同人誌評の変化を「大波小波」が記す
東京新聞11月4日夕刊のコラム「大波小波」(筆者・古文壇人)で同人雑誌評の担当者の顔ぶれが変わったことを書いている。「三田文学」は編集長が若松英輔氏にかわり、伊藤氏貴氏、水牛健太郎氏、浅野麗氏の鼎談になった。「季刊文科」が谷村順一氏に変わった。谷村氏は41歳、日大芸術学部の先生。浅野氏は37歳、伊藤氏46歳、水牛氏は47歳だという。
自分もそれらの評を読んでみたが、共通しているのは、まず文章力のあるもの。なめらかさや、流麗さを見逃していない。描く世界の物珍しさも目に留まるようだ。その作品を読むことを前提とするのは、当然だが評だけ読む意味も持たすことができないかな、と思わないわけではない。
また、そこから視点をずらした同人誌作品評も必要であろう。我田引水でいえば、流麗な文体でなくても、それなりに文学的な問題提起の種をそこから導きだせないか、という試みが北一郎の評論である。《参照:北一郎の庭》
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コメント
そうですね。同人雑誌評の担当者の若返りも必要でしょう。新しい文学の潮流に敏感なのは若手評論家。
新時代の文学を切り開くガイド役になるのが、同人雑誌評担当者。これにベテランのキャリア組が二割程度加わるのが理想だろう。
思い出してみると、昭和三十年前後、「近代文学」の文芸評論家が中心になって、日本文学の最盛期を演出できたのは、当時の文芸評論家の主流は三十代から四十代の若さであったことだ。
同人雑誌評担当者が六十代以上という現状は、異常と言って良い。同人雑誌評担当者は、新しい文学を発掘する義務感にあふれる情熱家でなくては、保守化した現状を打開できないのは当然だろう。
ヽ( )`ε´( )ノ
投稿: ,根保孝栄・石塚邦男 | 2014年11月 8日 (土) 03時52分