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2014年12月 3日 (水)

評論誌「草莽崛起」東京(麻布高校1年有志)

【「『自由』の限界と日本人の基盤」奥田啓皓】
 人間の自由についてのさまざまの受け取り方を調べている。そしてここでは、自由は「勝手きままにすることではなく」そこには責任がつきまとうーーというところに焦点を絞っている。高校生がそれ身近に感じたところから発想し、学園における決まり、規則がなぜ必要かというところに及ぶ。そして行動の規範として「責任ある行動」とは責任を「落としまえ」と言い換えて、「自由とは自分で落としまえのつけられるものごとにしか与えられないのである」と言い換えている。
 哲学的命題を、それなりに生活実感のなかで意味づけをするというのは大人でもなかなかやらないことで、立派である。現代社会は建前の「発言の自由」をよく考えずに勝手に解釈する。面倒だからその意味を考えずに、感情的に他人の勝手な解釈に便乗し、わかっていないのに、わかったふりをする。その尻馬にのって他者に吹聴する傾向がある。
 この筆者は、おそらく社会秩序と自由について考えたのであろう。折角、ここまで生活に沿って、思索を勧めたのであるから、学校の規則づくりのためにもう一歩具体的な、生活規範に当てはめて整理したらどうであろう。
 現代社会の現象として、一部の少数の人が行ううちは見逃されていたものが、それ多数になったために問題になることがある。富士山登山におけるゴミの不法投棄、ヘイトスピーチ、カンニング行為、道路不法占拠。これらについて、その原理をカントやサルトルも、たしか言及していたように思う。「もし、あなたのしていることが、社会的に許されるかどうかの判断のひとつに、他のすべての人が行っても良いというものかどうかにかかっている」と。街に公衆トイレがあるのは、全員が道路で大小便をしたら、その街に住みにくくなるからであろう。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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