同人誌「メタセコイア」第11号(大阪市)
今号は作品の文体に共通性と視点が似たようなポジションのものが多い感じがした。良し悪しの問題ではないが、おそらく、生活密着型世間話から離れないスタイルを好む読者を想定しているのかなと思った。息が合っている。生活環境描写などの各作品のページを切り取って、コラージュにしたら案外物白い抽象小説ができるかもしれない。その意味で今号の全体が合同作品に思える。
【「あさつゆ」堅田理恵】
癌を患って入院しているケイ。院内には、命の限りを悟って、静かに病人仲間にお大事に声をかける人もいる。ケイの娘は高校生で命に限りがあることを実感できず、母親の心理も理解しないでいる。死を前にして心残りの情に内向するケイは、この世の本当のものを理解することを欲する。思考は壁に当たりどうどうめぐりして、ついには笑いが出てくる。理屈っぽいところがあるが、作者の生きることを求める情念の表現が、りニヒリズムの光と影と戦いの記録として迫っている。
【「丘の上のクリーニング店」芹沢ゆん】
クリーニング業の顧客の様子を通して、かつての活気のを失った多摩ニュータウンの寂れゆく姿が描かれる。日本のどこにでもある社会現象を生活記録的に描く。それでも日々の生活の彩りをみつけてゆく、屈託のなさが楽しい。
ほかの作品も紹介していくときりがないが、文章技術的には全体位落ち着きがあるのはいい。しかし、そうするとリズム感とか、生命感とか読む楽しみ味が減殺されてしまうと思う。読者との対話を楽しむような気分を付加すると、書いたほうも満足感が増すのではないだろうか。「あさつゆ」に代表されるように作者は手応えがあるでしょう。読者は「理屈ではそうでしょうな」という以上の感慨は持てないところがある。
発行所=〒546-0033大阪市東住吉南田辺2-5-1、多田方。メタセコイヤの会。
紹介者「詩人回廊」北一郎。
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