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2014年12月31日 (水)

同人雑誌季評「季刊文科」64号=谷村順一氏

 親子について
 《対象作品》塚越淑行「アル中」(「まくた」284号・横浜市)/若草田ひずる「パン2(ツー)の穴」(「じゅん文学」80号・名古屋市)/加島憲「交差点」(同)/寺山よしこ「雷太とその母」「詩と真実」781号・熊本市)/篠原博人「豚のシッポ」(「九州文学」第26号・福岡県)/中村徳昭「ふけ」「真っ赤なセーター」の2作(「30号」8号・東京都)/奥田紀久男「靴」(「文芸シャトル」80・豊明市)/朝岡明美「モウさんの嫁」(「文芸中部」96号・愛知県)。
          ☆ 
 本誌の評論は116頁から121頁まで長文にわたり、上記の選んだ作品らを丁寧に内容を紹介しながらの評。このうち「モウさんの嫁」( 朝岡明美)と「アル中」( 塚越淑行)は、今号に掲載されており、その表現を照合できる。

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2014年12月29日 (月)

西日本文学展望 「西日本新聞」12月23日(火)朝刊・長野秀樹氏

題「主人公は女性」
横山令子さん「流れる」(「海峡派」132号、北九州市)、深水由美子さん「埋み火」(第7期「九州文学」28号、福岡県中間市)
「海峡派」40周年記念号より若窪美恵さん「『海峡派』四十周年を祝して」・有馬多賀子さん「月乃雫梅」、「九州文学」より中村弘行さん「慶応三年パリ・佐賀の風が吹いた」(同作は「第21回九州さが大衆文学賞」佳作)
この1年、メーンで取り上げた作品の掲載誌は以下
 3回:「火山地帯」(鹿児島県鹿屋市)
 2回:「九州文学」(福岡県中間市)、「照葉樹」(福岡市)、「海峡派」(北九州市)、「南風」(福岡市)
 1回が11誌
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年12月28日 (日)

「第一回文学フリマ福岡」開催決定!2015年10月25日(日)天神

 プロ・アマが同じ場所で展示即売をする文芸同人誌即売会「文学フリマ」では、先の金沢市での開催に次いで、福岡市での開催を決めたと発表。2015年10月25日(日)「第一回文学フリマ福岡」開催決定!これは文学フリマ百都市構想の一環として推進するものだという。また、これまで文芸同人誌展示即売会としていたものを、文学作品展示即売会とし、出店参加者としていたものを展示出店者とする方向づけを行っている。
《参照:暮らしのノート記事「文学フリマ百都市構想」を発表=文学作品展示即売会

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2014年12月27日 (土)

文芸時評12月(東京新聞12月25日)沼野充義氏

金原ひとみ「持たざる者」心に分け入る切実さ
阿部和重&伊坂光太郎「キャプテンサンダーボルド」手ごたえ強いエンタメ
≪対象作品≫
金原ひとみ「持たざる者」(すばる)/阿部和重・伊坂光太郎「キャプテンサンダーボルド」(文芸春秋)/絲山秋子「コノドント展」(新潮)/水村美苗「あるフランス人の女中さん」(同)。

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2014年12月25日 (木)

文芸同人誌「季刊遠近」第55号(川崎市)

【「森の奥」難波田節子】
 語り手の麻子が、安岡弥生とその夫と知り合う。弥生は絵描きで、夫は経営コンサルタントをしている。弥生はアーチストらしく絵画の世界では独身を装っているようだ。芸術家の弥生の世話のために、夫は仕事をやめているらしい。絵描きの弥生が、自分の絵画の世界を追求いるうちに、生活上の認知力を失っていくまでを麻子が目撃していく。
 森の奥とは、弥生が追求した精神の暗黒面を示した絵画のことだが、作者は弥生が森の奥に何を見ていたかは追求しない。作者の筆は、絵画の芸術的世界を身近に置きながら、登場人物の親の面倒を如何に見るかという、俗世間的な世界に表現力発揮する。その意味で、絵画作品の印象に筆を及ばせながら、芸術と生活の対立点を描くという素材にしてテーマ性を脇に置いてしまった。弥生の不調和な精神を手の届かない世界と見放して、生活的な調和の視線に逃げてしまっているように思える。作品の文学性を問えば「森の奥」の入り口だけの作品になってしまった。
【「最後の合戦」逆井三三】
 前54号の「私の平家物語」では、現代人の歴史を研究する立場から、分かりやすさ納得しやすさを重視する視線で、ざっくりとした歴史観の横行する様を皮肉に描いていたように思える。現代の合理性と歴史的事実の解釈の手法に、延長線にあるものに興味をもったが、今回は、真田一族のたどった宿命を、歴史的な事実を現代的な解釈で語るという、新型の歴史時代小説になっている。関心が多様化し、感性の分散化する現代人には、こうした書き方も有効であろうとは思う。
 同じ作者らしき(三)という人が「編集後記」を書いている。楽して金を儲ける手段としての文学の位置づけや、商品とするにしては、生産効率の悪さなど、プロの作家の見方を紹介している。そういう問題に関心を向けるのは如何にも、さっくりとした大まかな把握による皮肉な見方を好む作者らしさが出ている。
 俗世間を渡るには、ものごとに深くこだわらない方が良い。金儲けもしかり。禅坊主もしかり。しかし、悲しいかな、多くの人間は、ものこだわらずに生きられる存在に、出来ていない。そこに表現芸術が存在する意味があるので、そのこだわりがナルシズムやペシミズム、オポチュニズムとして表現される。そこを変だと思わずに共感を得る人が芸術の鑑賞者になるのである。文学作品を通俗商品と混同して、金儲けや出世の手段でしか見ないのもナルシズムの変形であろう。裏読みの(三)氏の論理をまた裏返すとそうなるのではないだろうか。
発行所=〒215-0003川崎市麻生区高石5-3-3、永井方。「遠近の会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2014年12月24日 (水)

年の暮れ「町田文芸交流会」に参加して

 毎月、町田市公民館で行われている町田文芸交流会(外狩雅巳事務局担当)だが、先月は文学フリマに出店していたので欠席した。今回12月21日では、小野友貴枝さんのエッセイ「閉店前夜」が第10回「文芸思潮エッセイ賞」奨励賞を受賞したということで、その作品鑑賞を行った。その日は同人誌「相模文芸」同人のほか、同人誌「みなせ」の岡森利幸氏が参加しており、わたしは初対面なので、名刺交換を行った。また、「みなせ」のバックナンバーも読ませてもらい、そのなかで岡森氏が社会の出来事を独自の視点ピックアップし、意見を述べているのに大変共感をもった。自分も同人誌に社会性を持たせたらどうであろうと、ドキュメントを発表し始めたところである。どうしてそうするようになったか、話してもおもしろくないであろうから省略する。
 小野さんのエッセイについては、内容は、いつも原稿をかくのに通っていた喫茶店が、時代の流れで閉店することになり、その前夜に店の客となって、その店のなくなるのを惜しむ話である。司会の外狩氏は、エッセイと小説のちがいはどこにあるかという問題提起をした。わたしは、「閉店前夜」に描かれたような静かで物を書くのに適した店は、閉店することが多いという現象を題材にしたことや、書き出しの優れたところが「文芸思潮」の主張に合っているのではないかと、感想を述べた。
 読書会というのは、評論家でないのに、また評論をする必要がない(とくに同人誌は)のに、良いの、悪いのというのは、筋が違うと自分は想う。どのように読めたかが大事だと思う。

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2014年12月23日 (火)

平成26年文芸界「現代のひずみ嗅ぎ取る(産経新聞)

 ふと頭をもたげたのは筒井康隆さん(80)が自著『創作の極意と掟』(講談社)について語ってくれた言葉だった。
 「文学賞の選考をやっていて物足りないと思うのは小説としての『凄味(すごみ)』がないときですね。何か『ぞくぞくする感じ』というのかな。それがやっぱり一番大事だと思う」。現代のひずみを鋭く嗅ぎ取り、迫真性をもった虚構を築き上げる-。震災から3年が過ぎた今年、災厄「後」を紡ぐ作品に、そんな「凄味」を感じた。
 吉村萬壱さん(53)の長編『ボラード病』(文芸春秋)は、災害に襲われた海辺の町が舞台。避難生活から戻った人々は町の賛歌を声を合わせて熱唱し、絆の大切さを過度に確認し合う。息苦しいまでの同調圧力に覆われた町だ。「今の社会が極端になったらどうか、と。この小説には思考実験的な面もある」と吉村さんは言う。荒涼たる世界のようで、実は登場するのはいたって“普通”の人たち。この世界に震え上がってしまうのは、理解を超越しているからではない。どこかで現在と地続きだと感じるからなのだろう。。(海老沢類)
現代のひずみ嗅ぎ取る「凄味」ある作品(産経12.月22日)

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2014年12月22日 (月)

著者メッセージ: 宇田川悟さん (『カトリーヌとパパ』翻訳)

  私が長く住んでいたパリ6区は文化人の多く住むエリアである。だから、大手書店からユニークな小型書店まで多様に揃っている。散歩がてらよく書店を覗いた。20数年前のある日、立ち寄った書店の児童書コーナーを眺めていたら、やや大ぶりな本が私の目に飛び込んできた。それが『カトリーヌとパパ』との幸せな出会いである。よく使われる料理人の言葉に、「出会った素材が調理してくれと言っている」があるが、それに倣えば、「その本が 私に翻訳してくれと訴えている」とでもなろうか。
  国民的な人気作家のモディアノは「モディアノ中毒」と言われるくらい熱心な読者がいる。そして、テーマとして「記憶」を執拗に追い求めており、「現代のマルセル・プルースト」とも呼ばれる。他の作品に比べて容易に読める本書にも「記憶」を巡る、少し哀しくて切ない物語が綴られている。だが、それらを通じて浮かび上がるのは、しみじみした温かい情感だ。「記憶」の持つ哀しさと温かさの両面を描いた秀作である。(宇田川悟))(講談社『BOOK倶楽部メール』 2014年12月15日号より)


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2014年12月20日 (土)

 沼野充義氏と木村朗子氏、今年の5冊(東京新聞)

 沼野充義氏=「今年の5作」
 小林エリカ「マダム・キューリーと朝食を」(集英社)/多和田葉子「献灯使」(講談社)/高橋弘希「指の骨」(「新潮」11月号)/上村渉「三月と五月の欠けた夢」(「すばる」12月号)/岸本佐和子編『変愛小説集 日本作家編』(講談社)。
 木村朗子氏=「今年の5作」
 多和田葉子「献灯使」(講談社)/吉村萬壱「ボラード病」(文芸春秋)/ 小林エリカ「マダム・キューリーと朝食を」(集英社)/川上弘美・連作短編「形見」「水仙」「緑の庭」「踊る子供」「大きな鳥にさらわれないよう」(「群像」2月号~12月号)/李龍徳「死にたくなったら電話して」(河出書房新社)。
 その他、対談で話題にされた作品――。《参照:「不自由さ」と「書評のゆがみ・沼野充義&木村朗子(東京新聞)

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2014年12月19日 (金)

同人誌「コブタン」№38(北海道)

【小説「野を翔る声」石塚邦夫】
 北海道ならではの風物を舞台に取り入れ、起承転結のしっかりしたロマン的小説である。馬、鳶、牛と牧場、女と男。主人公は絵描きさん。素材を揃えてうまくまとまっていて、北海道の雰囲気を濃厚に伝える。楽しく読めた。
【掌編「あだし野」笹原実保子】
 昔のことであるが、妻子を連れて東京で暮らしていた。そのはずの男が、戻ってきたらしく、メールをよこす。小説を書いたから読めということらいしい。変な男の存在をいぶかりながら語る作者の視線が面白い。
【紀行「兎角にこの世は住みにくい」沖郷村人】
 アイルランドの旅行記である。これが大変面白い。形式はともかく、自分の目指す散文小説のサンプルのようなものに感じた。まず作者が何を思い何かを考えているかが、表現されている。読者としての自分も、まさに描写の奥に寝ていない表現に気を逸らすことができない。文学や小説の舞台として、知っているようで知らないアイルランド人の生活ぶり。大変貴重な作品に思えた。このところ、出だしの数行を読んだだけでは、何が問題なのか、さっぱりわからない描写をまず読まされることに、ひどく疑問を感じる。これにはそれがない。まさに他者に読まれるための小説的な書き方である。
【小説「1945年8月15日」須貝光男】
 最近のテレビ番組を見ていると、「日本人のここがすごい」というテーマの番組が多い。おそらくベストセラー作家の委員さんやそのおお仲間が、そういう放送をしろと命じたのであろう。それに逆らわないのがすごい。自分でここがすごいと言わないと、それが証明できないということはすごくなんかないのだ。以前は「ここが変だよ日本人」という番組をやっていたのに…。本作の敗戦記を読むと「日本人がこんなにバカだった」ということが身にしみてわかる。話に出る金光明経の経典は、自分が座禅を修業している時に読まされ、いまだにこんなものもあるのだ、と感心した記憶がある。
 それより実際に世界が驚く日本人のすごさがある。国政選挙で、国民の半分しか投票しないというところだ。日本国民は莫迦なのか。現在の日本は、天国極楽の世界らしい。道元は言っている「生死はほとけの命なり」(人間の悩みがあるから仏がいる)。この国では神も仏も必要のないニヒリズムの国になったのか。
発行所=〒001-0911札幌市北区新琴似十一条7丁目2-8、須貝方。コブタン文学会
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2014年12月18日 (木)

文芸同人誌「海」第90号(いなべ市)

【「辿り着いたら清掃夫」宇梶紀夫】
 いつものことながら、取材をよくして書いているようで、仕事の内容から収入まで、清掃業の仕事の様子がよくわかる。経済が成長しない成熟経済のなかで、70歳を過ぎても働くひとたち。時代の流れに沿って現実を受け入れる庶民の姿が印象に残る。
【「非母日録」紺谷猛】
 自らの老いの実感と、どこか不健全に思える生活ぶり。その嘆きと戸惑いが伝わってくる。
【「夏の別れ」白石美津乃】
 子供ふたりに恵まれた平凡ではあるが、普通の平和な家庭を築いてきた主婦。だが、かつては、英国にホームステイをした時のその国の男性との恋の兆しをもったことがある。あの時、もっと積極的な行動に出ていたら、今頃はどんな生活をしていたであろうーーと夢想する話。ちょっと面白い。非常にリアルで現実的である。小説の小説たるところは、ここがはじまりで、非常識なことがはじまるところではあろうが。
【文芸エッセイ「病床ノート」久田修】
 体調を崩して、ベッドで読書と回想にふける。サルトルのジャン・ジュネ論などは自分もわからないながら新潮文庫で読んだ。病気はつらい筈だが、読む楽しみが溢れているのが、文人精神というものであろうか。
【「迷い猿」国府正昭】
 両親が交通事故で亡くなり、葬儀や役所の手続きで郷里に戻って滞在しているが、そこで猿が出没するようになっていた。迷い猿だという。親の世代とは価値観が変わり、日本人そのものが迷い猿になったという寓話にも読める。
発行所〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤昭巳方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2014年12月17日 (水)

同人誌「メタセコイア」第11号(大阪市)

 今号は作品の文体に共通性と視点が似たようなポジションのものが多い感じがした。良し悪しの問題ではないが、おそらく、生活密着型世間話から離れないスタイルを好む読者を想定しているのかなと思った。息が合っている。生活環境描写などの各作品のページを切り取って、コラージュにしたら案外物白い抽象小説ができるかもしれない。その意味で今号の全体が合同作品に思える。
【「あさつゆ」堅田理恵】
  癌を患って入院しているケイ。院内には、命の限りを悟って、静かに病人仲間にお大事に声をかける人もいる。ケイの娘は高校生で命に限りがあることを実感できず、母親の心理も理解しないでいる。死を前にして心残りの情に内向するケイは、この世の本当のものを理解することを欲する。思考は壁に当たりどうどうめぐりして、ついには笑いが出てくる。理屈っぽいところがあるが、作者の生きることを求める情念の表現が、りニヒリズムの光と影と戦いの記録として迫っている。
【「丘の上のクリーニング店」芹沢ゆん】
 クリーニング業の顧客の様子を通して、かつての活気のを失った多摩ニュータウンの寂れゆく姿が描かれる。日本のどこにでもある社会現象を生活記録的に描く。それでも日々の生活の彩りをみつけてゆく、屈託のなさが楽しい。
 ほかの作品も紹介していくときりがないが、文章技術的には全体位落ち着きがあるのはいい。しかし、そうするとリズム感とか、生命感とか読む楽しみ味が減殺されてしまうと思う。読者との対話を楽しむような気分を付加すると、書いたほうも満足感が増すのではないだろうか。「あさつゆ」に代表されるように作者は手応えがあるでしょう。読者は「理屈ではそうでしょうな」という以上の感慨は持てないところがある。
発行所=〒546-0033大阪市東住吉南田辺2-5-1、多田方。メタセコイヤの会。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

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2014年12月16日 (火)

著者メッセージ: 下村敦史さん 『闇に香る嘘』

  第60回江戸川乱歩賞を受賞した下村敦史です。
  この度は、受賞作『闇に香る嘘』が「このミステリーがすごい! 2015年版」国内編で3位、「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門で2位にランクインし、大きな驚きと喜びを感じています。応募時は、まさかこのようなことになるとは想像もできませんでした。
  受賞作を自分の“奇跡の一作”にしてしまわないよう、よりいっそう努力していこうと改めて思います。受賞後第一作の『叛徒』は、来年1月下旬に発売予定です。歌舞伎町で殺人事件が起き、新宿署に勤務する七崎隆一が行方不明の息子の関与を疑うことから物語は始まります。七崎は、中国人関係者と取調官の会話の橋渡しをする中国語専門の通訳捜査官という立場を利用し、偽りの通訳で捜査をミスリードしながら単独で真相に迫っていきます。そんな少し変わり種の警察小説です。次作共々、興味を持って手に取っていただけたら幸いです。今後ともどうぞよろしくお願いします。(下村敦史)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2014年12月15日号より)

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2014年12月15日 (月)

根保孝栄・石塚邦男 さんへ「コブタン」着きました

 きょう事務所に行ったら「コブタン」と「弦」がついていました。同人誌がたまっていますが、順次読んでいます。このところ商業文芸誌を読んでその傾向を把握しようとしいて、同人誌評の方は、おろそかになっています。文学の世界も、芸術性、商業性、娯楽性などの基準が崩れている感じです。商業誌でも同人誌作品みたいのもありますし、知り合いだから掲載したのかな、という感じのものも。評論のタイトル「文学鍋料理論」でなんでもありの業界論ができそう。

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2014年12月12日 (金)

会員はサイトのテナント~その存在を知ってもらうことが第一

 情報紙の発行から出発した文芸同志会ですが、紙の発行をとりやめたことで、会員に中止した発行分の会費を返還しました。それでも、なんとなく申し訳ないので、本サイトで機能を継続させてきたわけです。紙が出なくても、情報交流がしたいという会員が残ったので本サイトを使うことができるようにしました。有料テナント方式です。外狩雅巳氏は、その機能をよく習得して活用しています。希望者に本を贈呈するということです。彼の作品はプロレタリア文学から手法を学んでいます。しかも現代人ですから、当然いまの時代に沿った書き方になっています。ですから、プロレタリア文学的な精神を知るには、過去の名作を読むより外狩作品を読む方が、現代の世情の総括がよく読み取れます。ここにある同人誌作品紹介は、自分の生活している社会とのかかわり方に視点を置いています。北一郎の評論(公開中)を読みながら読むと、作品の向き合い方が理解できるかもしれません。
 ところで、11月の第19回文学フリマでは、文芸同志会の発行物は好調で、山川豊太郎の「赤毛のアン」などの評論が、午後4時にはすべて売り切れました。文学フリマの話題を追うネットでも《成年男子のための『赤毛のアン』入門……第19回文学フリマで見つけた噂のすごい本》紹介されて、「あった。ここですか。探したんでんすよ。」と男女を問わず人気でした。
 また、伊藤昭一の「なぜ「文学」は人生に役立つのか」の増補版も、なぜカラオケと文学活動をくらべたのか、とか、菊池寛をよんでいないけど、理論が独特だというようなを質問が相次ぎ、買われました。
「野上弥生子の文学とその周辺」伊藤誠二編著(本体1000円+税)。野上弥生子の想い出とその文学について語った随想集。伊藤昭一、浜賀知彦、野上燿三、伊藤誠二、岡田すみれこ、石塚秀雄、日野多香子、山下博>故・野上燿三氏の「母、野上弥生子の目」を掲載。いまとなっては野上弥生子の晩年を記した貴重な資料となっております。これは普段から年に2、3冊注文が来てうれているロングセラーです。
 文芸同人誌「砂」第126号の裁判傍聴記「文芸同人誌も危ない『特定秘密保護法」伊藤昭一」が売れました。出店料は5500円ですが、売り上げは7000円超で赤字は免れました。

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2014年12月11日 (木)

同人雑誌作品紹介の意義を考える=外狩雅巳

  文芸同人誌の全国的な同人誌作品評は「週刊読者人」と「図書新聞」が知られています。かっては多くの一般新聞や文芸誌が同人雑誌に注目していた時も有ります。
 現在の同人誌作品評の軽視されている中で「文芸同志会通信」の記事は大きいと思います。一般文学動向を広く記事にする中での文芸同人会と同人誌作品の扱い方。
 更に、社会問題・国際情勢のニュースまで網羅する《暮らしのノートITO》のサイトも有してします。
 間口の広さ、視点の置き方。ネット分野からの発信等、特有の構えです。主宰者の高齢化や個人運営の限界から衰退気味なのが大変残念です。
 私は文芸同人会「相模文芸倶楽部」の一会員ですが強く支持しています。同人誌は地域や仲間の中でのみ趣味として固まって満足している現状です。文学全般の視野で捉え評価し注目して記事とする同志会を支持しています。
 形になる方法での応援として同人誌会員からの発言を多く行って来ました。主宰者が言うところの閲覧者数は同人会の会員数より多いのです。
 しかし、顔の見えない人たちは無言で閲覧し世論を形成してくれません。で、私からの提案です。私の記事を読んだ人へのプレゼントを行います。
 読んだと言うコメントと御本人の住所を知らせてください。コメント欄に書き込み送信して下さい。私の発行した本を贈ります。また、相模文芸倶楽部の同人誌「相模文芸」も在庫を贈ります。
 読んでみたいと言う方には何冊でも無料送付を行います。在庫は多数あります。死蔵されるより読まれた方が本も作者も幸せです。文芸同人会「相模文芸倶楽部」は現在34名の会員がいます。その数より多い【文芸同志会通信】の閲覧者は読者の山です。数千人・数万人の読者を持つ商業雑誌・新聞が世論を作っています。
 同人誌作家や自費出版作家の作品を広める為に出来る事から始めます。それが、インターネット情報「文芸同志会通信」の為に成ると思っています。相乗作用でネット文芸愛好者とリアル文芸同人会が増えるでしょう。
《参照:外刈雅巳のひろば

〒252-0235相模原市中央区相生2-6-15、外狩雅巳。(町田文芸交流会事務局担当)

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2014年12月10日 (水)

文芸同人誌「アピ」第5号(茨城県笠間市)

 本誌には東日本大震災で、福島県から笠間市に避難生活をしている人たちが参加している。詩作品「我が郷は荒野なり」の小澤英治氏(66)は、人も家も思い出もすべてを奪いその記憶は消えることがないーー詩。これを南相馬市鹿島区仮設住宅での生活中につくり、南相馬「みんなのコンサート曲」~心の内側~作詞:南相馬仮設住宅のみなさん、作曲ピアノ歌:赤松泰子)に収録されているという。福島県民の境遇は、次々と移ろいゆく出来事のなかに日々埋没してしまい、まるで普通のやむを得えない災害のごとく風化してゆく。これでよいのだろうか、と疑問を感じる。
【「桑の実の熟れる頃」さら みずえ】
 敗戦後、兵役を解かれて帰郷した兵士は、村の少女に性欲を高ぶらせて襲ってしまうが、村長の娘ということ知って、我にかえる。さらにその兵士は死んだことになっていて、婚約者は兄の嫁になっている。話の基本は戦前から続いた農家の家族制度に縛られた人間の姿である。昔はよくある話だが、現代人とって、戦争が人間をどう変えてしまうものか、想像が出来ずにいるようだ。実際想像ののしようがないのであるが、過去のこのような話によって手がかりとしたいものだ。。
【「回想の北岳」宇高光男】
 山岳登攀記録と思って読み始めたところ、小説でそれも相当長い。山好きな人のロマンと女性へのロマンを重ねて描いている。これも一つの趣向である、なかなか難しいところ根気よく挑戦している。小説書きより山のぼりの方が好きという風に読めた。
【「思い出すこと『霞町界隈編』」飛田俊介】
 浅田次郎の小説に「霞町物語」というものがあるそうで、その当時作者が、赤坂・六本木界隈の「アマンド」洋菓子店に勤めていたという。当時は、溜池や赤坂の周辺には、レコード会社があって歌手や芸能人が多く姿を見せていた。赤坂のアマンドはだいぶ頑張っていたようだが、いつのまにか見なくなった。六本木にはまだ店があって、そこの店長に会ったという。とりとめのない話だが、文芸味がある。
【「『たんぽぽ』旅行会」田中修】
 保母さんの育成専門学校の卒業生が配偶者をつれて恒例の旅行をしている。今回は北海道を旅行をレポートしている。レポートの書き方に、作者の社交的人柄がにじみでている。本誌の幅広い読者の支援を得る要因でもあろう。
発行所=309-1722茨木県笠間市平町1884-190、田中方。文学を愛する会。
紹介者「詩人回廊」発行人・伊藤昭一。

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2014年12月 9日 (火)

著者メッセージ: 神田茜さん 『しょっぱい夕陽』

 「しょっぱい」は味のしょっぱい以外に、ちょっとイケてないとか、少しイタいという意味もあります。本人は精いっぱい、正直にやっているのに、そうなってしまう状態ではないかと思います。沈む夕陽に自分を重ね涙がにじむのも、日差しに耐えて頑張って生きてきたからでしょう。
  48歳は、誰しも立ち止まる年齢のようです。人生の折り返しをいつの間にか過ぎていたことを、肉体の衰えで知るのです。歩いてきた道はこの道で、目指す山はこの山で本当に良かったのか。もう下り道しか残っていないのかと、立ちすくむような年齢。
  今回書いた『しょっぱい夕陽』は、最初、実体験をもとに書き始めました。
 途中から登場人物たちが勝手に動いて語ってくれたので、私は彼らの声を忠実に聞きとることに努めました。だから、校正のために読み返しても自分の作品とは思えず、彼らの健気さにぐっときて何度も涙が出ました。スタバの大きなテーブルで、自分の小説に嗚咽をもらす、しょっぱいオバさんになってしまいました。切なくて笑ってしまうお話です。(神田茜)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2014年12月1日号より) 


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2014年12月 8日 (月)

文芸同人誌評 「週刊読書人」(14年11月28日)白川正芳氏

  「ほほづゑ」82号の「特集 世界遺産」より中村禎良(元セントラル硝子社長)「縄文-最古の文化遺産-」
岡村庸子「桜の木の下で」(「民主文学」12月号、支部誌・同人誌推薦作品特集)、風間涼一「犬モノ」(「嵐」17号)
『マヤの一生』(椋鳩十著・大日本図書)
稲葉けいこ「雑踏」(「木木」27号)、黒羽英二「ダイヤモンド婚式に招かれて」(「文芸軌道」10月号)、新井深「中野駅前 宵の口」(「未定」19号)、浅野美子「歌の軌跡」(「火涼」69号)、あぶらたに ともこ「タカラヅカな日々」(「千尋」3号)
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年12月 7日 (日)

第一回「文学フリマ金沢」(2015/4/19 開催)新年より受付

 第一回文学フリマ金沢《事務局通信サイトもできた》は、2015/4/19 開催が決まった。出店申込みは、4月とはいえ北の町であるから、ダウンジャケットが必要であろうということだ。TRCでの19回文学フリマでは、金沢なら東京からも売り込み参加していい感じという話も出ていた。東京開催では、豪華本から簡素これまでなホッチキス止めの冊子まで手売りされていて、買い手読者との会話が楽しめるのが定番になってきた。また、これまで文学フリマに出るために新同人誌を作ろうという動きがあって、創刊が相次いだ事例もある。北陸の文学フリマ旋風に期待しよう。

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2014年12月 6日 (土)

独白体としての読み物の内側(外狩雅巳の庭から)  

 このところ「外狩雅巳の庭」では短いエッセイがまとめられています。けっこう読者が出ています。作者はこれを同人誌に投稿するようです。同人雑誌に掲載されたものを読むのは顔の見える読者です。それよりこのサイトで読む読者のほうが多いでしょうが、それは顔の見えない読者で黙ったままです。現在はスマホなどのネットサイトで読者投稿欄をつくり、有料で読むものがあるそうです。そのベストセラーはだいたい自分の私生活をくわしく述べた日記ものが多いといいます。おそらく私小説愛好者のような読者は、どこにでもいるのでしょう。これを普通人がやるのには、それなりに書き方に経験と工夫がいります。ぶっつけで書いて読者を獲得できるのは、それだけでひとつの才能だと思います。たとえば、外狩氏のような文章を書きたいと思っても、その技術を自分が手に入れることはできません。お金をいくら出してもその技術は手に入りません。以前、文芸同志会に億の資産ができたので、のんびりテレビドラマを観て過ごしている。テレビのミステリードラマのようなものなら自分にも書ける気がするといってきた人がいました。いいですねと、そこで、自分の作品や仲間の作品を見本に送りました。すると、この人たちの書く力と同じ技術を会得できない。その技術にはその人が億を貯めたと同じか、それ以上の価値が入っている―ーといって、入会をやめる手紙がきたものです。アパート住まいで金のない自分も、そうなのか、と改めて考えさせられました。わたしにとって外部の視線こそが、それがなんであるかを、示して学ばせてくれるのです。

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2014年12月 5日 (金)

著者メッセージ: 伊東英朗さん 『放射線を浴びたX年後』

  子どもの頃、よく親から「雨にあたると髪の毛が抜けてしまうぞ」と言われていた。単なることわざのようなものだと思っていたが、10年前、その言葉に秘められた大事件を偶然知ることとなった。ことわざなんかじゃなか
 った。
  実際に、あたると髪の毛が抜けかねない雨が降っていたのだ。「黒い雨」で知られる原爆の、1000倍の威力を持つ水爆。その水爆を製造するための実験が太平洋で行われ、その結果、放射能雨がこの日本にも降ったのだ。実験は何度も何度も行われたし、放射能雨が降ったのも1年や2年じゃない。
  この事実は隠されていたわけではない。当時、新聞では大々的に取り上げられ、日本中が大騒ぎになった。ただ忘れ去られただけ。
  そんな事件を追いかけて、今年で10年目になる。2011年3月までは誰にも相手にされなかった。福島の事故が起こった瞬間からあふれかえった一連の報道には、絶えず既視感を覚えた。追いかけてきたあの事件と同じだ。
  だからテレビディレクターの僕が、この事件をテーマに映画を作った。そして本にした。今、伝えなければならない。 (伊東英朗)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2014年12月1日号より) 


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2014年12月 4日 (木)

12月号 早稲田大学教授・石原千秋 「未来」も一つの思想

永井愛脚本の「鴎外の怪談」(東京芸術劇場)を観(み)た。妻しげとの家庭生活の中で、大逆事件への森鴎外の関わりを書く工夫が凝らしてある。それはなかなかのアイデアだった。幸徳秋水らに死刑判決が出たあと、鴎外が時の権力者・山県有朋に直談判に行こうとして行けなかったところが最大の山場のはずだった。しかし、母親が長刀を振り回したり自害すると騒いだりするなどのお笑いでお茶を濁す無様(ぶざま)な展開で、ガッカリした。よくあるではないか。詩人が主人公なのに、その詩が示されないままで終わる通俗作品が。力量がわからない詩人に感情移入はできない。あれと同じだ。たとえどんな形であれ、鴎外自身の結論を書かなければならなかったはずだ。そこに脚本家の力量がはっきり現れる。永井愛はそこから逃げたのである。文芸時評12月号 早稲田大学教授・石原千秋 「未来」も一つの思想である

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2014年12月 3日 (水)

評論誌「草莽崛起」東京(麻布高校1年有志)

【「『自由』の限界と日本人の基盤」奥田啓皓】
 人間の自由についてのさまざまの受け取り方を調べている。そしてここでは、自由は「勝手きままにすることではなく」そこには責任がつきまとうーーというところに焦点を絞っている。高校生がそれ身近に感じたところから発想し、学園における決まり、規則がなぜ必要かというところに及ぶ。そして行動の規範として「責任ある行動」とは責任を「落としまえ」と言い換えて、「自由とは自分で落としまえのつけられるものごとにしか与えられないのである」と言い換えている。
 哲学的命題を、それなりに生活実感のなかで意味づけをするというのは大人でもなかなかやらないことで、立派である。現代社会は建前の「発言の自由」をよく考えずに勝手に解釈する。面倒だからその意味を考えずに、感情的に他人の勝手な解釈に便乗し、わかっていないのに、わかったふりをする。その尻馬にのって他者に吹聴する傾向がある。
 この筆者は、おそらく社会秩序と自由について考えたのであろう。折角、ここまで生活に沿って、思索を勧めたのであるから、学校の規則づくりのためにもう一歩具体的な、生活規範に当てはめて整理したらどうであろう。
 現代社会の現象として、一部の少数の人が行ううちは見逃されていたものが、それ多数になったために問題になることがある。富士山登山におけるゴミの不法投棄、ヘイトスピーチ、カンニング行為、道路不法占拠。これらについて、その原理をカントやサルトルも、たしか言及していたように思う。「もし、あなたのしていることが、社会的に許されるかどうかの判断のひとつに、他のすべての人が行っても良いというものかどうかにかかっている」と。街に公衆トイレがあるのは、全員が道路で大小便をしたら、その街に住みにくくなるからであろう。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2014年12月 2日 (火)

西日本文学展望 「西日本新聞」14年11月28日(金)朝刊・長野秀樹氏

題「条理と不条理」
九州高等学校文化連盟文芸コンクールより九州地区最優秀作は「青い約束」廣津圭那子さん(大分南高校3年)、長崎県の部より最優秀作「帰郷」御所泰隆さん(諫早高校2年)・優秀作「こころカーテン」坂本奈々子さん(長崎北陽台高校1年)、優良作「別れの色」森永歩乃佳さん(猶興館高校2年)
有森信二さん「ぼくのテレビ」(「全作家」94号、東京都)、和田信子さん「花束」(「南風」36号、福岡市)
「河床」34号(久留米市)松原新一さんの追悼号より創刊号掲載の「『河床』の人びとへ」と学会講演の「文学五〇年」を再掲載、
「南風」より紺野夏子さん「暖炉」・渡邊弘子さん「龍造(絆篇)」、「飃」97号(山口県宇部市)より内山博司さん「おくのほそ道に遊ぶ」、「草茫々通信」7号(佐賀市)は一部「『平凡』の中身-岩橋邦枝の文学・二部は「6号『片島紀男の仕事』はどう読まれたか」
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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