており、私小説作家になったのは、晩年に近い頃であると知って驚いた。
 これは個人的な考えだが、社会主義思想に影響されても、個人として芸術表現を追求する場合、アナーキーになるのは必然で、あくまで政治体制への変革を志向するなら、筆を折るしかない。政治闘争には欺瞞とアジテーションが必須だからだ。そこでの芸術の存在する場所はないとは言えない。しかし狭い。
 評論で私小説作家「葛西善蔵の芸術を否定す」というのを書いているという。おそらく民衆を困窮者へ追い込む社会体制への意識が欠けるという論拠であろう。いまでも同様の論調は存在する。
 その経緯が綿密に調査され、そんなに資料があったのかと、勉強になった。川崎が徳田秋声と宇野浩二に認められ、ついには「既に社会を否定する為にそれを破壊する為に生きる意志も、さらにプロレタリアート為に生きようなど」とするのは、身の程知らず。主義の洗礼当時に抱いた夢を失い、ひとり山頂に居て、下界をみるような否定も肯定しない文学の道を志すまでを立証している。これは徳田秋声の晩年の世間の観察者として自己感情を抑制した作風に似るであろうことを想像させる。
 発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2015年1月15日 (木)

私小説の面白さについて

 私小説の面白さの追求について、長々とここに書いていたら、パソコンが突然切り替わり、全文が消えてしまった。また書くのは面倒。とにかく、≪暮らしのノートITO:文芸と思想》に西村賢太について書いています。同人雑誌の私小説というか生活日誌とどうちがうのかという疑問で書いています。

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2015年1月14日 (水)

著者メッセージ: 井上真偽さん 『恋と禁忌の述語論理』

 初めまして、井上真偽(まぎ)と申します。
 このたびは「数理論理学」というエンタメには鬼門のような題材の作品でデビューさせて頂きました。メフィスト賞の懐の広さに大変感謝しています。
 と同時に、こんな本文中で堂々と数式を展開する小説が世間にどう受け止められるのか、早くも不安でいっぱいです。
 ただ、ミステリ好きなら誰しも一度は「論理学」という言葉に魅かれたことがあるかと思います。
 そして試みに論理学の参考書を手に取り、「あ、コレ何か違う」と即座に棚に戻された方も多いでしょう。そういった方は是非とも本作にお目通しください。「数理論理学を実際に推理に使う方法」が盛り込まれています。
 また本作では、数式が苦手な方にも物語を楽しんでもらえるよう目一杯工夫を凝らしました。文理を問わず多くの方に読んで頂ければ嬉しいです。
 単に独身アラサー美人目当てでも構いません。本作を通じて少しでも数理論理学の持つ深みや驚き、あるいは年上女性から物を教わる悦び/年下男子を翻弄する愉しみを感じて頂けたら、幸甚です! (井上真偽)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2015年1月1日号より」)


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2015年1月13日 (火)

詩誌「詩と思想」新年会は詩人で充満。

 「詩と思想」の新年会と新人賞贈呈式に出席してきた。以前は、作家で詩人の伊藤桂一氏が顔をみせるので、顔合わせの場という過去の思いがあった。ちょっと寂しい思いで、出席したが、会そのものは詩人で充満していた。《参照:文芸と思想
 また、挨拶に立つ詩人の言葉も、言論の自由が失われることの危機感を抱く意見で一致して、安心して耳を傾けてしまう。知名度がなくても見識は本物なのだ。しかし、実際のテレビ番組などのコメンテーターやニュースの流れは、肝心の情報を知らしめないために、無駄な情報をさも重要事のように扱って、お互いにコピーしたような内容で時間をつぶす。とても安心して眺めていられない。見識をもった人であっても知名度がないとコメントを取り上げないという、のがメディアの定番ならば、その裏をかく戦術もあるような気がする。

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2015年1月12日 (月)

文芸同人誌評「週刊読書人」(15年01月02日」白川正芳氏

水木亮「ブナのささやき」(「農民文学」307号)、棚橋鏡代「活力とは」(「北斗」12月号)
折口真「終の棲家」(「穀雨」115号)、伊達まさ「フレッシュ・スタート」(「文宴」122号)、堀江朋子「修験道の山」(「文芸復興」29号)、小畠千佳「噴く」(「あるかいど」54号)、稲垣真藻「私的評伝 幕閣の稲垣氏」(「個性」40号)
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2015年1月11日 (日)

西村賢太「夢魔去りぬ」における素材と純文学作品化の時間

 西村賢太の最新作「夢魔の去りぬ」(「新潮」2014年11月号)について《暮らしのノート「文芸と思想」》に書いているが、この出来事は、2011年のテレビ番組出演にしたことが契機になっている。それが私小説の文学作品として発表されるまでに約2年の時間がかかったことになる。ただの出来事報告なら、こんなに時間がかかるはずはない。作品は、熟成しており、小説の素材としての自分が、内面の動きと社会的存在の意味について熟慮し、文学的な趣向としての夢魔のイメージへ結びつける。形式が美しく整っている。特に、私小説の「私」は、素材として未来のことはないし、過去ばかりである。それをただの思い出話にならないよう、のっぴきならない時間のなかの存在として描く必要がある。そこに作文と小説のちがいが出るのではないだろうか。

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2015年1月10日 (土)

東浩紀「ゲンロンカフェ」繁盛記(東京新聞1/7夕刊)

ゲンロンカフェは、五反田駅から目黒川のおおさき橋を渡って、みずほ銀行の向かい側の雑居ビルのなかにある。1月7日の『東京新聞』夕刊文化面の「知でつながる」で、ゲンロンカフェについてカラー写真入りのイベントレポートと東浩紀へのインタビューが掲載されている。
「新聞やテレビで十万人、百万人を相手にしようとすると、既に読者や視聴者が考えていることしか言えないんです。新しいこと、挑発するようなことははじかれてしまう。教科書的な話だけでなく、社会の常識から離れた刺激的な話もきっちりできる場所を作りたかった」
「言論への弾圧は、自主規制として現れる。メディアだって同じです。もしそうなったときに、好き勝手なことを言える場を作っておくというのは非常に大切。それが僕にできる最大限の抵抗だと思っています」(インタビューより抜粋)
 私が最初に「ゲンロンカフェ」に行ったのは、2013年。あまり東浩紀氏とゲンロンカフェのつながりを意識していなくて、友人から「文学とコミックの関係」(暮らしのノート・文学と漫画)ことを知ることができるというので行ったものだ。そのときは、オタクに関心のある若者で、参加者も少なかった。そんなに繁盛するとは予想していなかったものだ。
 その後、たまたまその方面に行ったときに寄ったが、時間が早くて開いていない。どうなっているのだろうと、ドアを開けたら、イベントの打ち合わせをしている東氏と顔を合わせた。その後「福島第一原発観光化地化計画」で話を聞きにいった。新聞記事にもあるが、講壇と聴衆の距離が近くて、面白い話がでる。
  遅くまで話が続くので、帰りの電車の時間を考えながら行ってみるのもおすすめだ。会員制度で、1800人というのが公称らしい。非会員は1回3000円だった。

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2015年1月 9日 (金)

書くモチベーションとしての場

 穂高氏からは、日ごろから、題材がなかったら、穂高健一ワールドをリンクしたら、そんなに的外れでないと思うよ、と言われていたが、たしかに趣味の教室の講師に新年会があるとは、気が付かなかった。文章教室でも小説部門とエッセイ部門と別れているらしい。どれも書くモチベーションとしての場で、習って覚えるものではないようだ。それが見えるのが穂高ジャーナリズムである。
 自分も「グループ桂」に書いてきたのは、伊藤桂一師にのみ読んでもらうためにであった。そのために商業娯楽雑誌向けのものも発表してきた。同人仲間からは、なぜこんなものを書くのか、と今でも評価は低い。それでも気にならない。自分が17歳の頃に指導を受けた作家の先生には、読まれなくても書きたいというものと、読まれないと意味がばいものと、明確に区別して書くことを指導された。いまでもその考え方の影響から脱するつもりはない。暮らしのノートの「文芸と思想」で西村賢太氏を書いているが、これは読まれなくても、書いて置くであろう研究資料である。ただ、すべてを書くつもりはない。本質の部分はノートに残して置こうと思う。ここで「素材」とあるのは、書く対象としての自分でである。

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2015年1月 8日 (木)

著者メッセージ: 原田マハさん 『あなたは、誰かの大切な人』

  原田マハです。このたび、短編集「あなたは、誰かの大切な人」を出版しました。連作短編ではありませんが、それぞれの物語をゆるやかにつないでいるのは、「家族愛」と「旅」と「アート」です。各編に、家族を巡るエピソードや、旅先でのスケッチ、アートワーク、そのいずれかが登場しています。
  私は旅が好きで、作家になる以前から、しょっちゅう国内外を旅してきました。いまも月のほぼ半分は旅先にいます。なぜそんなに旅ばかりしているかというと、単純に「移動する」という行為が好きなのと、旅先でみつけるさまざまなできごとを小説に生かしているから。たとえば、新連載のために しっかりと取材をしに出かけることもありますが、たいていの場合、なんとなく出かけて、思いがけず面白い出来事に遭遇したりみつけたりすることが多いのです。電車で隣に座った女子高生の会話、車窓の風景、地元のおいしいもの――取るに足りないささやかなこと、だからこそ小説に活かしたい数々を。 
  今回も、旅先で得たエピソードや、訪れた場所で目にしたアートワークを短編に添えました。そしていつも私の帰りを待っていてくれる家族への思いも込めて。読者の皆様方に、受け取っていただけますように。(原田マハ)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2015年1月1日号より」)

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2015年1月 7日 (水)

文芸同人誌「弦」第96号(名古屋市)

【「大学にて(5)翠雨」喜村淑彦】
 毎回、大学内の運営や教授世界の動向を連載している。自分は経済分野出の文学趣味なので、社会構造に関するものに興味をそそられる。今回は文学的に独立した短編小説になっている。実父と養父のいる複雑な家庭背景と、その時代その時代の文化的雰囲気を手順良く描き、亡き実父に愛人がいたことを後で知るまで、意識を逸らすことなく、読み進む。作者はその愛人が存命であることを妹から知らされて、面会の手引きを依頼し、実現する。血族関係者の描き方を含めて、整然としたなかに、内に込めた情念を冷静に淡々と表現する文章は、幾何的な美と表現力を発揮。原稿30枚とは思えぬ重厚さで、ひとつの文学的成果を感じさせる。
【「たそがれ団地」長沼宏之】
 かつては若い家族が多く住んだ団地も、高齢化とともに空室が増える。そこで引きこもりをしていた23歳のおれも夜は団地を歩いて見廻りのようなことを自然にはじめる。そこで出会う住民の交流や、母親の死、団地自治への参加など人間模様が描かれる。注目点は「おれ」の一人称語りのなかに、他者からの聞き取り話を、第三人称的にとりまとめる文章表現で、この手法をさらに延長すれば、密度を高く幅がでる可能性をもつように思う。全体に癒しの要素を含んで、わかりやすく、読みやすい。その分、冗長だが、面白くよめる。
【「インナーマザー」木戸順子】
 認知症の母と世話をする立場から娘の視点で描かれた介護生活が素材。いままで、同様の素材の小説を同人誌でいくつ読んできたのか、数えられない。本作は細やかで、良く書けているが、それらに作品のなかでは、普通の印象。ちょっとひねったところが、母親が死んで、異臭を放つ夢を見るエピソード。不思議なことに、親の介護の生活日誌的な作品で、認知症に悩まされながらも、その死をイメージする話はほとんどない。死なないから、終わりが見えず、現在が見えずにただひたすら介護に没頭するのがほとんどである。いずれにしても、どれも人の生きる意味を、問いかけてくる。
発行所=463-0013名古屋市守山区小幡中3-4-27。中村方「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2015年1月 6日 (火)

文芸同人誌「白雲」39号(横浜市)

 本誌は、発行日1月10日の新春号は昨年暮れに届いた。商業誌並にひと月早く発行したのも読者サービスか。
 俳句主体の同人誌に創作等も増えてきた歴史を持つ。主宰者の岡本高司氏は交流や文芸誌化に意欲的な方だ。関東同人誌交流会にも積極的に参加して来た人だ。
 交流会で知り合って以来、毎号律儀に送られてくる。 今号は小説3作と随筆4作に紀行文も一作あり90頁だ。
 本来の俳句・短歌等の倍近くも散文が占めている。
 岡本氏は「草細工」80句を掲載している。流石は主宰者だ。ユーモァと人情が軽やかに詠われていて幾つか立ち止まった。

    ・がぶ飲みの水道水や夏休み
    ・ビール試飲モンローウォークしてみるか
    ・その墓を離れぬ人や秋日傘
    ・この猫はどこへ帰るか草の花
    ・洗濯物ぱんぱんやって文化の日
    ・顔見知るやうな案山子と出会ひけり

 また、巻頭言の「カノジョのいる風景」岩谷征捷にも立ち止まった。元関脇・開降の本名が青木勘乃丞で、それをカノジョと呼ぶ同級生。昭和三十年の秋田での中学生時代を思い出が記された短文である。
発行所=横浜市港南区港南6-12-21・岡本高司・白雲の会。
紹介者=外狩雅巳《外狩雅巳のひろば》(町田文芸交流会事務局)

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2015年1月 5日 (月)

文芸同人誌「あるかいど」第54号(大阪市)

【「噴く」小畠千佳】
 有珠山の噴火を思春期の男女が観にいくが、泊ったラブホテルには、それを見る窓がなかった、という話。しかし、それは世俗的な素材であって、描かれているのは、少年少女の親もとの家族から離れて自律的な生活に入る直前の状況である。いわゆる成長物語、世俗的には主人公が男を知って女になる話である。「ご休憩」と記されたラブホテルを、小学生時代に、大人が疲れているのだと解釈していたなどの表現法があるが、その書き手の位置をさらに延長させれば、もっとテーマそのものが活かせて筆が伸びたかも。短篇として話の運びだけで終えているものの面白く読んだ。動物は親の巣から飛び立つときは、失敗すれば命を失い、親鳥も助けてはくれない。日本人は、親離れして行く子供をそれほど突き放さないという精神構造をもっている。それでも自立するべきはする。そのことと意識的に強く向かい合わせて、構成を考えていたら、ラブホテルの壁の存在が重みを増した可能性を含む。
【書評「ポラード病/吉村萬壱・著」善積健司」】
 書評というのは、たいていはその存在を強調するものなので、まともに読んでも仕方がないのであるが、本作は小説とは何ぞや、文学的表現とは何ぞや、という問題意識が強く出ているので、一種の研究論文に読める。小説「ポラード病」を題材にして、その予定調和形式をとらない発想に、「問いのない答えに向き合うようなわからなさこそ自由であり小説の本分と思われる」という、筆者の実感に現代の純文学の難しい状況を知らしめ、同時に現代文学の方向性を探っている物書きの思索がある。文学的感性がある。だが、そういう探索心から離れたところに、持続性を持つ自らの文学は存在するのではないであろうか。悩みはそれが市場性と一致しにくい。一致したら幸運である。
発行所=〒大阪市阿部区丸山通り2―4-10―203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2015年1月 4日 (日)

メタレベルに立てぬ現実 早稲田大学教授・石原千秋

 高橋弘希「指の骨」(「新潮」11月号)が芥川賞の候補になった。10年に1度の傑作と言ってもいい。あの戦争を知らない若者がこれ程(ほど)までにリアリティーのある「戦争体験」を書けるとは。自分が参加している戦争の全体像も理解できず、リアリティーをも感じられない兵隊が、つまり世界に対してメタレベルに立てない兵隊が(そこに小説としてのリアリティーがある)、いとも簡単に「敵」を撃つ。これは私たち大衆の姿だ。この恐ろしさは、大岡昇平『野火』や『俘虜記』をスノッブな「戦争文学」に見せる。この小説の出現によって、『野火』や『俘虜記』の文学的使命は終わったとさえ思った。
 これは、戦争を「偶然」自分の身に降りかかった不幸だとしか感じられないことを意味する。佐々木敦・渡部直己「脱構築vs複雑系-今日のフィクションを読む」(新潮)の対談で語られていることに通じる。
メタレベルに立てぬ現実 早稲田大学教授・石原千秋(産経)〉

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2015年1月 2日 (金)

年賀メッセージ: 伊集院静さん 

 新年おめでとうございます。
 元旦から働きましょう。
 お屠蘇を飲んでる場合じゃないでしょう。
 初夢?
 夢は見るものではなく、実現するものです。
               (伊集院静)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2015年1月1日号より」)

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2015年1月 1日 (木)

賀春☆「第一回文学フリマ金沢」の受付がスタート

  「第一回文学フリマ金沢」の受付がスタートしました。開催までには新幹線も開通し、日程さえあえば、文化都市金沢の観光も可能。また文学合宿などの企画もあるので、出店と文学談義のイベントになるでしょう。《参照:文学フリマ金沢事務局通信

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