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2014年11月18日 (火)

日常が面白い?外狩雅巳氏の散文技術

 現在の日本は、おおむね平和である。そのなかで身近な題材が日常生活である。このところ、「詩人回廊」(外狩雅巳の庭)が、面白いという話が会員からも出ている。なかには新境地をひらいたのではないか、という意見もある。これはエッセイか、作文かということになるが、北一郎は散文と読む。エッセイには事実に沿ったこと、という条件がある。フィクションは語れない。作文はみたこと、きいたこと、思ったことを記す。文章の終わりは「と思った」でいい。小学生の作文はほとんどこれで締めてある。小説でも締め方に困って、「と思った」とつい作文癖が出てしまっているのがある。これに対し、散文は文章技術が存在する。書き手は生身の存在者ではなく、どこか宙に浮いている必要がある。したがって書かれた対象も、日常の見慣れた風景でありながら、どこか変であることを示すように描くことが必要であろう。まじめなことが滑稽だったり、悲劇だったりする。この地球が人間生活の安泰と継続を保証しているわけではない。これは常識であるが、この常識と日々の生活の常識を並べると非常識の視点になる。これら外狩氏の掌編は、彼が新境地を開いたわけではなく、文章技術の一つ手法を追加できたという風に受け止めている。

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