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2015年1月16日 (金)

同人誌「奏」2014冬号(静岡市)

【「川崎長太郎の文学“私小説家”の誕生まで」勝呂奏】
 川崎長太郎という作家の小説を読んだことがない。ただ、文壇情報のなかに、掘立小屋に住んでいて、私小説を書いている、というようなことを読んだ記憶がある。そのもとが伊藤整の私小説作家論として、この評論で記している。
伊藤整の「逃亡奴隷と仮面紳士」(昭和23年8月『新文学』)において、「<逃亡奴隷>と呼ぶ作家をその代表格として太宰治と並べて川崎を<現代の典型>とする。」その紹介は次のようで――魚屋の2番目息子が、文学に凝って天秤棒をかつぐ奴隷から逃げ出し、女たちを恐れて、2畳間の小屋に暮らしている。実に典型的な逃亡奴隷だ。(略)現世を極端に恐れて「方丈記」の作者然と小田原の海岸に構えこむ――。
 実際は、川崎は長男だそうだ。それはともかく、川崎長太郎が社会主義思想のプロレタリアの視点と、アナーキースト思想の反ブルジョワ的文学作品や評論を書いて過ごしたという事情が詳しく記されており、私小説作家になったのは、晩年に近い頃であると知って驚いた。
 これは個人的な考えだが、社会主義思想に影響されても、個人として芸術表現を追求する場合、アナーキーになるのは必然で、あくまで政治体制への変革を志向するなら、筆を折るしかない。政治闘争には欺瞞とアジテーションが必須だからだ。そこでの芸術の存在する場所はないとは言えない。しかし狭い。
 評論で私小説作家「葛西善蔵の芸術を否定す」というのを書いているという。おそらく民衆を困窮者へ追い込む社会体制への意識が欠けるという論拠であろう。いまでも同様の論調は存在する。
 その経緯が綿密に調査され、そんなに資料があったのかと、勉強になった。川崎が徳田秋声と宇野浩二に認められ、ついには「既に社会を否定する為にそれを破壊する為に生きる意志も、さらにプロレタリアート為に生きようなど」とするのは、身の程知らず。主義の洗礼当時に抱いた夢を失い、ひとり山頂に居て、下界をみるような否定も肯定しない文学の道を志すまでを立証している。これは徳田秋声の晩年の世間の観察者として自己感情を抑制した作風に似るであろうことを想像させる。
 発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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